秋茜

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10/28/2025, 4:46:47 PM

おもてなし


――某日、東京秋葉原。

 俺――高崎隼人(たかさきはやと)は今、20年の人生で一番胸を高鳴らせている。といっても過言ではない。

 そう。今日、俺は人生で初めて『猫カフェ』という非日常の世界に足を踏み入れようと、この地にやって来た。

 猫と戯れる為だけの至福の一日――。
 うっかり知り合いにでも出くわして台無しにされたくなかった俺は、わざわざ二時間もかけてここ秋葉原にまでやって来たのだった。

 しかし、正直勢い任せで来たせいで、どこが良いとかは全くさっぱりだった。
てか、秋葉原自体が初めてで土地勘も何もない。
 仕方なく、俺は雰囲気が良さそうな所をテキトーに選んで……深呼吸を一つしてからドアを開けた。

「お帰りなさいませ! 旦那……さ、ま……」

――そこには、衝撃の光景が広がっていた。

 確かに猫はいた。にゃあにゃあと可愛らし声を上げ、猫同士なにか話しながら自由に店のあちこちでくつろいでいる。今すぐ一匹持って帰りたい愛くるしさだ。

 が、店員も何故か着物服に猫耳を着けた、半分平成の萌えスタイルで決めポーズをしていて。
 こっちの二足歩行の猫は、別方向の可愛さであざとく客にアピールして来るのだった。

しかし、何よりも衝撃的だったのは……。

「……お前、こんなとこで何を……」
「ああああんたこそ、何でこんなとこに……っっっ!!?」

 そう、そこに居たのは――同じ大学の一つ下の後輩であり、俺がよく知る幼なじみの「春咲花音(はるざきかのん)」だった。

―――――――――――――――――――

 花音が働く『猫猫(ねこねこ)カフェ』は、いかがわしいコンセプトとは真反対の落ち着いた……どこか大正浪漫を思わせる雰囲気の内装の店だった。

 そう見ると、確かに花音の着ているお店の制服も、露出を押さえた和風の花模様をあしらった上品なものだった。
 猫耳のアクセだけは、ちょっと目立つけど。

「……ご注文は何に致しますか? だっ、旦那様」

 花音はお店の仕組みや料金の説明を終えると、左手で机の上を滑らすようにメニュー表を差し出してきた。
……その間、お冷やを運んできた「お盆」を右手に持って顔を完全に隠したまま。

「とりあえずドリンクバーと、猫アイスを一つ……」

「畏まりました、だ……旦那様」

「無理しなくていいぞ、今は店ん中誰もいないんだから」

「いえ、私めはプロでございますから。 お気遣いは無用でございますわだっだだだ旦那様」

「そ、そうか……お前がいいならまあ……いいけど」

――顔をお盆で隠して噛みまくりながら接客するプロがどこにいるか、などとツッコミたかったが。流石に俺にも人の心はある。
 そこはあえてスルーして、手早く注文を済ませた。

 花音は、顔をお盆で隠したまま、ふらふらとした足取りのまま店の奥へと消えて行った。

……しかし、何と言うことか。
 知り合いどころか、隣の家に住む幼稚園からの幼なじみとこんな遠方の辺境の地で出くわすなんて……しかも、猫カフェの皮を被ったコンカフェの店員と客という立場で。

「何か、とんでもないことになっちまったな……」
 しばらく店内を眺めながら待っていると、一匹向こうから近寄って来る猫が居た。
 所謂、長毛種といわれる猫で。確かラグドールって種類だったかな。

 その猫は、ジュリエットも裸足で逃げ出す悲劇に今しがた見舞われたばかりの俺を慰めるように、足に頭をこすりつけてにゃーと短く鳴いた。

「おお……何と愛らしい……生き物よ」

 あまりの可愛さに口調がおかしくなってしまった。
 どうしたらよいか分からず、とりあえず頭を撫でる。
 一応「猫の安全を考えて『抱っこ』は禁止されている」と先ほど「妖怪お盆メイド」に説明されたばかりだったので、あらんかぎりのテクニックを駆使して猫の満足するポイントを片手で撫で繰りまわす。
 猫も満足気ににゃーと鳴きながら、さらにすりすりと身体をこすりつけてくる。

