同情
私の今は高校3年生。もうすぐ卒業。
今日、久しぶりに学校へ行きました。
…いや、不登校という訳ではないけど。
……と言っても、登校してなかったのは確かですが。
少し前に推薦入試で大学に合格させて頂いた者でして。
私の学校では、共テが終わってからのここ1か月くらいは二次試験演習で自由登校でした。
そのため私たちは行かなくても大丈夫だったんだよという感じです。
今日は全員が登校する日だったので、久しぶりの学校で友達とも会ってきた訳ですが。
友達の話を聞くと、やはりあまり意識に慣れません。
私立大学では入試が始まっており、国公立大学は25日から本番が始まるとのことです。
今の私はほとんど関係なくなっちゃったですが、一般入試の人たちにとってはまさに今が佳境のところ。
そしてやはり、一部の人は緊張していそうな感じでもありました。
もちろん私も激励しますが、やはり前会ったよりも緊張しているのが分かります。
おおよそ3か月前の私の感覚が、かすかに蘇ります。
あの勝負の日の時。
10の枠を争い、28の人が勝負したあの日の朝。
その試験場へと向かう道、少しずつ胸の鼓動が大きく聞こえ、歩く足が重たくなっていくあの感覚。
あの時の私は、とにかく今までとは違う「異質」な緊張を感じていました。
しかし、同時にこうも思いました。
「俺は確かに積み重ねてきた」と。
「あとは “できること” をやり、 “できないこと” はできない、それだけだ」と。
大丈夫、 “できること” は今までにとにかく広く、大きくしてきた。
今の自分なら “できる” 。
今日は “できる” ことを “やる” だけ。
そう思いつつ試験場へと歩いていくあの感覚が、ほんの少しだけ、私の中に浮かんできました。
そうして、結果私は無事に合格を収めましたので、あとは皆様に祈ることしかできません。
今回のお題の「同情」とは少し違うかもですが。
そして推薦で受かってしまった私が一般入試の人へこんなことを言う筋合いも資格も無いですが。
大方の人は、もちろん緊張を感じるはずです。
しかし皆様も積み重ねてきた物が絶対にあります。
もちろん私以上に。
本番に “できる” ことが多くなるように、また “できる” ことをしっかり “やれる” ように。
幸運と健闘を祈っております。
本当に、本当に頑張ってください。
10年後の私から届いた手紙
今の私は17歳。1か月弱でもうすぐ成人します。
時期としては、今は大学入学の準備をしています。
そんな私にとって、「10年後の私」は27歳になります。
「10年後の私」は、今の私に一体どんなことを伝えるだろう。
………
考えてみますが、やはり少し分からない。
こんな時は別の視点で見てみよう。
「今の自分自身」がそのような手紙を書くとしたら、どんなことを書くだろう。
「今の私」が、「10年後の私」として手紙を書くとしたら。
自分自身が手紙を送る立場として、つまるところ「10年前の私」に向けて手紙を書くとしたら。
一体どんなことを書くだろうか。
10年前の私と言うと、まだ小学3年生です。
まだ世間も常識も十分に知らず、変なことばかり(私の記憶も定かではないが、多分変なことばかり…?)していた頃の私。
そんな過去の私に手紙を送るならば、今の私がそれに書く内容はこの1つだけでしょう。
「自分のやりたいことをとことんやりなさい」、と。
とにかく自分のやりたいことをやる。これだけで良いです。
なぜかというと、私が大体そうだったから。
元々私は自分の好きなことをとことんやり込む人間でして。
競技ルービックキューブをやり込んでいたり、将棋やチェスにハマったり、プログラミングでオセロ作ってみれば(プログラミングは他の凄い人と比べればそんなにですが)、ある時にはジャグリングやってたり、小説書いてたり。
そうしていった結果、進路を決める際にそのいくつかが(全部じゃないけど)結びつき、自分のやりたいことが決まり、自信を持ち、最終的にはちょっと良い大学に推薦入試で合格させて頂いたのがこの私なので。(自慢ではないですが、過去の文章を見ればどこか分かります)
そんな今の自分なので、自信を持って言えます。
自分の人生の最適解は、好きなことをとことん追求することです。
なので、過去の自分にはそう伝えたい。
今の自分に強さが見出せなくても、自分の中の探求心が、自分をどこまでも強くしてくれる。
自分の「好き」を追い続ければ、その先には明るい世界が待っている。
そのスタンスで行けば、どんな困難もきっと突破できるから。
そう、過去の自分に伝えたい。
ーーという感じのことを、きっと「(今から見て)10年後の私」も書くでしょう。
10年後のあいつだ。どうせ今と同じことを言うんだろう。
なのでそう生き続けようと思います。
これからの10年。いや更にその先まで。
今までの私がほとんど考えもしなかった、この先の人生。
この先の人生は、恐らく今までよりも更に厳しいです。(厳しいでしょう)
恐らく「私の人生の中で過去一難しい局面」が連続するんだと思います。
それでも、自分の中のスタンスは変えるな。
今までと同じ戦い方で良い。
この「好きなことを追求する」姿勢を貫けば、きっと道は開ける。
そう、「10年後の私」は伝えたいんでしょう。
頑張ります。
この場所で
私の住んでいるここ新潟県。
新潟生まれ新潟育ちで、今の家ができてから約18年、親が建てた1つの家で過ごしました。
そして、2階に私の個室があります。
