視力が悪い。
大人になってから、だんだん悪くなってね。眼鏡、何回も買い替えてる。
面倒で、不便よ。視力が良かった時には、見えることが当たり前だったから、眼鏡が無くても生活出来ることに感謝なんて出来なかった。
生きるということは、そんなことに気付く連続なんだと思う。
些細な苦痛も、我慢の限界だと思うようなことも、気付くための材料かもしれない。
そうやって、この世界は前に進み続けて来た。過ちも、喜びも、混ぜ込んで。
今日も寒いねと、僕が言う。
ほんと寒いねと、あなたが言う。
いや、言ってるように思う。
隣りの庭から、はみ出して、非常に強い存在感を醸し出しているあなた。
カーテンを開けたら、すぐ目の前に居て、春も夏も秋も冬も、その姿を見ては話しかけ、楽しませてもらっている。
冬晴れの日、葉っぱが付いていないあなたの向こうが、やけに澄んだ青色に見えて、美しくて、嬉しかった。
心は、いつもクルクルと変わります。
私など、昨日決めたと思ったことも、朝になったら違うことを考えていたりしますから、全く厄介で信用などできたもんじゃありません。
心なんて最初から最後まで迷路だらけで、それをも楽しめる人が結果、制することができるんじゃないかと。
でも、一度の人生で制することができなくてもいいと思いませんか?
焦ることも、比べることも要らない。
これまでもたくさん旅をして、これからもたくさん旅をするのですから。
あんたの背中から大きな羽根が出てるんやけど、その羽根は何なん?
入院中のおばあちゃんに聞かれ、
何言うてんのよ?羽根?
どこにそんなんが生えてるんよ、よう見てよー、もう!!
と、話しを勝手に終わらせて、そそくさと病室を出て来ました。
昔々、おばあちゃんに助けてもらったキンモクセイの木の精だった私は、恩返しがしたくて、おばあちゃんの側で生きることを選びました。
もしかしたら、ずっと前からこの透明な羽根が見えていたのかもしれません。
あんたはいつもキンモクセイの、いい香りがするね、そう言っていましたから。
もうすぐお迎えが来ますね。
お別れの時です。
キンモクセイの香り、どうか忘れないでください。
またいつか、おばあちゃんの側で生きてみたいです。
凍える朝、駅前からタクシーに飛び乗って君のいる病院に向かった。
いつもの入口ではない場所を通り、エレベーターに乗る。
14階の部屋の前で深呼吸をしたあと、ゆっくり扉を開けた。
酸素のチューブはまだ鼻に入っていて、まるで眠っているかのような穏やかな顔の君。
ただ側にあるモニターだけが、いつもと違って沈黙を続けていた。
窓の外、ビルの窓ガラスに朝日が反射して、キラキラ光って綺麗だったな。
雲ひとつない、迷いのない青い空だった。
君がひとり静かに旅立った日のことを忘れないよう、ここに記す。
たくさんの愛をありがとう。