この孤独からは抜け出せないだろう。
もう諦めている。
どんなに頑張っても無理だと思う。
死ぬまで変わらない。
今までの人生では、孤独から抜け出そうと努力してきた時期もあった。
光のような栄光を得ることができれば、全てうまくいくと考えたり、いつか必ず幸せになれると考えたりしたこともあった。
でも、改めて今日気付かされたのだ。
私は孤独と共に生きる運命なのだと。
誰からも愛されないし、誰も愛さない。
人との縁は限りなく薄い。
まるで霧のように。
ただ、これはビッグチャンスでもある。
人に流されず、冷徹になれるからだ。
実業家としては成功できそうだ。
お金が全てではないのは分かっているが、これからはお金で買える満足を追求しようと思う。
どうせ、孤独のままなのだから。
時計の針の音ほど気が散るものはない。
だから私の家の時計には秒針がない。
音だけでなく、時計の存在すら感じたくないからだ。
いや、時の存在すらいらない。
時間がなければ、どんなに自由な人生になるのだろう。
時間があるから追い詰められる。
私は腕時計もしない。
心の底から時間が嫌いなのだ。
世の中の人間は勝手に時間に縛られている。
太陽が出て朝になり、太陽が沈んで夜になる。
それだけで良いではないか。
砂時計さえ必要ない。
愛 = 自己同一視 = 損失も受容 = プラス+マイナス
恋 = 他者(自分にないもの) = 利益のみ = プラス
したがって、
愛 − 恋 = プラス + マイナス − プラス
= マイナス
愛から恋を引いたら、マイナスすなわち損失しか残らないとなりました。
言った方がいいのか言わない方がいいのか、それが問題だ。
私は、実は、頭にきやすい。
すぐに、怒る。
でも、心の中でだ。
大抵は表に現さない。
だから、誰も私が怒っていることに気づかない。
大人げないことをしたくないから、現さないのだ。
ただ、その代償として、世の中に対する慢性的な怒りと諦めが私の心を蝕んでゆく。
言ったところで、私が怒っていることがわかるだけで、彼らは自らの仕打ちを反省することはないだろう。
最近も同じような怒りを感じてしまった。
つまり、同僚なら皆当然知っているはずの必要情報を知らされていないことにより、不利益を被ってしまったのだ。
この怒りは、私の存在を無視されたときの怒りだ。
わざとでないとしても、悲しすぎるではないか。
でも、これは私にはよくあることである。
その度に、ある種の運命性を感じてしまうのだ。
私は、人から忘れられやすい運命なのだと。
しかし、私も、梨という果物が存在することをつい忘れていた。
お互い存在感がないのだろう。
最近は、人との距離感をうまく保っている。
というよりは、むやみに近づかなくなったと言えよう。
要は傷つけられたくないのだ。
今まで、人に近づきすぎて残念な結果になったことが多いという印象が強い。
友達になりたいと思っても相手はそう思っていなかったり、思っていたより信頼関係が構築されていなかったり、逆に誤解されて嫌われてしまったりなど。
期待するだけ自分のメンタルがやられてしまうことになる。
そして、よくあるのは都合よく利用される関係だ。
特に、愚痴の聞き役になることが多かった。
今はそんな一方的な関係を続けている暇はない。
利用されていると感じたら、即、la la la good byeである。