巡り逢い
今年も春がやってきて、そしてまた終わっていく。春の蕾の芽吹きはとても儚くて、気づけば新緑の青葉が太陽の光を受け青々と照り映えていた。川沿いの、桜並木だった小道を歩いていく。春の終わりに足を止める人は少なくて、皆足早に私を追い抜いて行った。皆何かに追われた様に先を急いでいる。そんなに急いで、何があると言うのだろう。
木漏れ日がアスファルトに映り、影模様を残していた。背の高い葉桜の木を見上げると、鮮やかな若い芽の青が綺麗だった。
前に歩いていくと、一人、同じ様に佇んでは木々を見上げる人がいた。その人も私に気づいて、こちらを向いた。目線があって、会釈をして、お互いに笑い合った。
「綺麗ですね」
「はい。本当に」
春の終わりが運んできた、春の名残の巡り逢いだった。
影絵
「影を見てる」
夕暮れの神社に一人うずくまる少年を見つけて、何をしてるの、と声を掛けたらこう返って来た。夕陽を背に受け、少年の影がぼんやりと地面に伸びている。
「どうして?」
「どれだけ逃げても、ずっと追いかけてくるんだ。だから見張ってる」
子供らしい素直な発想だ。思わず頬を緩め、同じ様に隣に座り込んだ。
「追いかけてくるのは当然だ。影は君の真似をしているから」
「そうなの?」
「そうだよ。だから、こんな遊びもできる」
こうしてご覧、と中指と薬指をくっつけ、親指と合わせた。少年も素直に真似をする。地面に少年の手の影が浮かび上がった。
「狐?」
「うん。正解」
すごい、と少年は目を輝かせた。もう片方の手でも狐を作って、色々と手を振って遊んでいる。少年は立ち上がって、満面の笑みを向けて来た。
「すごいね君。君は誰?どこから来たの?」
少年と同じ様に立ち上がる。風に着物の裾が揺れた。
「僕はその影みたいなものだよ。この神社にずっと昔からいるんだ」
狐の影を見つめる。少年は首を傾げた。
夕焼け小焼けのチャイムが鳴った。あたりがだんだん薄暗くなってくる。
「早くお帰り」
ただ一つ、少年の影だけが石畳に落ちていた。少し日の伸びた、ある夏のことだった。
遠くの声
「おーい」
呼びかけられた気がして、後ろの雑木林を振り返った。山を登り始めた頃から曇りがちになって来たから、薄暗い木立の影がその根元に落ちていた。学校からの宿題の植物観察のため、友達と近所の山を登っている最中だった。
「聞こえた?」
隣を歩く友達にそう尋ねると、聞こえた、と彼も頷いた。
「おーい」
また、聞こえる。その声に聞き覚えは無いが、僕らと同じ子供の様だ。学校の友達かな、と言ったら、違うと、彼は首を振る。
「僕らを呼んでるみたい」
「返事をしちゃ駄目だ。行こう。振り向かないで」
「どうして?」
「引き込まれてしまうから」
少し背の高い友達を見上げたら、とても真剣な顔をしていたから、黙って頷いては二人で道を進んでいった。この友達は、たまに不思議なものが見えると言う。
「あれ?」
黙って歩き続けていたら、あっという間に山頂に着いてしまった。そこまで高い山でも無かったのだが。
「もう、抜けられたみたいだ」
「何を?」
「なんて言えばいいんだろ、彼方の世界かな」
「ふうん」
「またあの声に呼びかけられても、返事をしちゃ駄目だよ。まだ、行くのは早いから」
そう言って友達は、振り返った。いつの間にか空は晴れて、雲間から日が差し込んで後ろの木々を照らし出した。
「僕らはそっちにはいけない。ごめんね」
友達は誰に謝ったのだろう。あの声の子だろうか。
君と僕
隣に座る君の白い頬に、風に靡いた艶やかな黒髪が一房こぼれた。思わず見惚れていると、なあに、と気の抜けた声が返って来たから、何でも無いよ、と返す。
「桜が散ってしまうね」
この川沿いの花見の名所はもう盛りを過ぎてしまって、お花見に来る人もまばらとなっている。斜面の下を流れる川を、散りゆく桜の花弁が薄桃色に染めていた。
春を示す桜が花開いては散っていく様に、世間も出会いと別れの季節が訪れていた。二人の関係にも終わりの気配が近づいている。この関係に今まで名前などなくて、ずっと曖昧なまま、虚しく別れはやってくるのだ。それでは、君と僕の関係は一体何だったのだろう。
「綺麗」
強い風に煽られて、花吹雪が空に舞い上がる。青空に白い波が立った様に、美しい光景だった。
桜は好きだ。とても綺麗で、そして見ていると少し切なくもなる。
「どうせ散るならいっそ咲かないで欲しい。咲くのだったらずっと咲いていれば良いのに」
「駄目よ」
笑う君の声は柔らかくて、耳に心地良い。
「桜は散るからこそ美しいのに」
君がそう言うなら、いつかこの関係も良いものだったと、思える日も来るのだろうか。
川を流れゆく桜の花びらが行き着く先はどこなのだろうかと思いを馳せる。隣で君は静かに微笑んでいた。
桜
川沿いの桜の下に寝そべっている彼の着物の裾に、はらりと花弁が一つ落ちた。私も隣に座って、桜の散るのをただ眺めている。彼は目を開いて、小さく笑った。
「まさか、今日来てくれるとは思わなかったなあ。いつも誘っても来ないから」
「ほら、もう散ってきてるでしょう。そろそろ見納めやから」
「会いに来てくれたわけではないの」
「桜を見にきたのよ」
散りゆく桜は美しい。見納めと言ったのも間違いではないかしら、と思った。
「もうすぐやったね」
「ええ」
私ももう大人になる。親に告げられた許婚と、最近また顔を合わせた。桜の様に、私も身じまいの時が近づいていた。
「散ってしまうのは惜しいなあ」
「落花の風情とも言いますやないの」
目の前をひらひらと桃色の花弁が舞い落ちていく。
「君への僕の想いも、散ってしまうやろか」
「散ってしまった方がいいわ」
「花が落ちたら、水も流れてくれればいいのに」
「…口が上手やねえ。軽薄なのよ、貴方は」
「つれないなあ」
へらり、と笑う彼の声は低くて綺麗だ。
桜は刹那を生きるから綺麗なのだろう。散るからこそ終わりがあるからこそ美しい。では、私は…?
「また来年も、一緒に見られるやろか」
「さあ…」
きっと難しいだろう。口には出せなかった。
春のやわらかな風がただ二人の間を吹き抜けては、桜の花をまた散らしていった。
古都