おもてなし上手な人に憧れる。小さい頃から、人を家に招き入れることが少なかったし、そもそもそういうことが苦手だと思う。
おもてなし上手な人の家に行くと、そのさりげない気遣いに驚く。清潔に整えられた部屋。相手をリラックスさせながらも、程よいタイミングでものごとが進んでいく。たくさんの手料理が用意されていることもあるし、みんなで持ち寄ったものがあれば、手際よく並べられる。
自分の気の利かなさを思い出すひまもなく、心地よい時間が流れていくのだ。もうすっかり、その人のおもてなしに甘えてしまう。
それなのに、心の底はどこか居心地が悪い。本当はその人に気を使わせているのではないかと、もやもやとしてしまうのだ。
後で、その人に聞いてみたことがある。その人は、笑いながら「おもてなしをするのが好きなのよ。こんなのが好きかな、こうすれば喜ぶかなとか考えながら用意するのがね。だから、楽しんでくれたらいいのよ」。
ああ、そうなのか。私は、その思いに応えることでよかったのだ。
「おもてなし」
私は知っている。君の心の中にあるものを。ふとした時に見せる目は、優しい。
同じ場所にいないことを選んだ。交わす言葉は今までとは違う。事務的で素っ気ない。それでいい。私は大丈夫だ。
そして、一人になったとき、自分の心にも消えない何かがくすぶっているのを知った。君の目に、自分の心の焔を見ていたのだろうか。それがまた燃え上がることはない。でもひっそりと、心の奥を温めてくれている。
「消えない焔」
問い続けている。何で存在しているんだろう。自分にできることをずっと考え続けている。
友人も学生の時から同じように問い続けていた。言葉にならないような焦りや、もどかしさ。何だか分からないけれど、どこか満たされないような気持ちを話し合った。
なかなか会えなくなってからも、時々そんな思いを文字にして送ってきてくれた。時が経つにつれ、回数は減ってきても、色々な思いが綴られていた。ある日突然、パートナーができたと知らせてきた。それ以来、ぱたっと連絡がこなくなった。彼女の問いかけは、もう終わったのだろうか。聞く相手がパートナーに変わっただけなのかもしれないけれど。
私の問いは、ずっと続いている。生活環境が変わっても、それは変わらない。おそらくこれからも。いつか答えは出るのだろうか。自分に期待するなともう一人の私が言う。でも、また別の私がもっともっとと言ってきて、終わらないのだ。
「終わらない問い」
久しぶりに友人の家を訪れた。すっきり整理された部屋の椅子に腰掛けると、壁に羽根のついた飾りがあった。「お土産にもらったの。何か縁起がいいものらしいよ」。「何かいいことあった?」。「あったのか、なかったのか」。
コーヒーを飲んでいると、友人の携帯電話に連絡が入った。幼なじみからだそうだ。「近くまできているみたい」。「ここに呼んでみたら?」。
友人とその人は、側から見てもいい感じだと思っていた。でも、友達なのだそうだ。「ああ、いいの?」。「私は、いいよ」。
しばらくすると、玄関のチャイムが鳴った。人懐っこい笑顔がのぞく。「どうぞ」。友人の声もどこか弾んで聞こえる。ドアが大きく開くと、開いた窓からさーっと風が通り抜けた。「あ、飾ってくれてるんだ」。嬉しそうな声がする。
壁の羽根飾りが、さっきの風で優しくふわふわと揺れていた。
「揺れる羽根」
その人のところに行くのは、少し憂鬱だった。仕事で時々訪ねていくと、大きな体を机からはみ出させるように座っている。怒っているというわけではないけれど、無愛想な感じだった。
ある時、その人が机の引き出しを開けると、奥のほうに小さい箱が見えた。小花が描かれた紙の箱だ。ほかの持ち物とは明らかに違う。何だろう。気になったけれど、気軽に聞く雰囲気ではない。その人の前では、緊張してしまうのだ。
別の日に訪ねると、その人は引き出しを開けたまま作業をしていた。あの箱が見える。「あ、来たね」。珍しく顔をこちらに向けてくれる。その日は、話せるような気がした。
「あの、その箱…」。「あ、これ?」。奥からそっと出して箱を開けてくれた。飴が入っていた。「もしかして、似合わないとか思ってる? この席に前いた人が置いていったの。飴が入っていたから、継ぎ足して使ってる」。笑顔でそう言うと、一つ出して手に乗せてくれた。
もらった飴は、黒糖味ですごく甘かった。その人の知らなかった顔を見たようで、少しうれしかった。
「秘密の箱」