私が触れているのは、
見たことのない光だ。
あるかどうかを
証明できないまま、
それでも、
暗闇だけではなかったと
まだ言葉には出来ない。
人が「誰も信じられない」と言うとき、
その言葉の奥に、
かつて信じて、
傷ついた夜が
横たわっている気がする。
まだ消えていないものが、
そこにあるから、
そんな言い方をするのだと
思ってしまう。
私は、
誰かに期待を寄せることはしない。
ひとの本質は多面的で、
流動的だと思うから。
ただ、
人柄を静かに見ている時間が、
いつまでも消えずに
残ることはある。
「信じられない」とも、
「信じたい」とも、
言わない。
どちらの言葉も、
夜を
少しだけ照らしすぎる気がして。
私はまだ、
見ていない光のそばにいる。
題 雪明かりの夜
誓いは、破れば「破った」と言える。
それは、未来に杭を打つ行為だ。
祈りは違う。
「そう在れますように」と願いながら、
自分の手を引く態度。
相手を縛る前に、自分を戒めること。
私は、独占欲の杭を持たない。
私が大切にしているものは、
誓いの、手前にある。
私は、因果で測られる関係を、信じていない。
命は、正解を辿ったご褒美じゃない。
肯定が積もり、
関係が熟し、
祈りが臨界を越えたとき、
起きてしまう出来事だと、思っている。
用意された筋書きと、尊重は、別の軸にある。
尊重は、生き方の滲みだ。
相手の身体や人生を、
自分の計画の部品にしていないか。
私は、そこしか見ていない。
管理は、必要なこともある。
でも、管理が人を選別し、
「正しくない宿り」と笑った瞬間、
それは敬意ではなく、傲慢になる。
口づけは、本来、
「触れていい」「触れられていい」という、
相互の許可と信託の象徴だ。
距離が、ゼロになる直前で、
言葉をやめ、
身体で、一瞬だけ示す静止。
それは、欲望の始点ではなく、
承認の終点に、近い。
だから、その先に、
身体的な交わりが含まれるのは、自然だ。
けれど、多くの場合、
誓いのキスは形式に消費され、
交わりは、欲望として切り離される。
ここで、私の心は、断絶する。
触れたいから、触れるのではない。
「あなたを壊さない」という、
沈黙の誓約。
その誓いが、
触れ方にも、
速度にも、
終わり方にも、
残っていてほしい。
でも、それは祈りとして受け取られず、
欲望の、一場面として通り過ぎる。
同じ行為をして、
意味だけが、一方通行になる。
私の側には、
祈りを置いたまま、
回収されない私が、残る。
だから、後で、
勝手に、私だけが、痛む。
題 祈りを捧げて
クリスマスだからと
何かをしようとしたのは
母だけだった
まな板の上では
手際よい音が鳴り
フライパンの底で
バターが音もなく
崩れてゆく
白く泡立つ前に
粉が振り落とされ
一気には混ぜない
牛乳を注ぐたび
台所の空気が
少しだけ甘くなる
量は量らない
でも失敗しない
あめ色の玉ねぎと
チーズの溶けた中に
気づけばあった あたたかさ
題 遠い日のぬくもり
窓の向こうは白く霞む
明かりが揺れて
テーブルの上に
繭のような橙を落とし
焼き菓子の香りが
時間をゆるめる
子どもたちの声が
空気の中でそっと弾み
希望は
大きな言葉になる前のかたちで
この部屋に在る
静かなあたたかさが
満ちる夜
題 揺れるキャンドル
こちらにも属しきれず
あちらにも閉じきれず
外に出ることも
中心に踏み込むことも、しないまま
ずっと、縁を保っている
世界の中にいる
けれど、世界そのものにはならない
感情を持つ
でも、感情に溺れない
兆しを見る
でも、その眩しさを信じすぎない
この、常に少し脇にいるという
自分を壊さずに在るために
獲得した位置
そこにある細い光は
誰かを照らすためのものではなく
ただ、
感謝と謝罪を
深く理解するために
内に持ち続けている
題 光の回廊