神に“祈りを捧げて”みたって、逆らえないことばかりで。何度も祈った、何度も。それでも届かなかった。神はいるのか、いないのか。もしいたとして今願うとするのならば、天にいるあなたがこれ以上辛い思いをしませんように。くらいかな。あとしいていうならこの人生生き抜いてみるからさ、次はこの世に生まれることがありませんように。くらい?
当たり前に感じていた温もり。手を触って自分の冷たさを自覚するようなとってもあったかい手を持ってた人だった。肩を触って、肩を揉んであげていた時も確かに温かさを感じてた。でもそれももう“遠い日のぬくもり”。昨日のように感じるあの頃からもう約1年が経ったことに実感が全く持てない。確かにすぐ触れる場所にいた、声をかけたら返事をしてくれた、隣にいた存在は記憶になってしまった、思い出だけになってしまった。いないことに実感が持てない、前は母の方が苦しそうだったし父だって初めて泣いているところを見たから私が元気でいなければと、明るい声を出して、明るい思い出ばかり話していた。でも、だんだんみんなが落ち着いてきて、自分に目を向けた時、全然受け入れられてなかったのだと自覚した。受け入れようとすると何もできなくなる。涙ばっかり出てしまうから。最近は何も考えていない。
ただ絶対にあの温もりを忘れては行けないと、たびたび思い出すようにしている。忘れたくない、遠い日にしたくないんだ、ほんとは。
時間は時に残酷なんだ。
あなたのことは“きっと忘れない”。忘れるとしたら家族とか周りがみんな逝ってしまった時。まぁでもお母さんが生きている限りは絶対に忘れないなぁ。
仏壇を見て泣くからさ忘れることなんてないよ。私があなたを忘れる時は私が死んだ時がいい。忘れるのが少し早くても許してほしい。死にたいという感情に取り込まれてしまっても怒らないでほしい。
それまではさ、絶対、絶対、忘れないから。
高鳴る鼓動“熱い鼓動”体は暑いのに恋みたいな心の熱い鼓動ではない、中身が空っぽの鼓動。ただなっているだけ。いつから恋をしなくなったっけ。いつから人を信じることができなくなったっけ。もう覚えていない。
あの頃のような、好いた人に近づくだけで高鳴る心の熱い鼓動。またそんな鼓動を感じたい。いつの日か。
今の私の鼓動は熱いだけ。心と共になる鼓動じゃない。
体だけの鼓動。つまり生きているだけ。いつかあの日を取り戻せるように。頑張る。
“またいつか”が、絶対来るとは限らないって最近痛いほど痛感した。普通にこれからも一緒に生活してくんだろうなって思いもしないぐらい当たり前の日常が、簡単に崩れ落ちてあっという間に兄はいなくなった。
私を呼ぶ声が聞こえない。私が呼んでも返事がない。当たり前にまた映画行こうねって、いつ行けるかなって考えて。帰ってきたら唐揚げにしようねって、いっぱい食べれるよって話してたのに。同じ推しの話をして、こんなストーリー良かったよねって、このグッズ欲しいんだよねって、家族の中で一番好みが合う人だったからいっぱい話したしこれからも話すつもりだった。
帰ってきたらこれあげようって、喜ぶかなって。喜ぶ顔まで想像してたのになぁ……意識がなくなったきり起きずにそのまま逝ってしまった。“また”、“また”って言ってさ、それが本当に来るかなんてわかんないんだね。
そんな気持ちわかったこともなかった。
最近は忙しくて兄のことを考えると足が完全に止まってしまうから。とりあえず現実逃避しないと生きていけない。受け止めようと、その事実を理解しようとすると心の軋む音がする。まぁまだこのままでいっかって思う。
みなさん、生きてる間にいっぱい伝えといたほうがいいですよ。逝ってしまったらもう。何も伝えられない。