「はいこれ。あげる」
「·····よくこんなに集めたな」
突き付けられた黒い薔薇の花束に、若干引きながら男は答えた。
「苦労したんだから。黒薔薇なんてなかなか見つからないからさ。取り扱ってる店見つけて、五十三本用意出来たら教えてくれって頼み込んで。ホントは誕生日にあげたかったけど、仕方ないよね」
「まぁ、な」
「しばらくコレ、胸に挿しててよ」
「胸に挿すなら赤の方が良くないか?」
「ダメ。黒がいい」
戯れのような言葉を交わしながら、黒い薔薇を一本引き抜いて胸に挿す。男の白いスーツに真っ黒な薔薇が一際強く印象に残る。
「しばらくそれ付けててよ」
「別にいいけど·····」
「 花束から一本ずつ引き抜いて、胸に挿してね」
「分かった」
たまにおかしなゲームを思いつく恋人に、疑問符を浮かべながらも付き合ってやる。
「毎日ちゃんと確かめるから」
「なんか意味があるのか」
「·····まぁ、願掛けみたいなモン、かな」
「そうか」
恋人が満足するならそれでいい。本当は胸に挿すなら薔薇じゃなくても何でも良かった。花でなくとも、チーフか何かでも構わなかった。薔薇がいいよと言ったのは恋人だった。特に考えもなく「そうか」と答えて始まった習慣は、もう何年になるのか。
それでも黒い薔薇は初めてだった。
きっとこれも、恋人の中では何か意味があるのだろう。何も言ってこないけれど、それだけは分かる。
「気が向いたら意味を教えてあげる」
知りたい。知りたくない。どちらでもある感情はしかし、目の前の恋人の楽しそうな表情にどうでも良くなってくる。
スーツの胸に薔薇を挿す。
たったそれだけのこと。
恋人が楽しむだけの、ただの戯れ。
「花言葉なんか知らなくたって、好きな気持ちは変わらないよ」
「分かってるよ」
ならば何故、と聞くことはない。
〝あなたは永遠に私のもの〟
END
「花束」
接客してくれる店員さんに、別に笑顔でいて欲しいとは思わない。自然に挨拶をしてくれて、自然に会計とか必要な会話をしてくれて、商品を丁寧に扱ってくれて、質問があれば明確な答えをくれて、スムーズに終わればそれでいい。
というか、お互いにそれが出来ていれば自然と笑顔になるんじゃないだろうか?
無理な作り笑いはすぐに分かるし、笑顔だけ向けられてもこちらの望むものが得られなかったら意味が無いだろうに。
スマイル0円の時代はもう終わっている。
END
「スマイル」
どこにも書けないことをここに書けるわけないじゃん。
いや、多分書いてもいいんだろうけど、それを見た人は多分みんな不快な感情を抱くと思うな。
それを覚悟してるのなら、書いてもいいんじゃない?
そもそも文字を書くって、言葉を綴るってそういうことだよ。
END
「どこにも書けないこと」
目覚まし時計の秒針が落ちている。
何度も落ちた衝撃で外れてしまったのだろう。
飾りの部分には埃が積もって、電池を入れるところもプラスチックが割れてしまっている。
絨毯のへりはほつれてきているし、飾ってあったジグソーパズルはピースが外れている。
「なんとかしたら?」
「別に困ってないからいいよ」
そんな会話を何度も何度も何度も何度も繰り返して、もう疲れてしまった。
自室に戻り、目覚まし時計を見つめる。
カチカチと規則正しく回る秒針に安心すると同時に、カチカチというその音に私の心の中に何かが積もっていくのを感じる。
――そろそろ限界だ。
言葉にした途端、一気に楽になった。
END
「時計の針」
マスクをするのが日常になって、正直良かった。
その理由はいくつかあって、
①自分の顔に自信が無い。
②アレルギーがあってしょっちゅうクシャミをする。
③コミュ障だから他人に話しかけられるのが苦手。
④職場が病院だから日常でもなるべく感染リスクを減らしたい。
マスクはこの四つを上手くカバーしてくれるから、私としては有難かった。
そしてそれらを遥かに凌駕する、マスクで良かったと思える瞬間は·····。
「おめでとうございますA賞ですー」
「ありがとうございます」(ボソボソ声)
コンビニでやったくじで欲しかったフィギュアが当たり、ニヤけ顔のまま家路を急ぐ時、なのだった。
〝やったーーーーー!!おっとヨダレが·····〟
END
「溢れる気持ち」