――生まれてきて良かった。俺は今日この日の為に、生きてきたに違いない。

「……お待たせ致しました旦那様。 ご注文の品『猫アイス』を持って参りました。 ドリンクバーはあちらの奥の席の方にございます。 どうぞ、ゆっくりとおくつろぎくださいませ」

 感慨に耽っていると、いつの間にか妖怪お盆メイド……じゃなくて、花音が横から注文した猫のおやつの『猫アイス』を差し出してきた。

 覚悟を決めたのか、もうお盆は下ろしていて。顔を隠すのは止めたようだ。

机に置かれたアイスを見て、先ほどから俺の足に頭をぐりぐりし続けていたラグドールがぴょいと机の上に乗ってきた。
俺はうっかりひっくり返したりしないよう、アイスの入ったグラスを左手で支えて上げる。

――長い沈黙。

 花音は横で何やら言いたげに、しかしだんまりのままただ立っている。

 俺は、すっかり懐いてくれたラグドールにアイスを舐めさせながら、とりあえず口を開く。

「花音は、猫が好きなのか?」

 こういう時は、まずは無難な手札から切るのが定石だろう。
 俺は至極当たり障りのない質問を投げて、返答を待った。

「はい、旦那様。 ……実は、花音は、猫のことになると、恥ずかしながら目がないのであります……うふふ」

わざとらしく頬に手を当て身体をくねらせ、芝居がかった口調で照れたフリをする花音。

 こわい。こんなの、俺の知ってる花音じゃない。
 俺の知ってる花音は……もっとこう負けん気が強くて男勝りな、小学生の頃に倍近い体格の上級生の顔面を正拳一発でKOした。そんな女の子だったはずだ。
……いや、今の方がマシか?

 そんな失礼極まりないことを考えていると、はたと花音と目があってしまった。

 そこで、気が付いた。
――いかん、目が据わってる。
 親の顔より見た幼なじみの思考は手に取るように分かる。
 あの目は間違いなくこう言っている。『店から出たら覚悟しときなさいよ』
と。
 自分の恥ずかしい秘密を知ってしまった幼馴染みを容赦なくこの世から消し去るつもりに違いない。

 良かった。あれはやはり俺のよく知る花音だ。いや、ちっとも良くない。
 接客スマイルで誤魔化してはいるが、視線から静かな殺気を感じる。

 こ、ころされる……。

 机の上でぺろぺろとご機嫌におやつのアイスを舐めるラグドールだけではなく、目の前で静かに殺気を放つ幼馴染みのご機嫌も取って店を出なければ、俺に明日はない。そんな予感がする。

 しかし、どうすればいい?
どうすれば、花音は機嫌を治してくれる?

 いや、ていうか、そもそも俺は偶然この店に入ってしまっただけで、むしろ悪いと言うなら花音の方じゃないか?
 などと言えば今すぐ猫の餌にされかねない。
そこで、瞬間。俺はあることを思い出した。

「お前、確か明日誕生日……だったよな?」
「……へっ?」

 予想外だったのか、花音が間の抜けた声を上げる。
 よし、手応えあり。
俺は左手でラグドールを撫でながら、言葉を続ける。

「明日は休日だろ? だから二人でどっか出掛けてさ、何か美味いものでも食いに行こうぜ! 勿論全部俺が奢る! お前の誕生日だからな!! はっはっは!」

……どうだ?効いたか?
  いや、今のは流石に効いただろう。
どんな人間でも、美味いメシには勝てない。
 例え、どんな拷問にも耐える訓練を積んだ特殊部隊の隊長でも、目の前に松阪牛のステーキを出されれば全て喋って楽になる道を選ぶはずだ。

 しかし、現実は――全く予想外の反応だった。

「そ、そ、それって……二人きりでって……でぇと?」

……ん?
 おかしいな。俺は耳は悪くないはずだ。
店内も、BGMのクラシックと猫の声しか聞こえない。いたって静かな空間だ。

 今、こいつ……「でぇと」とか言わなかったか?

