紅の記憶
俺は物心ついた頃から独りだった。
母親はいたが夜の仕事でほぼ家にはいない、
父親は顔も名前も知らない。
高校を卒業してしばらく経ったある日、
『卒業おめでとう。最低限の面倒は見たから、あとは自由に生きてね。さよなら。』
置き手紙を残して母親は姿を消した。
1人には慣れていたから特に不自由はなく、むしろ気楽だった。
けど、不意に母親の記憶が体の底から湧いて出てくる時がある。
おぞましい記憶だ。
あれは中坊の頃、母親がひどく酔って帰ってきた明け方。
バンッと大きな音を立てて閉められた玄関の音で俺は目が覚めた。
「……おかえり、酔ってん───」
玄関に向かうと母親が勢いよく俺を押し倒した。
俺の顔を鷲掴みにして化粧ポーチから口紅を取り出すと、まるで血液のような紅色のそれを俺の唇に何度も重ねて塗った。
「あはっ、あははは!あははは!綺麗〜。男のくせに、女の私より。あははは!」
俺は恐怖と絶望と混乱で、馬乗りなる母親を思い切り突き飛ばして家を飛び出した。
それから俺は母親を避けるようになった。
居なくなって清々したはずなのに、余計にあの紅の記憶はまとわりついてくる。
嫌な記憶のはずなのに、忘れたい過去のはずなのに俺は囚われ続ける。
あの記憶を思い出す度に、あの日と同じ色の口紅を、自分の唇に塗り重ねる。
あの日、ほんの少しだけ感じた扇情的な気分は、どうしても消し去ることができなかった。
夢の断片
俺に変な能力が芽生えたのはつい最近の事だ。
刑事という仕事を選んだ俺は日々悪質な犯罪、事件と闘っていた。
ある事件を追っている最中、捜査資料を徹夜で漁っていた俺は急な睡魔に負けてその場で眠ってしまった。
その時、俺は呑気にも夢を見ていた。
直前まで資料を読んでいたせいか夢の中でも仕事をしていた。
突然、頭を貫かれたような鋭い痛みを感じ反射的に目を瞑ると、脳内にフラッシュ暗算のように断片的な映像がパッパッパッと素早く流れて行った。
思い出せるものを繋ぎ合わせると、あるアパートが浮かび上がった。
「まさか…犯人がここにいるってのか?」
夢のできごとなんて、と懐疑的だったがなんとなく胸騒ぎがして目覚めた俺はすぐに先輩に連絡してもう一度捜査資料を分析し直すことにした。
その結果、奴のアリバイを崩し最終的には犯人逮捕へ至った。
その後も、新たな事件を追う度に俺は急に眠り断片的な夢を見てはそれを捜査の足がかりにした。
"夢" という非科学的・非現実的な方法ゆえ、この事は先輩にも誰にも言うことはなかった。
ある時先輩から、
「最近いやに調子いいけど、違法捜査はしてないよな?」
とせっつかれ俺は誤魔化すように答えた。
「刑事のカンが当たってるだけっすよ。」
見えない未来へ
それは誰にも分からない。
どう進むべきか、どう転ぶか?
誰一人として予測不可能だ。
見えないことが不安だと嘆く人がいる。
結果なんてわからないのに、挑戦すら諦める人がいる。
予測ができないからこそ、楽しむべきではないだろうか?
勇気をだして挑んだ先の結果を、期待するべきではないだろうか?
わたしは、見えない未来にこそ、希望を抱いている。
予測不可能を楽しめ。
見えないを怖がるな。
生きている、それだけで私たちは勝者なのだ。
共に見えない未来へ向かって生ある限り前進あるのみ。
吹き抜ける風
目的もなく思い立ってドライブに出かけた秋晴れの日。
車を走らせると次から次へと紅葉が流れていく。
少し暑くなって車窓を開けると、ぶわっと風が入って来た。
車窓から吹き抜ける風は、焼き芋の匂いがした。
僕は思わず近くに車を停めて、移動販売の車へ駆け寄った。
記憶のランタン
思い出したくてもどうしても思い出せない。
また、ここに来てしまった。
ここは記憶の森。
入口で森の案内人にランタンを手渡される。
『これは、"記憶のランタン" あなたの思い出したい記憶が見つかると強い光を放ちます。森の中は暗くて様々な記憶が混在しているので、決してランタンを手放さないようにしてください。ランタンを手放してしまうと、その記憶はもう二度と戻ることはありません。』
アトラクションの注意事項のようなセリフを言い終えると、案内人は私の目の前をてくてく進み出す。
私は記憶のランタンをギュッと握りしめて彼の後を追って行った。