僕の一番の『お気に入り』の席に、今日も彼女が座った。
セルフサービスのコーヒー店の、大きなガラス窓向こう側は、繁華街の明るい夜道。そこを行き交う人々を眺めるのにうってつけの窓側のカウンター席でもなく、壁側に沿って並んだテーブル席でもない、店の中央に置かれた大きな楕円形の円卓が、僕のお気に入りの席。
円卓には8つの肘掛け付きの椅子が置かれていて、それの座り心地がよかったのと、通路を背にするせいかどうやら他の客には人気のない席だったのもあって、この店を訪れると僕は、必ずその席を選んだ。
僕がその店に行く時間、店はいつもすいていたし、その席が空いてないなんてことはなく。
だから、あの日──注文したコーヒーを受け取って振り返って、僕の席に人が座っているのを見た瞬間、僕の場所を盗られた不快感に、キュッと胸に痛みが走った。
と同時に、一瞬で自分の狭量さや独占欲を知って、ちょっと笑ってしまいそうにもなった。自分の店でもなんでもないのに、バカだな。
あの日の僕がしょうがない、と選んだ席は、あの席と同じ大きな楕円形の円卓の、対角線上の反対側。
結局、あの日から僕は、あのいちばんのお気に入りの席に座れていない。
あの席には、いつも──僕より先に、あの日と同じ彼女がいるのだ。
そして……今日も。
僕のいちばんの『お気に入り』の席に、彼女が座った。
円卓中央の観葉植物越しの彼女を、僕はそれとなく眺めている。
彼女がマフラーを外してコートを脱ぎ、スマホや持ってきた本をバッグから取り出すのを──。
……あーあ。
今日は、彼女がこの店に現れるようになって初めて、彼女より先に店に来れたってのに。
僕はあの、一番のお気に入りの席を、選ばなかった。
でもそれでよかった、大正解だった! と、ひどくうれしくなってしまっている自分がいる。
僕の目論見通りに、あの席には彼女が座り──彼女は、僕がその席を譲ったことには、勿論気づいていないけれど。
僕が彼女の場所を盗ることにならなくて、本当によかった……と、しみじみ思ってしまったのだ。
これは。なんだろうな、同じ価値観を持った同士に出会えた喜び、と言うか。
この世のたくさんの人間の中で、この時間にこの店を、この店のあの席を選ぶのは彼女とぼくだけで、だから僕は、『誰よりも』彼女に近い人間なのだ──なんて。
はじめの頃の席を取られたガッカリ感が、いつの間にそんな気持ちになってしまったんだか……。
ああそうだ、それと……そろそろ違う席を使うほうがいいかもしれない、いつも自分と同じ円卓を使う男なんて、気持ち悪いかもしれないし──いや、考えすぎか? 僕のことなんて認識してない、そっちの可能性のほうが大きいかな?
……いや、でも。
しばらくここには、座らないようにしてみようか?
この店で、二番目にお気に入りの──いまとなっては一番になってしまった、この円卓の席には。
『10年後の私から届いた手紙』
・まだ生きてます
・いろいろあるけどおおむねなんとかなりそう
・兎にも角にもポイント
ポイントだけは絶対に取っておけ!
某芸人さんのネタそのままでアレだけども!
……大事なことなので、もう一度!
ポイントが!
ポイントこそが!
お前の未来を、救うのだーーーっ!!
ー➖ー➖ー
……なんて手紙を受け取りたかったかなぁ。
まぁ受け取らなくてもなんとかなったけどねっ。
「陽菜〜、今日は『バレンタイン』だからね、パパ、チョコ買ってきたよ〜💕」
「!! ほんとにー? パパだいしゅき〜!」
「っっ……パパも、陽菜が大好きだぞっ。さぁほら、いろんな味が入ってるのにしたんだ。あーでも一度にたくさんはダメだぞ〜。今日は2個までな?」
「わかった! んとね、これにしゅる!」
「え、チョコミント? 買ってきておいてアレだけど、5歳にはどうなんだ、この味…」
「みじゅいろなのー、りょーじくんにあげるのー!」
「味じゃなくて、個包装の色か…って、りょーじくん?」
「りょーじくん、みじゅいろ! バレンタインだからっ」
「……写真立ての前にチョコ置いて、まるでお供え……いや推し活か。にしても、5歳で推し活って……まぁ陽菜が喜んでるなら、百歩譲っていいけども。でもなー、パパが買ってきたチョコを、他の男に……」
「あのね、これっ。赤いの、パパにあげるっ。バレンタインっ! パパしゅき〜、チョコありがとー!」
「っっ、パパにも? パパにもチョコくれるのっ泣? うわーん、陽菜ぁ〜っ💕」
「うわっ、パパ?! もう……泣いちゃー、めっ!」
うっわ〜。90歳を超えてから推しに出会えるなんて、思ってなかった!
