『透明な羽根』
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いつもありがとうございます。
表現には気を遣っていますが、ちょっと露出がすぎました。
(今回もなかなかひどいです。すみません)
苦手な方は「次の作品」までスクロールをして、自衛をお願いいたします。
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浮き出てきた肩甲骨に我慢ができなくなり、軽く歯を立てた。
「あっ……」
焦らしながら丁寧に煮詰めた彼女の皮膚は、敏感に俺の熱を拾う。
常夜灯の灯りで神秘的に揺らめく肩甲骨の影を、舌で、唇で追いかけた。
神聖な天使の羽を無理やり引きちぎっている感覚に陥る。
触れられない、見えない、羽を広げて風を取り込む音も聞こえなかった。
それでも俺は、彼女の忙しなく、苦しそうに蠢く影に魅入られる。
彼女の虚構の翼の根本に、我を忘れて貪っていった。
*
吐き出した欲を処理し終えたあと、下着のみを纏って寝室から出る。
温タオルとミネラルウォータの入ったペットボトルを持って再びベッドまで戻ると、彼女は壁側で丸まっていた。
……またそっぽ向いてる。
いつまでも恥ずかしがる彼女に、強引に後ろから迫ったのは俺だ。
今の彼女の後ろ姿に、先ほどの情事で抱いた幻想さは感じられない。
庇護欲を掻き立てられる小さな背中だ。
いじけて縮こまっている背骨の山を指先でなぞる。
「み゛ゃあっ!?」
彼女の肩が大きく跳ねて、色を含まないかわいい声が寝室に響いた。
「ふっ、ごめん」
「まだ触らないで」
「体が冷えちゃうからダメですよ」
尾骶骨までたどり着いた指先を往復させていく。
声を抑える姿も愛らしくて堪能したいのは山々だが、彼女の体をきれいに拭っていくのが先だった。
「温タオルも作ってきましから、ね?」
「すぐ出てったと思ったら……」
「温かいの好きでしょう?」
「それは、まあ……」
ぽてん、と力なく寝返りを打って仰向けになる。
熱の引かない蕩けた瑠璃色の瞳が、ぼんやりとしながらも俺を捉えた。
「寂しくさせてしまいましたか?」
「別に」
唇を尖らせた彼女が、不貞腐れながら意地の張った言葉を溢す。
「どうしたんだろって思っただけだもん」
それを寂しいと言うんでは?
「それは失礼しました。でも、温タオルまで冷えては意味がないので、体、起こしてください」
本音を隠してタオルを広げると、彼女はムッと頬を膨らませた。
「動けないから抱っこ」
「……」
ジェスチャーすらなく、手短な言葉だけの要求に開いた口が塞がらない。
堂々と甘える彼女のワガママでかわいい姿に、バクバクドンドン心臓が好き放題暴れ始めた。
「今日はずいぶん素直ですね?」
望み通りに上半身を抱き起こす。
甘えすぎたことに気づいた彼女は、気恥ずかしそうに視線を泳がせた。
「れーじくんのせいだもん」
「光栄です」
俺の愛の重さに屈したのか、それとも眠気が襲ってきたのか。
体に力が入らないのは本当らしく、気怠そうに俺の背中に腕を回した。
くったりと俺の体を支えにして、無防備に身を委ねる。
温タオルを当てるたびに体が揺れて、控えめな弾力が俺の皮膚に触れた。
その摩擦で彼女が気の抜けた悩ましい声をあげるから、あわよくばワンモアタイムと叫びそうになる。
その欲望をしまい込むために、彼女の頭から服を被せた。
彼女が拗ねているのは、俺が我慢できずに後ろから果てたからだ。
恥ずかしがるクセに、顔を見ていないと不安そうに乱れる。
理性を手放しきれないそんな彼女のリクエストに、次はきちんと応えようと思っていた。
しかし、どうやら彼女は本当に限界らしい。
袖を通した彼女の手を絡めて、軽くキスをする。
チロチロと唇を啄んでいると、不意に瞼を持ち上げた彼女と目が合った。
キスの最中で彼女と視線が絡むことなど滅多にない。
加えて、蠱惑的に誘い込む視線にぞわりと背筋から熱が昂った。
薄い桜色の唇を割ろうとしたとき、彼女の腕が俺から離れる。
はっ!?
