『予感』
予感がした。
あぁ、きっと行くべきだ、と。
理由なんて無い。
むしろ理性は止めろ馬鹿と、けたたましい警報ベルのように鳴り響いていたが、本能がそれ以上に強く、強く欲した。
きっと、この手を掴まねば欲しい物は一生手に入らないぞ。と、それは砂漠で喉をカラカラにした旅人の前に差し出された草臥れて汚い水袋のように、その時確かに思えたのだ。
だから、こそ。
俺は……手を取った。
「俺、アイドルになります」
予感が、した。
きっと俺は、たくさんたくさん後悔する。
見なくて良い闇を見て、無遠慮に吐き出されるファンの皮を被った悪魔の罵詈雑言の心を使い古されたボロ雑巾のようにされる。
……それでも、それ以上に――今、行かないと一生ずっと後悔し続けるのだ。
やる後悔と、やらない後悔なら、俺は前者を選びたい。
差し出された手を強く握った。
その熱さと、自分の固い手、滲み出る自身の手から出る汗の居心地の悪さを、俺は一生忘れないだろう。
秋なのに、まだまだ熱い太陽の日差しに目を焼いた。
そんなよくある、秋の日だった。
おわり
『君が紡ぐ歌』
世界は大抵、理不尽だ。
いつだって本物の綺麗なモノより、上辺だけのメッキの美しさばかりが賞賛を浴びている。
ほら、今も……大きなステージ上では枕をした大根女優が如何にも清廉な新人ですとばかりに光のスポットライトを浴びている。
逆に、地道に雑用やら何やらとシンデレラの如き下積みを重ねた君は舞台裏でデッキブラシを握っている。
下手くそな調子外れの歌が舞台から聞こえる。
きっとこれも、彼女の愛人のパトロンである評論家が天使の歌声だのなんだのと高く評価するのだ。
下らない。
本物の天上の調べは、舞台の上では行われない。
光の当たらない陰で、誰も居ないところにのみ存在する。
いつもスポットライトを動かす僕は、そう思った。
ほら、まばらなカーテンコールが鳴る。
思っていたのとは違った。
そんな顔の客を見るたびに僕は愉悦に内心ほくそ笑む。
本物の歌が舞台の上では行われない怒りと、そんな本物の歌を自分だけが知っているという仄暗い優越感が僕の中を満たしていた。
ああ、はやく君の紡ぐ歌が聞きたい。
こんな下らない音符の羅列ではなくて。
金色の音色が奏でる本物のハーモニーを。
おわり
『光と霧の狭間で』
突然だが、俺の趣味は登山だ。
そして俺の山での教えは一つ『山では何が起こっても不思議じゃない』だ。
そんな俺のとある登山で起きた話を聞いてほしい。
『――汝、何を望むか』
山登りの最中、これは幻覚だろうか。
にしては、やけに威圧感の漂う超常的存在が、俺達にそう語り方掛けてきていた。
大きな圧を感じて、俺達は誰一人まともに声を上げることすら出来なかった。
……一人を除いて。
光と霧の狭間で、アイツは叫んだ。
この登山中にトラブルばかり起こして一切役に立たなかったやつだった。
「ファミチキくださーーーーい!!!」
光と霧の狭間の奥に居る、超常的存在が動揺したように激しく揺れ動いた気がした。
そのまま超常的存在は消え失せ、僕ら登山隊は何も無かった山に戻ってきていた。
「お前、すごいな」
「え、何が??」
俺達がシンプルにすごいと賞賛するも、アイツは自覚が無いのか何の事だと首を捻っていた。
すごいな、リアルな『僕、なにかやっちゃいましたか?』だ。
俺たちは山を降りた。
無事に一人も欠けることなく。
奇跡だと、俺は思った。
もう一度言おう。
山では何が起こっても不思議じゃない。
……どうだ? お前も山に登りたくなってきたんじゃないか?
そういえば、今週末に山に登る予定があるんだが――お前も一緒に参加するか?
