君の歌声が好きだった。
2人で歌うのが楽しかった。
将来は2人で音楽で飯を食っていくんだって語り合った。
でも、その頃には俺の耳が聞こえにくくなっていて、医者に言えば後天性の難聴と診断された。
それでも治療をすれば治るんだって。だから君と一緒に治療に励んだ。
だけど俺の難聴は悪化していくばかりだった。
しまいにはもう治る可能性はゼロに近いなんて。
だから、君に別れを告げた。
君1人なら世界に羽ばたける。
俺なんかが邪魔をするべきじゃない。
なぁ、泣くなよ。
最後くらい歌ってさよならしようぜ。
俺の世界から音が無くなる前に。
いつもの交差点。知らない人と目が合った。
よくある事だけどこの日だけはなんだか違って、それでも何が違うのかは分からない。だから、そのまま横を通り過ぎた。
でも、もしあの時あの人に声を掛けていたら?
もしあの人に会釈だけでもしていたら?
そんな「もし」が頭に浮かび上がる。
ifの世界を考えると、自分の日常の選択画面が出てきたかのようだった。
選択を間違える事はないけれど、ゲームのようにやり直せない。
人生の選択画面には未知が埋まっている。
時には「いつも通り」を未知にしてみるのもアリかもしれない。
君は教室で良く絵を描いている。美しい花の絵。
ある時は赤いバラ、ある時は可愛らしいミモザ。
中でも良く描いていたのは赤のコスモス。
僕が「絵上手いね」って声をかけたら嬉しそうにニッコリ笑ってた。
それから休み時間は君の絵を見て過ごすことが増えた。そしてある日、赤いチューリップの絵をくれた。
「ありがとう」と言うと何故か寂しそうな顔をした君を良く覚えている。
それからしばらくたった時、僕に彼女が出来たんだ。その事を君に報告すると「良かったね」って微笑んでた。
でも、その日から君は絵を描かなくなった。
なんでって聞いても話してはくれない。
その代わり最後にってまた絵をくれた。
上品で美しい。一輪のチョコレートコスモスの絵を。
肌寒くなって、君のくれた手袋をつけた。
君は僕のあげたマフラーに顔を埋めて、あったかいって笑う。そんな顔が可愛かった。
赤くなった指先を僕の手に絡める。
僕の手は君の手より冷たかったらしくて、11月の誕生日に君は手袋をプレゼントしてくれた。
君のマフラーと僕の手袋。ずっとそれが見られると思っていたのに。
君は僕を振った。他に好きな人が出来たんだって。
しょうがないよね。もう好きじゃないんだから。
君は一ヶ月後に違うマフラーをつけていた。
横には僕よりもカッコいい人がいて、楽しそうに笑ってる。
僕の手袋は、まだ変わらないままなのに。
愛する、それ故に理解がない。
ある女は言った「私はこんなに愛しているのに」
ある男は言った「愛してるからこそ」
皆は愛し愛されることに重点を置く。
それ故に、相手を理解するということが疎かになる。
人は愛を求める。「愛」と「理解」は交わることがない。
愛しているから理解しようとする。
そう思う人は多いが、結局はそれも自分よがりの考えだ。「愛しているのになんで…」「愛してるからこそ俺は…」
所詮は他人。愛することはできても、理解はできない。
その歪さが、美しいのかもしれないがな。