咄嗟のことに、支える手を伸ばすことができなかった。
朗らかな微笑みを浮かべたのはほんの一瞬。
「……ありがと」
か細いその言葉とともに、重力に従った彼女の体が後ろに放り出される。
ばふんっ、とマットレスの弾力によって彼女の後頭部は一応、守られた。
油断していると目の前からいなくなってしまいそうで、いつまでたっても安心できない。
目に見えないはずの、噛みちぎった天使の羽根。
彼女の衝動の力を借りて、ふわふわと天に舞うのが見えた気がした。
「俺も寝よ……」
既に小さな寝息を立てる彼女を枕元まで移動させて、彼女の隣に潜り込む。
シーツから溢れた小さな羽毛がひとつ、ベッドの下にこぼれ落ちた。
『灯火を囲んで』
ん……?
肩にかかったブランケットと、下半身の違和感に気づいて、自分が眠っていたことを知る。
リビングのローテーブルでパソコン作業をしていたはずだが、いつの間にか寝落ちしてしまったようだ。
どのくらい意識が飛んでいたのか。
スリープ状態になっているパソコンの画面で時間を確認しようと、指を動かそうとしたときだ。
「……つっ……!?」
左側の太ももに痺れが走り、悶絶する。
反射的に足の痺れを逃そうと手を伸ばした瞬間、丸々とした青銀の後頭部に触れた。
なんっ!?
はああぁっ!?
頭部の主は妻である彼女だ。
叫びたくもなる声を無理やり殺して、伸ばした手を慌てて引っ込る。
あああぁぁおおおおあっ!?
痺れを逃さぬまま体勢を動かしたせいで、足の痺れに声をあげそうになったが、そこは気合いで我慢した。
大きな音を立てずにはすんだものの、一連の動作は慌ただしい。
それなのに、彼女は微動だにしなかった。
あ、あれ?
俺の左隣はすっかり彼女の定位置である。
彼女は足を正し、そんな俺の左太ももの上に突っ伏していた。
丸まると、ことさらに小さく感じる背中。
恐る恐る触れると、規則正しく上下する背中から、ポカポカとした体温が伝わった。
……これ。
もしかして、寝、てる?
小さな両手で俺の太ももに縋りつきながら、すぴょ、すぴょと小さな寝息を立ていた。
いわゆる、ごめん寝とも称される体勢にフッと息が溢れる。
「猫かな?」
パソコン横に置いていた携帯電話で、彼女の珍しい姿をカメラに収めた。
普段から睡眠に気を遣っている彼女は、滅多に昼寝をするような人ではない。
この貴重な姿と時間をもう少しだけ堪能したくもあった。
とはいえ、この体勢では彼女の足も痺れてしまうだろうし、なにより顔が見えない。
もったいない気もするが、俺は彼女の背中を揺すって声をかけた。
「起きてください。こんな体勢で寝ていたら、体、痛めますよ?」
「ふぁ……ん……?」
顔を上げた彼女の視線は定まっていない。
こっそりと、寝ぼけ眼な彼女の姿を1枚撮った。
そして、先ほどの俺と同じ状況になっていないか確かめる。
「体、痺れてないですか?」
「だい、じょうぶ……」
「ブランケットありがとうございます」
「ん」
「でも、これではあなたの体が冷えますよ?」
ブランケットを彼女に被せるが、煩わしそうにペンッと払い除けられてしまった。
「こら」
「いーの」
再び、彼女は顔を俺の太ももに乗せて頬擦りした。
「れーじくんのが、あったかい」
んっ!?
かわいいなっ!?