小学校入学くらいに買ってもらった机があります。(机を本格的に使い始めたのは中学生からですが)
約6年もの間、1つの同じ机を使ってきました。
今でもその机にパソコンを開いて文章を書いています。
思えば、今の我が家と私の机(とその他)にはかなり思い入れがあります。
私が生まれてから今まで、ずっとこの家の中で過ごし育ってきた、と考えると。
中学校に入ってから大学入試まで、家での勉強ではずっとこの机を使い、色々乗り越えてきたんだ、と考えると。
家も机も一般的に見るとまだそれほど長くない期間ですが、自分の人生の中の大きな割合を過ごしてきたものであるだけに、何か思い入れを感じます。
そして私は次の春から新潟県を発ちます。
大学生になり、茨城県へと拠点を移します。
今までの家と机には少しおさらばですが。
それでも私はこの場所で、確かに大きく成長し、大きな飛躍を遂げたと言えるでしょう。
今までありがとう。
今まで私が生きてきたこの場所は、確かにとても良い場所でした。
1000年先も
日々を暮らしていて、たまに思うことがあります。
遠い未来には、この世界はどのようになっているのだろうか。
現在は情報技術が進歩したりとかで、私たちの暮らしは今までで一番豊かと言えるほどにまで成長してきたと言えますが。
ここから更に先に進むと、一体どんなことが起きるのか、どんな風に私たちは成長していくのだろうか、とたまに気になります。
今回のお題である1000年先で考えても、世界は私たちが想像もしないくらいに変わり果てているかもしれません。
1000年前の平安時代の人々が、今の私たちの暮らしを予想できたはずもないと思うので。
例えば1000年先の世界は、一体どうなっているだろう。
今と同じ方向性で、情報技術が情報技術のままで更に加速している可能性も勿論あると思います。
しかし、今の私たちが想像し得ないないような、情報技術の更に先の何か(?)に発展していく可能性も全然あると私は思います。
(ここまで行くとある種SFの様でもありますが)地球温暖化やら病気やら他の何やらで私たちが危機に陥ってみれば、その末人間という生物がいなくなっている可能性もあるし、地球人が宇宙に進出している可能性も一定あるのではないかと思います。
少なくとも、1000年後に人間(?)がまだ生存していたとしたら、その方たちにとって今の私たちの暮らしは不便以外の何物でもなさそうだなとも思いながら。
1000年先の世界は、一体どうなっているだろうか。
そして1000年先も、人間(かその系統の生物/非生物)は普通に暮らしているのだろうか。
そんなことを考えつつ、今の世界に戻って見てみる。
今の世界でも、それでも私は十分豊かに暮らせています。
この時間のこの世界に生まれ、この先70~80年くらいで私はいなくなるでしょう。
どうか1000年先でも、我々のいるこの世界が、それでもまあ良い感じになっていますように(?)
こんな夢を見た
昨日の夜。
時計は見ていないので何時だったか分からない。
夜中に目が覚めました。
私は元々夜中に目が覚めることはあまりない人でした。
こんな睡眠途中で目が覚めて、何かあったかな。
そう思った時、すぐにその理由に気が付きました。
雪と風と雷だ。
天気を詳しく調べていないので分かりませんが、私がいる日本海北側の地域では、この時期は丁度強い寒波が飛来しています。
自室には窓やカーテンを完全に閉めて寝ていたのですが、何なら少しうるさいくらいにはっきりと音が聞こえました。
風もとても強く、私のいる2階が少し揺れたくらい。
外では雷の音も聞こえました。
それでも、私の住んでいる地域ではたまにこんな天気の日があります。
言ってもこんな悪天候は中々久しぶりだなと思う程度。
そこからまたすぐに寝る体制に入りました。
寝ようとしました。
そこからは夢なのか現実の私の空想なのか覚えていませんが、その中であることを考えた。
改めて考えてみると、こんな強い風吹けばどこかで家崩れたりとかする可能性もゼロじゃないよな、と。
勿論日本の建築が頑丈で、ひょんなことで崩れたりとかは絶対にないのは重々承知しています。
でも外はこの風と雷よ。流石の日本建築の中でも、少し怖さを感じました。
もしこの状態から家崩されたらどうなるんだろう。
少し考えた結果、瓦礫に潰されて死ぬか、何とか生き延びてもまず瓦礫の山から出られることなど到底できず、そのまま生き埋めで死んでしまうくらいだろうという解に辿り着きました。
何考えてんだって感じるかもしれませんが(笑)、そんなことを考えたりしていました。
そしてまたこうも思います。
いや、もし崩れてもまだ絶対に死にたくない。
私にはまだやりたいことめちゃくちゃあるからね。ここで死ぬ訳には行かない。
今の人生は十分すぎるほど楽しいが、まだ人生でチャレンジしたいことは山ほどあるんだから。
残している人生の未練を思い出し、そして思います。
こんな悪い天気でもそれごときで私の命なんか無くさないよ。
何があろうと私はまだ生きるからね。
…そう思った後はあまり覚えていません。多分日本建築の堅さを信じてそのまま普通に寝たんでしょう。
その朝。
普通に起きました。起きようとしたが、二度寝しました。
世界に誇る日本建築。やっぱり頑丈です。凄いです。
案ずることは無い。私たちはしっかりと支えられているのだ。そう思いました。
よし、これからの人生も頑張ろう。
(文章書いてて思ったけど、夜の自分ってなんて恐ろしいこと考えてんだ)