 見ると、顔を赤らめてなにやらもじもじとお盆で口元を隠しながら、顔を背けている。
 その仕草は、どうも演技には見えない。

「隼人……いえ、旦那様がそのように私めのことを見ていただなんて……恐れ多くございます」

 雲行きが怪しい。
何か、意図せぬ方向に話がずれて行ってしまっているような……。

「えーっと……花音さん?」

「でぇと……ふふ……。 てか隼人、誕生日覚えててくれてたんだ……ふふ……はっ! ごほんげふん! ……はい? 何でございましょう旦那様?」

 何か独り言をぶつぶつと呟いてから、わざとらしい空咳をして、また役に入る花音。
 さっきよりも頬は赤く、役作りも相まってか、いじらしい仕草が妙に板についている。というか……。

――あれ?……こいつ、結構可愛い?

 幼稚園の頃からずっと隣の家に住んでいて。
 小学校も、中学も高校も大学も一緒で。
そのせいか、ずっと男友達のような感覚の距離感で今日のさっきまでいて。
 こいつのこと……女として見たことなんて一度もなかった……はず。
 だった、けど――。

「……旦那様」

 花音の声が、耳をくすぐる。

 聞き慣れたはずの幼馴染みの声が、今は妙に色香を感じる声に聞こえて……俺は思わずじっと見つめてしまう。
花音から、なぜか目が離せない。

「私めは……実はずっと前から……」

 彼女の髪の香りが。吐息がかった声色が。一つ一つの仕草が、俺に意識させる。
 いや、そうか。そうだったのかもしれない。
 何でもっと早く気が付かなかったんだろう。

 しばし、二人の時間が止まる。

 撫でるのを止めた俺の左手を、とっくにアイスを食べ終えたラグドールがかじりつき、遊び始めていた。

俺も、花音のことをずっと――。

「花音。 今、ようやく気が付いたんだ。 俺も――お前のことが……」

 大正浪漫の雰囲気が満ちた店内と、「旦那様と給仕係」というこの店の、今この場所限りの二人に与えられた役柄が、いつからか奥底に隠されていた二人の心の内の想いを顕にした。

相変わらず、他の客が来る様子もなく。
店内には、静かなクラシックと猫の声だけがゆっくりとした時の流れに会わせて流れていた。

10/27/2025, 2:00:19 PM

「消えない焔」


 某日。とある有名動画配信サイトにて。

「みなさん、ばんこな~『桃源坂こなみ』だよ~。今日もよろしくなのー……」

 フード付きのダボついたパーカーを着込み、ピンクのゲーミングチェアにちょこんと収まり、ゲーミングPCに映る配信画面越しに全世界のリスナーに向かってゆらゆらと手を振る女性。
 彼女の名前は――登録者数およそ百十数万人の大人気女性ゲーム実況配信者『桃源坂こなみ』。

 彼女の配信は、いつも血圧の低そうなダウナーでか細い声とお決まりの挨拶から始まる。
 そんな彼女の売りは――外見や振舞いのユルさとは正反対の、暴力的なまでのゲームセンスによる無双プレイ。
 彼女はジャンルを問わず、あらゆるゲームを天賦の才で顔色一つ変えずに無双し攻略してしまうことで知られ、同業者からは恐れられてすらいる存在だった。

 そんな彼女が珍しく眉をひそめ、元々眠そうな半目をさらに細くして悩んでいる相手は『最新話題の鬼畜ゲー』でも『嫌がらせ目的に作られたバカゲー』でもない。
――日本の古い伝統的ボードゲーム『将棋』だった。

