昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
変わったのは年号と西暦、そして月がわりカレンダーだけ。
新しい年を迎えて変わったことは特にない。
お節もお雑煮もないし、お年玉もない。
ただの祝日でしかない。
そして僕には祝日ですらない。
四日は日曜だが予備校はある。模試も近いし、何なら本番の試験が目前である。
受験生って嫌だなあと思う。
学校では皆ピリピリしているし、親は親でイライラしている。まるで僕じゃなく親が受験生のようだ。
大学に入れなければ人間じゃない、くらいの扱いを受けている。それは視野が狭いと僕は思うんだけどね。
【新年】
転居後は年越しは神社に行くことが多かった。
歩ける範囲に大きな神社があったこともあり、よく二年参りをした。二年参りとは、寺社で年越しを迎えることである。
お賽銭と、ガラガラと鈴を鳴らすタイミングが良く分からず、二礼二拍一礼のどこでやればいいのかとオロオロしながら、取り敢えず前の人の真似をした。
お参りが終わると社務所のかたがお酒を枡でくださって、端に塩がのっていた。これで日本酒のつまみに塩が合うことを知ってしまった。以降このことで呑兵衛扱いを受けることが多くなる。
その神社には行けなくなってしまったが、皆さま良いお年をお迎えください。
【良いお年を】
実家の裏は里山になっていて、某市民の森が広がっている。そこに小さな池があった。名前は伏せるが、車の通る道路から歩いていけるところにあった。
そこは初夏、源氏蛍の生息地だった。池に流れ込む川にカワニナという貝がいたのだろう。源氏蛍はカワニナを餌に育つ。見頃は六月くらいで、雨の後かあっと暑くなった日の夜だ。
最後に見に行った時は、五千匹くらいは舞っていただろうか。暗闇に光る蛍はまるでふわふわ飛び交う星のようだった。星に包まれる感覚を味わえた。
のちにどうもその池あたりに老人介護施設が建てられるため工事が入ると聞いた。もう蛍は生息出来ないだろう。残念である。ただ、蛍は光に弱いため、蛍をスマホで照らす無知なかたを見てイラつくことも同時に無くなったのだろう、とは思う。
【星に包まれて】
今日、友人と思っていた人をブロ解した。
どうやら先方にはわたしは友人どころか相手を見下して扱う人だったようだ。尚、全くそのつもりは無い。
当人は双極性障害を患っていて、自殺率が高いことを知っていたわたしが、減薬がうまくいかないという発言に心配して、また先生とご相談だね、と返したのが、どうも見下し発言にあたるらしい。
人のとりようは様々で、誤解されてしまった以上何らかの責はわたしにもあるのだろうが、わたしは完全に拒絶されてしまっているため、事情も聞けないし弁解もできない。静かに関係を終わらせる、それが精一杯の誠意であると思った。
その人が今後幸せに生きられることを祈っている。
【静かな終わり】
今日のお題を見た瞬間、超時空世紀オーガスのオープニング曲、「漂流〜スカイハリケーン〜」が脳裏を流れたのは、わたしだけではないと信じたい。
見失った 精神(心と読む)の旅路
ここのフレーズである。
わたしは正直なところ、本当に自分の心のありかたを見失っている。一年半以上続けている神田橋処方が効いて、結構メンタル的には落ち着いているが、根深いものはやはり寛解まで時間がかかるらしい。
自分の心の置きどころを見失ったことが、正直痛い。
【心の旅路】