かわいいが、俺の腹側に顔を向けてのそれは、かわいいだけではすませてあげられなくなる。
彼女の耳朶に触れて顔を上げさせた。
無自覚な瞳と無防備な角度で絡み合う。
う、わー。
目に毒すぎる。
状況を打破したいのに、悪化するのはなぜなのか。
迫り上がってくる爛れた衝動を、彼女に悟られないように堪えた。
「そんな隅っこで遠慮してないで。暖をとるならこっちでしょう」
両腕を広げると、彼女はもそもそと体を起こして正面から抱きついてくる。
「んっ?」
素直すぎる背中をあやしていると、彼女が顔を向けた。
「ねえ? これ、作業できなくない?」
「今さらですか?」
その注意は抱きつかれた今のタイミングでは効果を発揮しない。
瞼の上にキスを落として、瑠璃色の瞳を塞いだ。
意外としっかり寝入っていたらしい。
ぽやぽやと反応が緩やかな彼女の唇に、唇を重ねた。
「休憩です」
「そっか」
キスの合間に冗談めかせば、彼女は甘やかな笑みで受け入れる。
彼女は背中に腕を回し、俺をぬくぬくのカイロにし始めた。
あー、かわいい。
幸せだ。
俺への触れ方に、彼女の躊躇いが少しずつなくなってきている。
じっくりと時間をかけて、ことあるごとに俺が彼女のものであることを刻みつけてきた。
その努力が報われていることを知る瞬間は、いつだって幸福感に満ち足りていて心地がいい。
これからも努力は惜しまないと、抱きしめている彼女に誓った。
幸福という灯火を、これからも彼女と囲んでいくために。
『冬支度』
群をなして目の前を歩く女子高校生たちは、寒い寒いと悲鳴をあげていた。
胸元を大きく開いて、丈を短くするためにウエストを折り込む。
プリーツの乱れた短いスカートから伸びた生足に、鳥肌でも立てているのだろうか。
見ているこちらのほうが寒くなった。
それとなく群れから目を逸らして、彼女に目を配る。
俺の隣を歩く彼女も俺と同じ心境なのか、ブルブルと震えながら腕をさすった。
フリースジャケットのファスナーを締め、フードを被り、ジャケットの袖を引き伸ばして指先を温めている。
下もフリースのスウェットを履いて完全防備だ。
「寒……」
誰に聞かせるわけでもなく、ぶつける当てもない感情を吐露する。
赤くなった鼻っ柱をすんすんさせながら、身を縮こませた。
うん。
かわいい。
女性としての基礎点が天元突破しているせいだろうか。
ボーイッシュでラフな格好をしていてもマジで天使。
「そろそろマフラーとか、ダウンとか出しましょうか」
「賛成ー」
こくこくと小刻みに彼女はうなずいた。
本格的に冬支度を進める前に、俺は彼女に釘を刺しておく。
「あ。今年は軍手、買ったらだめですからね?」
「え、なんで?」
寒気のせいで少し潤んだ瑠璃色の瞳が、不思議そうに俺を見つめる。
去年、軍手を買わせないために手袋を新調したのだ。
「普段使い用の黒い手袋。買ったじゃないですか」
「あれ。そうだっけ……?」
記憶から抜け落ちてしまったのだろうか。
思い出せないで眉を寄せているいる彼女に、笑みが溢れた。
「忘れちゃいました?」
「ごめん」
覚えていないという後ろめたさから、彼女はしょんもりと肩を落として謝ってきた。
「いえ。あなたが謝る必要はどこにもありませんよ」
彼女が忘れてしまうほど、たくさんのデートを重ねてきた証拠である。
喜びこそすれ、落胆する理由などあるはずがなかった。
「それに、あなたの身の回りのお世話をかって出たのは俺です」
「そういやそんなこと言ってたような?」
記憶でも辿っているのか、彼女は腕を組んで考え込む。
「…………いや。待て待て? そんな言い方だったか?」
いぶかしんだ彼女のその言葉には笑ってごまかしておいた。
俺の反応よりも、彼女は自分の記憶のすり合わせに忙しくしている。
「でもダメだ。自分で買わないとなに持ってるかわかんなくなっちゃうな」
「問題ありませんよ」
そもそも、彼女の手袋に関しては俺が管理すると言ったのだ。
彼女が覚えていられないなら、俺が覚えておけばいい。
「下着からストッキングまで、あなたの洋服と小物類の管理は任せてください♡」
「一気に任せたくなくなったが?」
おや? なんでだ?