「……こいつつよいし……。 このゲームややこしいかも」
 一見、愚痴のようにも聞こえる一言だったが、どこか楽しそうな声色だった。

 こなみは以前、2つの違うゲームを同時に実況プレイしながらコメント欄のリスナーと雑談するという、曲芸まがいの配信をなんなくやってのけた事がある。

 こなみはエナドリのプルタブを開けると中身の半分を一気に喉に流し込み、その人外レベルの脳のリソースの全てを目の前の画面に映る一つの盤面に投入していた。

――戦形は『角代わり腰掛け銀、新型同形』。

 お互いに自陣の空間を計算しつくされた駒の配列により全て埋めて角の打ち込みを消して、最善形を維持しながらパスに相当する手を連打し、相手の自爆を狙う作戦。

 現在、最も将棋の終わりに近い場所にある戦法でもあり、ゲームとしての楽しさよりも機械的な解析作業に移りつつある、既に人の手には負えない形でもある。

 そんな戦形を、桃源坂こなみはある一人のユーザーと、延々ネット将棋を通じて画面越しに指し続けていた。

 総配信時間の半分のおよそ三時間はこのユーザーとの対戦で、現在の戦績は異例の25戦25引き分け、だった。
 ルールから初めて僅か三時間でいつものようにネット対局場で無双プレイをかまし、あっさり七段に上がったその時、突然申し込んできたプレイヤーの名前は【Dakusii】。

 将棋好きなリスナー達も知らない相手で、しかしこれまでの相手とは明らかに次元が違う強さだった。
 AI最善手は当然。こなみの僅か点差-50の一手から風穴を空けてくる指し手。
 一手10秒の早指しルールなのに、その内容はもはやプロの二日制のレベルを凌駕していた。
 そうして指し続けていると、その相手【Dakusii】からチャットが来た。

『――Dakusii 今日はもう遅いので、勝手ながらまた日を改めて如何でしょうか?』

 確かにもう時刻は日付も代わり午前一時を過ぎていた。
 ゲーム配信者ならこれからという時間だが、相手が一般人ならとうに寝ている時間帯だろう。
 渋々ながら、こなみも了承のチャットを送る。

『Tougenzaka_konami わかりました。本日は遅くまでありがとうございました。また是非教えてください』

『Dakusii こちらこそありがとうございました。とても勉強になりました。またお願いします。』

 そのチャットを最後に、【Dakusii】は対局場から退出した。

「……だれだったんだろうね。 鬼つよだった……ね、みんな?」

 コメント欄には『バケモンバトル』『もう将棋辞めます……』『恐ろしいものを見てしまった』など、称賛と畏怖が入り交じったコメントが高速で流れ、スパチャも飛びまくっていた。

 そんな阿鼻叫喚のコメント欄を眺めながら、ふう、とこなみはため息を一つついて天井を仰ぐ。

――ゲーム配信を始めてから三年。

 世界中に手を伸ばせば、きっと見付かると思った『わくわく』も、結局見付からないまま月日が過ぎてしまった。
 子供の頃のように、みんなこなみを怖がって遊んでくれなくなってしまった。

 でも今、初めて……ようやく、現れた。
やっと、見つけられたのだ。
 思い切りの全力を預けられる、そんな相手が。こなみの前に現れたのだ。

「……次はぜっっったい負けない。 引き分けじゃ引き下がれない。」

 こなみが、飲みかけのエナドリを一気に飲み干して、空になった缶を机に叩きつけた。

「 次は、ぜっっったい勝ち越してやるの……!」

 こなみが、初めて感情を顕にし、笑みを浮かべた。
 長らく退屈に錆びていた表情筋で作られた笑顔はコメント欄で『魔女の微笑』などと冷やかされてしまったが。
 こなみの心に初めて焔が灯ったのを、視聴していたリスナー達も、こなみ自身も確かに感じ取っていた。

