心の片隅で
心の片隅にはたくさんのものが転がっている。ちぎれてくずころになった何かが積もって、その奥で虫けらが冬を越そうとしている。
この想いもあの想いも、そういうものだったのです。
やってしまえとソレは言いました。十歳か十四歳でした。私はそれすらよくわかっていないのに、ソレが何かを理解していました。
心の片隅で、ソレはひたすらにくずころを食べて育っていたのです。無視できないほど、大きく、大きく。
そして私の手を引いたのです。
やってしまおうと思いました。
どうせあなたには何もないのです。あなたの心の片隅にはソレの居場所はないのです。片隅には何も残らないのです。
それでもソレはバカなので、あなたを信じていた。
私は信じれなかった。それこそが自分をも身くびる行為だと知らなかった。
ねぇ、ちょっとお話いいですか?
落ち葉の道
家族で、花壇が有名な公園に行ったことがある。人間は乗れない観覧車とかただっ広い芝生とかがあったのだけれど、私の興味は小さな小川一直線だった。なにせメダカが泳いでいたのだ。仕方ない。
そうして小川を見ているうちに、この川は一体どこから来るのかということが私は気になってくる。そうして私はちょろちょろとした小川をたどって緩やかな坂を登っていった。登るうちに小川の本流と再会する。そこはすでに森の中で、大量の落ち葉が道を埋め尽くしていた。いや、落ち葉が多すぎて地面が見えなかっただけで、そこに道はなかったのかもしれない。
その川にはほぼ黒くなったボロの橋がかかっていて、私は子供ながらに胸を躍らせ、その先に進むのである。川の流れのそばを道がある方へ歩く。木に何か箱がかかっていたのを見るに、それなりに人が入っているらしかった。そして道は下り出す。その頃は雨の後だったのか落ち葉が濡れていて、足をとられそうだったのを覚えている。
足を滑らすのが怖くて私が足を止めていると、「こわかぁないよ」と人の声がした。直ぐ側には染めたような黒髪の老婆が立っていた。足元には私と同い年くらいの子供もいる。
「こわかぁないよ」と、子供が老婆を真似て言うので、私は「こわかぁないの?」と恐る恐る尋ねた。
今更になって思うことだが、老婆や子供は一体何を怖くないと言っていたのだろうか。濡れた落ち葉の下り坂を歩くことか、それとも老婆たち自身のことか。今となっては確かめる術はない。
「大丈夫、怖いものは怖いと思う者に来る」
私の問いかけに老婆はそう答えて「ほら」と言った。子供も「ほら」と繰り返す。
「怖いのならここから先へは行けないね」
私はわけが分からなかったが、とにかく足を進めることにした。滑るときはそのときだといつものように足元を見ながら足を進めて下り坂を終えたあたりで、私は顔を上げた。
私は森の外に来ていた。あり得なかった。すぐ足元にちょろちょろと小川が流れている。私が入ってきたところだ。こんなもの、私が体の向きをそっくり変えていないとありえない。私は何が何だか不安になってきて、芝生でシートを敷いて待っているらしい母のもとに急いだ。
私があの落ち葉の道を歩くことは二度とない。
君が隠した鍵
一人では何も始まらないということはきっとみんながみんな知っていることでした。当然、一人で砂をいじっていた僕は何もできないわけです。そこに君がやってきたのです。
いろんなことを知りました。それは遊びだったり、物の名前だったり、ルールだったりしました。でも一番不思議なのは気持ちでした。僕は楽しいを知りました、嬉しいを知りました。そして寂しいも悲しいも知りました。僕の中に閉じ込められていた気持ちに君は次々と鍵を差し込んでいきました。
そういうことがあって僕は僕になったのです。
でも、僕の中にいつまで経っても開かない気持ちがありました。君のことを思うと内側からどんどんと僕を叩くのに、その気持ちの扉は開きませんでした。
いつしか君は一人じゃなくなりました。僕と会うことはなくなりました。君は、君の扉を開けてくれる人を見つけました。
ずっと開かなかった気持ちはもう、扉を叩くことはありませんでした。
ねぇ、君が隠した鍵は、一体何の扉を開けるためのものだったのですか? もしかしてそれを開けてしまうと、僕は僕ではなくなってしまうはずだったのでしょうか。
あの小さな背中に聞いてみればよかった。
君が開けた幸福の扉の先に僕が行けないとしても、僕は君のことを忘れられないと思うのです。君のせいで僕の中身は殆ど空っぽなので。
祈りの果て
折れてない折れてないという祈りの果てに、結局は骨折していた。
そんなおりに「祈ると折れるって似てるね」と言われたのでちょっとキレた。これは仕方ないと思う。
でも俺は知っている。お前が一番心配してるってことを。
さり気なく俺の荷物を持って移動教室を始めるお前に、「速い」って文句を言いながら松葉杖をつくんだ。
そしたらお前はこう言う
「早く出発しないと授業に間に合わないだろ」
好きじゃない、好きじゃないとずっと祈っていた。初めて会ったその時にお前だけはダメだって思ってたから。
「笑うなよ、俺が大変だってときに」
「は〜? 八つ当たりキツくね?」
止めて、その笑顔を向けるなよ。
祈りの果てに、俺はきっとまた恋に落ちた。
心の境界線
心には様々な境界線がある。楽しいと苦しいの境目、うれしいときもちわるいの境目、悲しいと悔しいの境目。
でも私の中には美味しいとそれ以外の境目がなかった。 どんなに苦しくても美味しいものは美味しいままだし、不味いものは不味いままだ。
それが不思議で吐くまで食べ続けるのが一種のルーティンみたいになっていた。
でもそうなのは小さい頃だけだよね。
美味しいはいつか作業になる。これから動くための準備動作に過ぎなくなる。美味しいと面倒くさいの境目はここにあったのだと、初めて気づく。美味しいの領域は色んなとこに伸びて、もはや純粋なところなんて一つもないのだ。