すっごく嫌そうな顔してる。
でも、鼻っ柱を真っ赤にしながら不貞腐れている姿もかわいい。
携帯電話のカメラを彼女に向けて、シャッター音を鳴らした。
音に気がついた彼女が視線をこちらに向けてくれる。
「あ。ちょっと」
カメラ目線なんて貴重な機会を、俺は心ゆくまで堪能した。
「無言でカメラ向けるのやめてってば」
「かわいいから大丈夫です」
「そういう問題じゃないっ」
すっかり「写真を撮るな」と言わなくなったあたり、時の流れを感じる。
携帯電話の容量がいくらあっても足りなかった。
「そんなことより、帰ったらファンヒーターと羽毛布団も出しましょうか?」
「出す!」
間髪入れずにうなずいて、彼女はキラキラと表情を輝かせた。
かわっ……!?
いや、知ってた!
華やいだ笑みに、心臓がドコドコと様子のおかしい音を立て始める。
サプライズでカイロを買って渡したら、どんな顔をしてれるんだろうか。
無垢すぎる光に耐えられず、俺の心臓が爆発してしまうかもしれない。
ウキウキと足を弾ませる彼女をカメラに収め続ける。
ほかほかと俺の幸福度も温まっていった。
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いつもありがとうございます。
読まなくても大丈夫ですが、2025年10月22日のお題『秋風』と少し関連づけております。
ご興味ありましたら、目を通していただけるとうれしいです。
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『時を止めて』
少し遅めに家を出て、少し遅めのランチを楽しんだ。
店で長居をしすぎたせいか、既に日は傾き始めている。
西日が彼女の横顔を差した。
うっすらとオレンジ色に光る温かい膜を、青銀の柔らかな髪の毛は受け入れる。
スローモーションのような焦ったい視線よりも先に、長い睫毛が俺を捉えて小さく震えた。
黄金色の光を乗せた瑠璃色の瞳で、彼女は柔らかな声音で俺の名前を呼ぶ。
きれいだな。
神秘的な美しさに見惚れている一瞬で、冷えた秋風が雲を運び、雲が彼女の姿を影で覆った。
叶うことなら時を止めていたい。
当然ながらそんな特殊能力は持ち合わせていないし、そもそも彼女の美しさは流動的だ。
彼女はどの瞬間を切り取っても輝かしい。
シャッターに収められなかった溜飲を、俺は苦し紛れに下げた。
「ねえ。聞いてる?」
「聞いてますよ。最後にハンカチが欲しいんでしょう?」
ブスッとむくれる彼女に首を傾げる。
「……違う」
あれ?
おかしい。
いくら見惚れていたとしても、彼女の要求を聞き逃すわけがないと思っていたのに。
日に日に魅力が増している彼女だ。
魅了スキルが爆発して攻撃力が上がってしまっているのかもしれない。
耐性がつくどころか拗れていくのだ。
できるかどうかはさておき、適宜修正が必要かもしれない。
「ハンカチを選んでほしいって言ったの。ちゃんと聞いて」
俺が普段から、アレもコレもと押しつけているせいだろうか。
今日は結婚記念日こと、彼女の誕生日だというのに。
彼女が希望するプレゼントは毎年、ハンカチのみだった。
タオルハンカチや少量のコロンを一緒に添えたりと、多少の変化はつけている。
とはいえ、ハンカチを贈ることは、すっかりルーティンと化していた。
「毎年のことなんで、ちゃんとわかっていますよ」
細かい言葉尻を突かれて、つい大人げなく言い返してしまった。
彼女が拗ねていじけてしまう前に、慌てて己の失言に平謝りをする。
「……っと、すみません。今のは失言がすぎました」
「わかってくれてるなら、いい」
案の定、彼女は切なげに眉毛と肩を下げた。
毎年、彼女は自分の誕生日に俺にハンカチを選ばせる。