――同時刻、都内某所のマンションの一室。

「えーっと……『こちらこそありがとうございました。とても勉強になりました。またお願いします』……と」

 旧式のPCを前に、事務椅子に座り、辿々しい手つきでキーボードを叩く、眼鏡を掛けた中年の男性がそこに居た。

「あっ。 来月の三日はいよいよ名人位のタイトル防衛戦の一日目か……早いなあ、年月の流れは」

 彼は、独り言を呟きながら席を立ち、別室で現実の将棋盤で駒を並べ始めた。

……娘に教えてもらって、何とかパソコンを使えるようになったけど――苦労したかいがあったな。
 あんなに強い人が居るなんて。これなら、退屈のしようが無さそうだ。
 しかし、それにしても……。

 一枚の駒を音もなく指先でつまみ上げ、盤上に向けて一閃。振り下ろす。
 真っ直ぐに盤に指された指先がしならせ弾いた駒音は、まるで彼の心に呼応するかの如く高く澄み渡り、部屋に鳴り響いた。

「僕はまだ、入り口にも立って居なかったんだって……。 この年になって気が付かされるなんて……将棋はなんて面白くて、深くて、広い世界なんだろう」

 齢、50と少しの男性が、少年のような瞳で盤上を見つめていた。

 プロ入りから30年。未だ勝率八割の全タイトル独占経験者。
 その長い、長い、孤独の戦いの中で凍えかけていた彼の心の中にも――また消えない焔が灯る音が確かに聞こえた。

10/26/2025, 2:40:48 PM

「終わらない問い」

午前三時。
微睡んでは覚め、また微睡んでは覚めを繰り返すある日の夜。
私は眠ることを諦め、ただ横たわったまま朝が来るのを待っていた。
小夜時雨が窓を濡らす音だけが部屋を満たす、静かな夜だった。

こんな夜ほど、いつにも増して忘れていたことを取り留めもなく思い出すものだ。

どれだけ彩られた日々を過ごしてきたとしても、いつかは遠花火の残響のように殆どのことは忘れ去ってしまうものだけれど。

でも、大切なことだけは、昨日のことのように思い出してしまうものでもある。

戻れはしないのに。ただ、いたずらにノスタルジーを掻き立て感情を揺らす、甘暗い過去の残映。
もう同じ世界にいない、大切な人の冷たい温もり。
私はその幻日のような全てを抱き締めるように布団の中で身体を丸め、後悔と闘うように終わらない問いを繰り返しては打ち消し、ただ雨の降る音に身を委ねようと努め続けながらひとりの夜を過ごしていた。

そうしているうちに、気が付くと窓の外は明るくなり始めていた。

相変わらず降り続く雨と寝不足が寄越した気だるさを背中に背負いながら、私は日課のコーヒーを入れる為にゆっくりとベッドから起き上がった。

私はあと何年、何十年先も、眠れぬ夜の度に終わらない問いを繰り返して過ごしていくのだろうか。

そんな憂いを吹き消すように、薄明かりの射し込むカーテンを引いて窓を開け、秋の寒空を部屋に招き入れた。
時折、雨の匂いが混じる風が吹きこむ中、まだ熱いコーヒーを少しずつ飲みながら、窓の外の変わらない景色を眺める。

私はまた新しい朝を迎え、訪れた今日を生きていく。

10/25/2025, 4:08:46 PM

「揺れる羽根」


図書館の一番奥。
決まった時間、決まった席にいつも座っている女性がいた。

彼女の見た目は、目深にフードを被り、いつも同じような格好をしている以外は特に変わっているという程ではなかったが。
それよりも気になったのは、彼女の読んでいる本のタイトルが、いつも微妙に変わっているものばかりだった事だ。