席は空けておくよ。気が向いたら言ってくれ。
『砂時計の音』
サラサラサラ……。
「砂時計の音ってさ、何かに似てると思わない?」
夜の部室で、いきなり彼女がそう言った。
僕は取り出していたカップ麺の蓋を慎重に開けながら、首を傾げる。
「何かってなんだい?」
「それはちょっと思い出せないけど……」
うーん、と彼女は頭を抱えて悩みこんでしまった。
僕は彼女をよそ目に、砂が流れきった砂時計をひっくり返す。
再び、サラサラ……と砂時計から砂が流れる音がしだした。
僕は、ふとこんな事を思った。
よく人間の残りの命は蝋燭に例えられるけど、もしも実は砂時計のようなタイプだったのならば? と。
体育で走らされたシャトルランのように、一回の砂時計ではなく、何回も何回もひっくり返して命が繋がれていく。
そして、ふと。うっかりと神様がひっくり返し忘れてしまった砂時計が、事故やら病気になって死んでしまうのだ。
……なんて、馬鹿な考えだろうか。
理系で化学部の僕が急に詩人に転向などして、どうなるというのか。きっとどうにもならないだろう。
「そうだ!」
「どうしたの?」
彼女が何かを閃いた様子で立ち上がる。
僕は優しく聞き返しながら、砂が落ちきった砂時計をみながら、蓋を開けていたカップ麺にお湯を注ぐ。
そして、もう一度砂時計をひっくり返すのだ。
「砂時計ってさ、波の音に似てない? ほら、ざっぶーん、ザラザラザラザラ〜みたいな!」
目を輝かせて彼女は僕にそう語る。その様子が微笑ましくって、僕はくすりと笑いながら彼女を優しく見つめ返した。
「どう?」
「まあ、そうかもね」
「でしょ!!」
内心、そりゃあ海で砂が流れるのと、砂が落ちる音は似ているだろうと思いつつも、この満面の笑みを浮かべる彼女を見ると、僕はどうにも言葉が出てこなくなるのだった。
「ほら、カップ麺出来たよ」
滑りきった砂時計を見て、僕は彼女にカップ麺を差し出す。
「本当に? やったあ! ありがとう!!」
「どういたしまして」
きっとなんてことのない、やりとりだ。
でも、僕にはずっとずっと眩しく見えた。
そんなある日の夜だった。
おわり
『消えた星図』
「星図ってさ、なんだと思う?」
「チーズ?」
「いや、星図」
「ああ、製図台の製図?」
「いや、星の地図と書いて、星図」
「知らんね……だけど、そのまま星の地図なんじゃないかい?」
「……そっか」
『拝啓、遥かなる昔に語り合った友よ。
まさか、お互い今のような事が起こるとは、思いませんでしたね。
あのときに、あなたと星図とは何か、談話したときが懐かしい。
友よ、今この時から、星図というものは消え去ります。
……いえ、はっきりいいます。私が消すのです。
二つの陣営に分かれ、宇宙を舞台に戦争を続け……
私はもう、疲れてしまいました。
だから、全てを灰燼に帰し、宇宙の塵とするのです。
さようなら、友よ』
私は、したためた紙を紙飛行機の形で宇宙へと飛ばすと、起爆スイッチを押した。
目から涙が溢れ出て止まらない。
爆音が周囲から鳴り響き、もはや阿鼻叫喚以外の感情が人類から消えたみたいだ。
凄まじい震動が起き、皿の上で揺れるプリンのように、次々と建物が揺れ動いて崩壊していく。もはや、まともな文明は残らないだろう。
宇宙には、大量の流れ星が……まるで流星群のように光り輝いた。
そして最期。
太陽が一瞬、光を失い辺りが漆黒の闇に包まれたかと思うと、いきなり膨張した真白の光が一面を覆い尽くす。
熱い……なんて感覚はとうに無かった。
こうして全てが失われ、全ての星図が宇宙から消えた。
――願わくば、もしも次に人類が生まれたときには、戦争なんて起こりませんように。
下らない日々が、ずっとずっと、続きますように。
私はそう願いながら、崩壊した身体と共に、意識が宇宙に溶けていった。
おわり