理由はわからないが、その行為に特別な意味を持たせていることは明らかだった。
事前にハンカチを用意することは許してくれない。
彼女の誕生日当日。
互いの都合が悪いときは直近の休みをふたりで合わせて、わざわざ店頭に出向いて選んでいた。
洗濯を苦手とする彼女が、贈ったハンカチを丁寧に手入れをしながら1年間使い続けている。
そのいじらしい姿からも、俺にハンカチを選ばせるという行為そのものが特別であることはわかりきっていた。
悪い気はしないから、今のところ詳しく問い詰める気もない。
しかし、物足りないのだ。
彼女の尊い命がこの世に生誕した奇跡的な日だというのに、貢ぎ足りない。
いっそのこと、30年くらいローンを組んで家でも贈ってやりたい気分だった。
「やめてね?」
「まだなにも言っていませんが?」
我ながら妙案だと思っていたが、彼女が怖い顔で睨みつけてくる。
「今、ろくでもないもん押しつけようと画策したろ?」
「失礼な」
「その顔! 絶対ヤバいとこ考えてるときの顔だからな!?」
家を建てることのどこがろくでもないというのか。
プンスコとテンションを上げていく彼女を前に、それならばと、俺も代替え案を求めた。
「だったらもうひと声、なにかプレゼントさせてくださいよ」
「ええ? でも、指輪だってもらっちゃったし、十分すぎるくらいだよ?」
はぁ?
いつまでそんな生ぬるいことを言っているのだ。
つきたくもない、ため息が溢れてしまう。
「指輪は俺の推し活資金から捻出しているので、プレゼントとしてカウントされると困ります」
「え?」
結婚して3年。
毎年、ペアリングを贈り続けているのは彼女の誕生日を祝うためというよりも、俺のためだ。
彼女の結婚記念日は、俺のための記念日でもある。
結婚指輪の上に、今年贈ったばかりの真新しい指輪が、彼女の細い薬指に光っていた。
その小さな左手を両手で包み込む。
「あなたの誕生日は推しの誕生日でもありますから。この1年、推させてくれた感謝の気持ちと、また1年、推させていただくことができるという尊さを噛みしめるために贈っています」
「……?」
目を見開いたまま、彼女の思考が止まっている。
「今年も1年、どうぞ俺と仲良く過ごしてくださいね♡」
首を傾げたままほうけている彼女の耳元に、わざとらしくリップ音を立てた。
ハッと我にかえった彼女の頬が、赤く染まっていく。
「年始みたいな口上になってんぞ?」
「あなたと出会って以降、俺の年始は今日です」
「うわ、初耳」
「俺、毎年あなたの誕生日前後は年末年始として休みを取ってますよ?」
「………………」
どうせ世間の年末年始では彼女と一緒に過ごすことは叶わず、ひとりきりで過ごすのだ。
一年の区切りをつけるのであれば、彼女の誕生日のほうが気持ちとしては都合がいい。
あぜんとする彼女の手を引いて、ハンカチを選ぶために店に入っていくのだった。
『キンモクセイ』
艶のある緑の葉の隙間から、小さな橙色が秋の到来を告げる。
道を歩けばいたるところでキンモクセイの強くて甘い香りが鼻腔をくすぐった。
秋の代表格ともいえるキンモクセイの花弁は、気まぐれに気候を弄ぶ秋と昼夜問わずに戯れる。
連日の雨。
冷気を運ぶようになった秋風。
瑞々しく咲かせていた鮮やかなキンモクセイの花は、遊び疲れて地に落ちた。
吹き溜まりとなって道の隅に追いやられた小さな花弁たちは、乾燥してくすんでいく。
それでもなお、キンモクセイは暗く冷たいアスファルトに彩りを与えた。
キンモクセイの芳醇な残り香をほのかに纏いながら、俺は帰路に着く。
短命な秋の陽気は、早くも冬の準備を進めていた。
厚手のトレンチコートでは心許なく、鼻っ柱に冷えが集中する。
コートのポケットに両手を深く突っ込んで冷えを凌いだ。