一週間ほど前に見た時は……。
確か――【突き刺さったスプーン】とかいうタイトルの本を読んでいたし。
三日前は【止まったコーヒーカップ】だったかな。

そして今日は【揺れる羽根】というタイトルの分厚い本を真剣な眼差しで読んでいる最中だ。

彼女の年齢は私と同じくらい……二十代前半か。もしくは十代後半ぐらいに見える。
そのくらいの年なら、漫画やライトノベル。
もしくは、もう少し爽やかな恋愛小説でも読んでいそうなイメージがあったが……。

まあ『自分の常識 他人の非常識』というやつだろうか。
私は少し離れた席に座り、読んでいる最中のラノベに視線を戻した。

暫くすると、本を閉じる音が聞こえた。
あの分厚い本をもう読み終わったのだろうか。
ふう、と息をつくと、彼女は席を立って近くの本棚に本を戻した。

――【揺れる羽根】か。
内容が気になった私は、その本を棚から取り、席に戻る。
少しわくわくしながら、私はその本を開いた。

―――――――――――――――――――

半分ほど読み進めた辺りで、私はそっと本を閉じ、棚に戻した。
本の内容を要約すると『これから出荷される運命にあるオス鶏とメス鶏の悲恋』を描いた小説だった。

……私は内容より先に、このテーマで長編を書き切った本の著者に感動を覚えた。
同時に、私の心の中では「一生出会わないであろう世界に触れてしまった感動」と「時間を返して欲しい」という率直な気持ちが隣り合って座っていた。

それから、数日後。
相変わらず彼女はいつもの時間。決まった席に座り、本を読んでいた。

タイトルは――。
「……気になりますか?」

気が付くと、彼女はくすりと笑みを一つ浮かべ、こちらを見ていた。

どうやら、本のタイトルが気になりすぎて、いつの間にかじっと見てしまっていたらしい。

「あ……ごめんなさい」
ばっちり目があってしまい、顔が赤くなる。
私は誤魔化すように、自分が読んでいたラノベに視線を戻した。
すると、暫しの間を置いて彼女の方から話し掛けてきた。

「……よろしければ……私、お店。 古本屋をやっておりまして」

彼女が、すいっと一枚の電話番号と住所の書かれたメモを滑らせるように差し出して来た。

「今度は、是非私のお店にいらしてください。 私が喜びますから」

妙な言い回しで伝えたいことだけを伝えて、彼女は席を立ち、その足で図書館を出て行ってしまった。

「綺麗だったけど……ミステリアスというか、変な人だったな」

メモには、お店の名前も書かれていた。
そのお店の名前を確認した私は……とりあえず、彼女は酔狂や暇潰しでテキトーに本を選んでいたわけではなかった事だけは理解できた。
なんとなく彼女の存在に興味を持った私は、自分の読んでいた本を棚に戻し、図書館を後にした。

