養母である伯母の家に泊まったことがある。
伯母の家は広い屋敷で、小学生のわたしにはドキドキする造りだった。
平屋の部分は昼でも出入りしていたし、二十畳の大広間の畳を拭いたり、中庭の草むしりをしたり、廊下を糠で磨いたりしていたし、お茶室にも一応弟子として出入りしていた。
でも中二階はわたしの未踏の地で、伯母の私室だった。そこにもトイレがあるのに驚いた。平屋にも男女分かれたトイレがあるのに。
寝室の箪笥の並ぶ部屋の隅に扉があり、実は地下室に続いていた。そこにお茶用のお灰が仕舞い込まれていたのだ。扉は棚で隠されて一見、見えない。とにかく探検心を刺激される家だった。
【特別な夜】
夢を見る。
海の底でもがく夢。
助けて、声が泡になる。
押さえつけられている感覚。
幼い頃から水が怖かった。
顔を洗うのも、水を片手に濡らしてそれで拭くのがやっとだった。
数年後、四歳上の兄に、お前、小さい頃水に沈められたんだよ、と言われた。その記憶はないが、水が怖かった理由がわかった気がした。
【海の底】
こんなこと、人間相手に言われたことも感じたこともない。だから僕は言うよ。
チピ、君に会いたい。
チピはとっても人懐っこい子猫だった。
事故に遭って、前足を片方切断して、うちの子になった。
ずっとずっと前のお話。
チピの写真は一枚だけ持っている。当時は写真に残す文化もあんまり無かったし、カメラは高くて子供が触れるものではなかった。
一枚だけ持っている写真を見ながら、僕はつぶやく。
君に会いたいよ、と。
【君に会いたくて】
わたしが日記を書き始めたのは、「アンネの日記」の影響だ。空想の親友に宛てて綴る形式を踏襲した。小さい頃から人付き合い禁止で、わたしにはお友達を作ることが許されなかったからだ。
日記に何を書いて来たかはもう充分書いたと思う。日頃のDVや絶望を書き記していた、とだけ書いておく。
わたしの父と養母(伯母=父の姉)の教育方針だった、人付き合い禁止令は。禁止理由は「下品が移る」だと聞かされた覚えがある。お友達と放課後に約束をすると、断りの電話を入れさせられた。特に断る理由もないのに。
そのうち父は友人を連れてこいと言いだし、わたしの友人に親御さんの職業や年収を聞くという圧迫面接をやらかした。お陰でわたしには余計に友人が出来なくなった。
【閉ざされた日記】
昔は関東平野に住んでいたから、木枯らしが吹くと冬を感じた。木枯らしが吹いたとテレビで流れると、脳裏に「北風小僧の寒太郎」が流れた。「ヒュルルン」という歌の一節が、木枯らしが揺らす電線の音に重なって聞こえた。あの頃は電線が文字通り鳴っていた。
関東を離れて、山あいの盆地に暮らして早幾年。温暖化の影響もあって、木枯らしをあまり感じなくなった。それどころか、夏のような暑さがずっと続いたと思うと、数日後には冬に突入しているような感じまで覚えるようになった。
どうしちゃったの地球、と思わざるを得ない。
【木枯らし】