もう二度と
私の祖父母の家は、山に囲まれた田舎にあった。祖父母は農家だったから母はよく手伝いに行っていて、私が子供の頃は、夏休みになると毎日の様にそれについて行った。小さな山を一つ超えた先にあったから、何処となく都会の喧騒から切り離された様な空気感があるのを今となっては感じている。
私には妹がいて、よく二人で遊んだ。ビニールハウスの影に秘密基地!と称して木の棒やらを組み立てる様な、典型的な子供の遊びもしていたのを今でも憶えている。庭にビニールプールを作ってもらったり、近くの小川に小魚を釣りに行ったり、親戚が集まった時は夜に皆で花火をやったりもした。たまに仕事を手伝ってみたりして、休憩時間に皆でアイスを食べた。スイカ割りもした。手持ち無沙汰に、扇風機をかけてテレビを見る、その時間さえ好きだった。
今でもたまに祖父母の家を訪れる。相変わらず祖父母は元気だし、庭も畑も何も変わらない。それでも、こんなだったか、とふと思う。もう少し木の葉の色が鮮やかだったのではないかと思った。もう少し空気は透き通っていたのではないかと思った。あの頃と何も変わらないけれど、自分だけが変わってしまった様な気がした。
もう二度と子供の頃には戻れはしなくて、記憶の中にはあるけれど、何せ子供だったからあまり憶えてもいなくて、少し霞がかったようにぼんやりとしている。
よく歩いた散歩道をまた、歩いてみた。あの頃はわくわくしながら歩いていたはずなのに、今では何故か寂しさを感じた。
雲り
線路沿いの桜並木を二人で歩く。桜の下の斜面には菜の花が植えられていて、桃色と黄色が酷く目に映えた。
「曇ってきたね」
空を見上げると、先程まで出ていた太陽が厚い雲に覆い隠されてしまっていた。花見を予定していた今日は朝から曇りがちで、晴れたり曇ったりを繰り返している。美しく鮮やかだった花々も、薄く灰がかったように輪郭がぼやけてしまった。せっかくの花見だったのに。
「ねえ、花曇りって知ってる?」
「花曇り?」
耳慣れない言葉だった。「桜の花の咲く頃の明るく曇った空模様」という意味だと言う。丁度、今日の様な天気の事だろうか。
「この言葉を作った人がいたなら、きっと、今日の様な空を綺麗だと思って作ったんだろうなって」
春は曇りが多いから、気にも止めていなかったのだけれど。花曇りと言う言葉に縁取られた今日のこの天気が、急に綺麗な輪郭を帯びた。
太陽が厚い雲から抜け出し、薄雲を透過した弱い光が差し込んでくる。辺りが微かに明るくなる。ぼんやりと白く霞んでいる様にも見えた。
何ともなしに見ていた淡い桜の色が、酷く綺麗に目に映った。
bye bye
「もう、ここに来てはいけないよ」
鳥居の上に腰掛けて足をゆらゆらさせながら、友達はそう言った。
「なんで?」
「お前はもう大人だから」
片手に持った卒業証書を握りしめる。私はもう、大人になったのだろうか。こんな模造紙に大人と子供の境を決めつけられてしまって良いのだろうか。
「大人になったら貴方に会いにきてはいけないの」
「駄目ではない。けれど、きっと見えないよ」
赤い耳飾りを風に揺らしながら友達はへらりと笑った。
二人だけの境内をぬるい三月の風が吹き抜けていく。
「大人になんて、」
学校終わりに来れば、いつも友達はここに座っていて、二人で話しをするこの時間が大好きだったのに。これだけしかいらない。私は、これだけしか。
「大人になりな」
友達はいつもの様に笑った。
「なんて言うんだっけ、別れる時の挨拶。お前たちがよく言ってるやつ」
ああ、と呟く。
「ばいばい」
神は子供には見えない。私は大人になったようだ。