「事実は小説より奇なり」
とは、誰の言葉だっただろうか。

私は自分の心が揺れる羽根の様に踊っているのを感じながら、秋の遊歩道を歩いていた。

10/24/2025, 3:22:02 PM

お題:秘密の箱

タイトル「魔女ロゼ・アルマーニャと呪いの箱の伝説」
―――――――――――――――――――
:プロローグ【国家魔女試験】


「えー……受験番号666番、ロゼ・アルマーニャ。 前に」

「は、はい!」

――ここは【ラインベルト王国】の首都「マルゼンバルト」中央広場。

晴天の下、大聖堂前の広場に集まる人々は、皆どこか緊張した面持ちで並んでいる。

それも当然だ。
なぜなら、今日この場所では名誉ある「国家魔女資格」を得るための選定試験が行われているのだから。

国家魔女――それは、疫病や襲い来る魔物などから人々を守る才ある魔女達の集いにして全ての魔女の憧れ。

「では、準備は宜しいですかな? 良ければ早速始めなさい」
貫禄のある声で、試験官の一人がロゼに呼びかける。

ロゼはこくりと頷くと深呼吸をひとつ、前を向く。
空に手をかざし、意識を集中させ、並べられた的に狙いを定め詠唱を始める。

『大いなる数多の神々よ……』
詠唱と共にロゼの周囲に魔力の奔流が生まれ、頭上に集まって行く。

「おお……これは……」
試験官も群衆も、ロゼから感じる凄まじい魔力に圧倒され、思わず息を飲む。

『その叡智を我に今授けたまえ! さればその力で恐るる全ての災厄を消し去りたもう!!』

ロゼの頭上に渦巻く魔力の塊は、放つ波動だけで地鳴りを起こし、どんどん膨らんでいく。
群衆がわっ、と歓声を上げる。
試験官も思わず身を乗り出し、ロゼの魔法に目を見開く。

『我の命に……呼応し! 立ち塞がる魔を払い道を開け!!』

ぽむっ――。

「……ん?」
群衆と試験官全員が呆気に取られる。
あれだけ派手な雰囲気から放たれたのは、ちょっとした火花と煙だけだった。

「あはは……ちょっと押さえすぎちゃいまして……。 その、もう一回やらせてもらえたりとか……」

「……666番、もういい。 帰りなさい」

「そ、そんなあ……」
ロゼは泣きそうに顔をくしゃくしゃにしながら、肩を落としてその場を立ち去った。


:第一章【ロゼ・アルマーニャ】


「ああ……なぜ私はいつもこうなるのかしら……」

町の端にある小さな酒場のカウンターで、ロゼは「不合格」の太鼓判が押された羊皮紙を片手に握り締めながら、独りでミルクを喉に流し込んでいた。

……あの試験官たちと群衆の冷たい視線は、暫く夢に出そうだった。

「あ~あ! 魔力には自信あるのに全然制御出来ないし! ……思いっきりやるわけに行かないしなぁ……」

――実は、ロゼは伝説の大魔法使いの家系に生まれた魔女だ。
扱える魔力の量だけなら、王国中を探しても並ぶものは居ないだろう。

しかし、逆にそれが仇になり、制御が全く効かないのだ。
昔、小さい頃に『指先から蝋燭程度の火を灯す呪文』を唱えた時には、隣町から見える程の火柱が上がり大騒動になった事もあった。
それから、ロゼは限界まで魔力を押さえる訓練をしてきたが……成果は出ず今日に至る。

「……私も、おばあちゃんみたいな立派な国家魔女になりたかったのになぁ」

ロゼはため息を一つついて立ち上がり、革袋から銀貨を数えて出し、カウンターに置いて店を出た。

酒場から出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
ランタンに火を灯し、我が家を目指して歩き始め――。

「んぎゃあっ!!」
道に落ちていた何かにつまづいて、盛大に転んだ。

「あ~もう! 今日はほんとに散々! イヤーっもう!! ……むきーっ!!」
鬱憤が限界に達したロゼは、道に寝転がったまま駄々っ子の様に暴れた。
酒場の近くだったせいで酔っぱらいと思われたのか、道行く人も何も言わず避けて行くだけだった。

暫くして落ちついたロゼは、自分がつまづいた何かにランタンを向けた。
「……何これ。 何か、嫌な気配……」
そこに落ちていたのは、オルゴールぐらいの大きさの、金属で出来た紫の箱に、どこか禍々しい雰囲気のする金の装飾が施された妙な箱だった。
ロゼが足を引っ掛けて蹴り飛ばしたのにびくともしていない所から、相当に重たい物だと分かる。

「この感じ……まさか」
ロゼが、ごくりと唾を飲む。
箱の隙間からは、絶え間なく邪悪な魔力が微かに漏れ出ていた。

次の瞬間――耳をつんざくような咆哮と悲鳴が、町のあちこちから聞こえた。
―――――――――――――――――――

第二章【襲来】


【精霊の加護を我が手に! 大地よ! 鳴動し邪悪を退けよ!!】

国家魔女たちが隊列を組んで大魔法を詠唱する。
首都マルゼンバルトの夜空に、真昼のような閃光が連続して炸裂し、轟音が絶え間なく鳴り響いていた。

――それは、突然の出来事だった。
首都全体を囲む様に大地が裂け、おびただしい数の魔物達がそこから這い出し、町を襲い始めたのだ。
逃げ惑う人々。
倒せども数を増す魔物の群れ。
押され、倒れていく兵士と国家魔女たち。