*
帰宅後。
最後の抵抗と言わんばかりに、彼女が濁り湯の入浴剤を浴槽に入れた。
浴槽に張った透明のお湯が、淡い橙色に変化していく。
その瞬間、金木犀の香りが浴室に甘く広がっていった。
俯いて俺と視線を合わせぬまま、彼女は小さな体をさらに小さくして、湯船に浸かる。
そろそろ慣れてくれてもいいのに。
背を向けて座る、裸眼のせいで輪郭のぼやけた彼女の細い頸をぼんやりと見つめた。
彼女と結婚して3年。
結婚してしばらく経ったあと、俺は意図的に彼女の聖域である風呂に手を出した。
時々、本当にごく稀に、一緒に風呂に入ることを許してくれた彼女である。
最初は3、4ヶ月に1度から、ゆったりとスタートした。
次に2、3ヶ月。
少しずつ間隔を短くして、ようやく月イチまで漕ぎつけた。
本当は週イチ、もしくは隔週にまで持ち込みたいが彼女のキャパ的に限界である。
今日も彼女は落ち着きなくタプタプとお湯を揺らしたあと、腰を上げた。
「先に出るね……」
「え、ダメですよ?」
立ち上がる彼女の腕を引っ張り、肩まで浸からせる。
「ちゃんと温まってください」
腕を腹に回して逃げ道を塞ぐと、彼女は往生際悪く、少しでも距離を空けようとした。
「うぅ」
逃げられると追いかけたくなるのが俺である。
足も使ってしがみつけば、彼女はますます体をこわばらせてカチコチになってしまった。
「そんなに恥ずかしがらなくても、俺、ほとんど見えませんよ?」
「れーじくんはそうかもしれない、けど……」
ベッドとは違って風呂場では眼鏡をかけられないのだ。
もちろん、一糸纏わぬ彼女の姿は存在だけで美しく俺を魅了するが、残念ながら解像度は低い。
「わ、私、が……見えちゃう、から」
「いつも見てるじゃないですか」
「電気ついてるし」
「消したら怖いでしょう。危ないし」
「違くて。一緒に入るって選択をやめてほしいの」
不満と羞恥がない混ぜになった声音で文句を言う彼女の勢いはない。
「そんな意地悪言わないでください」
「どっちが……」
俺に対して、まだそんな初々しい反応をしてくれるというのは、悪い気はしない。
「そもそも、れーじくんが……どんどんきれいになるせいじゃん」
「はあ?」
なんだそれは。
きれいになっているのは彼女のほうである。
彼女は今、少女から大人の女性へ切り替わる移行期間を迎えていた。
女性として垢抜けて洗練されたその姿は、何度でも俺を恋に落としていく。
少女特有の幼さや若々しさも折り重なり、艶やかに輝く彼女は最高だ。
俺は、そんな最高で最強の彼女の隣に立つ努力をしているだけにすぎない。
「慣れるとか、無理なの……」
腹に乗せていた手の上に、彼女の指が乗せられた。
指を絡め取れば小さく震えた肩口から、瑠璃色の潤んだ瞳が振り返る。
「だ、だから、恥ずかしさとかどうでもよくなるように……、ちゃんと、なし崩して……」
は?
か細い声音も、浴室では無駄に艶を含ませてよく響いた。
「……その……、れーじくんなら、できるでしょ?」
「……」
う、わ。
マジかー……。
据え膳とも受け取れるとんでもない要求に目眩がする。
湯当たりしそうなくらい、体を巡る血流の勢いが増した。
激しくなる鼓動をごまかすために、彼女の柔らかな肩を甘噛みする。
「なし崩せば、毎日一緒に入ってもいいんですか?」
「違うっ! そこまでチョロくねえよ!」
「いえ。あなたのチョロさはだいぶヤバいですよ?」
「はああぁっ!? ヤバいってなにっ!? ふざけんなっ!」
バシャンッ!
照れギレした彼女が腕を振り解いて、橙色に濁ったお湯を俺の顔面にぶっかけてきやがった。
ドタドタと大きな足音を立てながら、風呂場から出ていってしまう。
甘ったるい金木犀の香りを浴室に残したまま、俺も彼女を追いかけるのだった。