この人生も捨てたもんじゃなかった、終わりの終わりにこんなご褒美があるなんてね!
ワタシが生きてるうちに、生まれてきてくれたこと。そしてこうして、ワタシが推しを見つけられるように、光り輝く存在になってくれたこと。
この世にはこんな奇跡がある、でもね。
惜しむらくは──ワタシは、推しの成長を見届けられない。
この前、余命宣告を受けちゃったから。
……なんだけど。
ワタシ……頑張ってみるから!
ババアの底力振り絞って、念じてやる!
とにかく超特急で、生まれ変わりたい!
推しがまだ生きてこの地上にいる、この時代に……神様仏様、お願い!
だから、ワタシが生まれ変わるまで──お願い『待ってて』、ワタシの最推しよ!
そのままそこで、光り輝いていてー!
……ってなことを思い出したのが、ついさっき。
公園のブランコでコケて、頭打って、それがきっかけで思い出したんだけど……あーあ、一緒にいたパパを、すっかり泣かせてしまった。
パパの言った通り、ちゃんとブランコが止まってから降りたのに。
子どもって本当、なんでもないトコでコケたりしちゃうんだよなー、怖い怖い。
ま、それはいいとして。
それより……。
神様仏様、グッジョーーーーブ!
ありがとう!
ありがとうございまーす!!
現年齢、5歳!
西暦で確認したところ、本っ当にすぐ生まれ変われちゃってたので、タイムラグはなんと、たったの5年……いやもう、ちょー優秀すぎん?
前世で17歳だった推しはいま、22歳!
まずはパパのタブレットを拝借して、現状を確認しなきゃだよね!
「パパー。ひな、ころんじゃって、ごめんね?」
「ごめんねって、そんな泣……いやいやいや、パパが全部悪いんだ、うううっ」
「ひな、もういたくないよ! パパ、なかないのっ」
「ふううっ、よし、もう泣かないぞ! ……ああ、そうだ。痛いの我慢して頑張った陽菜に、なにかご褒美を……」
「りょーじくん!」
「……へ?」
「りょーじくん、みるのー!」
「りょーじ……くん?」
「りょーじくん、さがすのー」
「ああ、タブレットで……」
「けんしゃく!」
「はい、検索。えっと……どのりょーじくんかな?」
「あったぁー! りょーじくん!」
「えええ……陽菜はこんなアイドル、いつの間に知ってたんだ……」
「りょーじくんっっ! だいしゅき〜!」
「えっ、そんな……泣いちゃうほど好き?!」
「パパありがと〜! パパだいしゅき〜!」
「陽菜、りょーじくん見れて、よかったなー💕」
「えー。貴女に『伝えたい』ことがあります」
「はい? なにを改まって……まぁ、はい。どうぞ」
「俺と結婚してください」
「……けっこん」
「はい。結婚、です」
「結婚。私と……タクミ?」
「指差して確認しなくても。いまこのテーブルには、俺とアヤしかいないんですけどね」
「っ、プロポーズじゃん」
「はい、そうなります」
「プロポーズを、いま……ここ? 『この場所で』?」
「っ、……はい」
「いつものトコでいっかー、で決めた居酒屋で。生で乾杯して二杯目も飲んで、こうして三杯目に口つけてる、このタイミングで」
「っ、えーと、いろいろ考えたのですが。自分の精神的負担の軽減を優先したら、こうなってしまいました。返す言葉もございません」
「あー違う。責めてるわけじゃなくて……いつもの店で肩の力抜いて、でも二、三杯ひっかけてからじゃないとダメだった、と」
「うん……はい、その通りです」
「それを聞く私は、といえば。ホッケの骨をこうやって、ベロベロッと剥がしたところ……」
「あー……ごめん、タイミング……」
「や、責めてるわけじゃなくてね、ホッケをどう攻略しようか考えてたから、ちょっと思考が追いつかないって言うか」
「何気に俺のことは、冷静に分析してんのに」
「うん、そうなんだけど。自分でもよくわからない、意外と動揺してるのかな」
「……とりあえず。ホッケ、食ってよ」
「……うん、そうする。タクミ、このヘンのトコ、ガッツリ取っちゃって」
「じゃ、遠慮なく……っていきたいトコだけど、よく考えたらそれどころじゃねーわ」
「だよねぇ。私、まだ返事してないし」
「返事……」
「でも、ホッケが冷めていくのも、放って置けないし」
「ホッケ……」
「って、アレ? 私ってやっぱ、タクミのこと、責めたいのかな?」
「あああ……タイミング的に、最悪だったよな……」
「フフッ、そんな、頭抱えなくたって。でもこれって、一生カラカえるネタになりそうじゃない?」
「一生かよ。……っ、一生? 」