町はもはや、収拾困難な状況に陥りつつあった。
「避難を!! 早く!! こっちに!!」

兵士たちが、市民を中央広場に誘導する。
全方向から魔物の群れが町を囲んでおり、もはや逃げ場など何処にも有りはしなかった。

その頃、ロゼは、町で一番高い時計塔の最上階を目指して駆け登っていた。
「あの箱……! 確か、おばあちゃんの本にあった……」

本には確かこう記されていた。
『災厄が訪れるその時、その地には何処からともなく【箱】が現れる。
その箱には、この世界の全てを滅ぼす呪いが詰まっているのだ』、と。

息を切らしながらも、何とか時計塔の最上階にたどり着いた。
だが……眼下には、悲惨な光景が広がっていた。
「そんな……こんなことって……」

町は、あちこちから火の手が上がり、壊滅状態だった。
国家魔女たちの魔法ももはや中央広場を守るのが精一杯の様子だったが、魔物の数はさらに勢いを増していた。

その光景を見て、ロゼは覚悟を決めた。

「私が……やるしかない!!」

ロゼは、生まれて初めて自身の魔力を全て解放した。
身体がバラバラになりそうな程の膨大な魔力が際限無く溢れてくる。

【……大いなる数多の神々よ】
魔力が、ロゼの周りを渦巻き始める。

異変に気がついた魔物達が、一斉にロゼの居る時計塔に向かってくる。
しかし――中央広場からの援護射撃が、魔物達の足を止めた。

「誰だか知んないけど、何この凄まじい魔力の波動……!」
「この魔力……何処かで?」
「――っ! あの時計塔に近づけさせるな!!撃ちまくれ!!」

中央広場から、国家魔女たちの叫ぶ声が聞こえる。
その隙を逃さずに、ロゼは最大火力の魔法を詠唱する。

【その叡智を我に今授けたまえ――さればその力で恐るる全ての災厄を消し去りたもう!!】

激しい魔力の波動が衝撃波となって絶え間なく空間を切り裂き、もはや魔物達は近寄る事すら出来なくなっていた。

【我の命に……呼応し! 立ち塞がる魔を払い道を開け!!】

ロゼが天高く右手をかざすと、時計塔を中心にして、まるで隕石が衝突したかのような衝撃波と閃光が夜空に爆ぜ、魔物の群れを一匹残らず消し飛ばした――。

―――――――――――――――――――

:エピローグ「未来」


あれから数年の時が経った。

あの日の出来事は『伝説の大災害』として歴史に刻まれ、町には至るところにその痕が遺されていた。
中央広場には、あの時犠牲になった多くの人たちを弔う為の石碑が建てられていた。

そして少し離れた所にある時計塔前には、町を救った『伝説の魔女』の像が建てられていた。

あれからロゼは、自身の全ての魔力を注ぎ放った大魔法の反動で殆どの魔力を失ってしまって。
せいぜい、指先に蝋燭程度の火を灯すのが精一杯なくらいになってしまい……国家魔女は諦めざるを得なくなってしまった。

そんなこんなで色々あって、現在ロゼは町の外れにある小さなパン屋で働いていた。

「ロゼー!? 焦げてるっ! てかパンが燃えてる!!」
「わーーー!? 水、水、水ーーー!!」

伝説とは、その名の通り遠い遠い過去から未来へと伝えられていくもので。
それが嘘か本当かなんて、誰にも確かめようがないものが殆どだ。

しかし、少なくともこの町を救った伝説の魔女は、今日もこの町の片隅で、誰もあずかり知らない所でこっそりと平穏に暮らしているのだった。

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