『霜降る朝』
朝、目が覚めた。
……どうにも今日は起きるのが辛いと思っていたら、窓の外に霜が降っているのが見えた。
「あー、ダリィなぁ……」
悪態をついて、頭をかきながら同居人を起こす。
いつもなかなか起きてくれない問題児だが、今日は違った。
「窓の外、霜降ってんぞ。起きないと溶けちまうがいいのか?」
「!!」
ばね人形の如く跳ね起きたガキが、顔も洗わず歯も磨かずに飛び出していく。
俺はそんな様子を見ながら、ゆっくりと落ち着いて台所に移り、お湯を沸かした。
俺が飲むためのブラックコーヒーと、誰かさんのための甘い甘いココアのために。
「ちっ、扉閉めてけよな……」
よほど急いでいたのだろう。
玄関の扉が閉まりきらないままで、外の様子が目に飛び込んでくる。
やや寒さを感じながらも、定位置のソファに座り毛布とコーヒーで体を温めながらも、アイツの様子を見る。
キャッキャッ!と、童心を剥き出して喜んでいる。まるで動物園の猿みたいな様相だが、そんな姿にどこか口元が緩くなる。
さくり、ざくざく。
鼻を赤くしたアイツが、キラキラと輝く瞳で霜を見つめて、踏みつぶす。
これがアリとかだったら陰湿だと言われるのに、霜柱だと幻想的で可愛らしいと言われるのは何故だろうか。
やってることは変わらないだろうに。
なんて思いつつ、俺はようやく重い腰を上げて席をたった。
玄関の扉近くにかけてあるアイツの上着をとって、少し開いた扉から外に出る。
「おい、寒いだろ。これ着とけ」
「!!」
鼻どころかほっぺもイチゴみたいに赤くしたアイツが素直に着る。
手に持ったココアの温度を確かめて、猫舌のアイツに渡す。
アイツはやはり寒かったのか、ぐびぐびと美味しそうに飲んで、満足したように笑った。ヒゲ出来てんぞ。
仕方ないから、吹いてやる。
そんな行為が当たり前になるくらいの月日が立っていた。
そのことに、どこか呆然とする。
「霜踏むの、楽しかったか?」
「!!」
コクコクと、激しく首を縦に振って頷くアイツ。
首取れるぞ、おい。
なんともまあ、平和に見える朝だった。
コイツが300年を生きる魔女で、俺の両親を殺した敵だということを除けば。
……どうやって、殺そうか。ココアに入れた致死量の猛毒も効きやしねぇ。くそが。
続かない、
おわり
『心の深呼吸』
大きく吸って、深く息を吐いた。
そして、目の前のスイーツに大きな口で噛み付いた。
口いっぱいに広がる生クリーム、まさに心の深呼吸。
「君は本当に、シュークリームが好きだねぇ」
そういった甘いものが得意でない彼は、見てるだけで胸焼けしたのか顔を手で抑えて顔を背けてしまった。
「だって、美味しいんだもん。シュークリーム」
「理解出来ないよ、僕からしたらね」
生クリームを見るだけで胸焼けがする、と。
まるで老人みたいな事を言う彼に、私は不思議そうに首をかしげた。
「そういえばさ……」
「何? 次のクリスマスプレゼントの話?」
「ちがう、ちがう! そうじゃなくて、心の深呼吸の話!」
私が元気良くそう言うと、彼は首を傾げながら、私の口元に手を伸ばした。
「クリーム、ついてる」
「あ、ありがと!」
「心の深呼吸って、何?」
「あのね、私は心がつらーい! ってなったとき、シュークリームを口いっぱいに頬張るの! そうするとね、まるで深呼吸したみたいに、気分をリフレッシュ出来るんだよ!」
「ああ、なるほど……そうだねぇ……僕は……」
そう言って、彼は私の方をジッと見た。
「え、なになに? まだ私の口に何かついてる?」
そう言って慌てた様子をみて、わたわたしていると、彼はクスリと笑った。
「違いますよ」
「え、じゃあなに?」
「嬉しそうに笑顔で笑う君の姿が、僕の心の深呼吸ってだけ」
…………へっ?
そう言って彼は、思考停止した私のおでこにキスを落とすと、糸目の顔でニコリと笑って離れて行った。
……お、大人だ。
おわり
『君が隠した鍵』
思い出せない記憶がある。
ずっとずっと昔の事だ。
子供の頃、両親が死んだ。
…………らしい。
実のところ、自分はそれをよく知らない。
どうにも記憶が失われているようなのだ。
いわゆる、記憶喪失、ってやつ?
ただ、断片的に思い出せるものはある。
遠くから鳴り響く鬼の怒号。
痛いほど強く腕を掴んで俺を逃がそうとする、同じ背丈ほどの後ろ姿。
真っ赤な血の池に沈む二人の男女の大人達。
“あなたはいきて”ぜったいだよ。と涙を流しながら、閉ざされる視界。
誰なんだろう――君は。
明らかに、両親ではない人物が混じって居る。
だが、周囲の人からは、知らないとの声しかない。
だから、だから。
自分は“ココ”に戻ってきた。
今はもう更地になった我が家。
そして、その庭から続く……裏山への道。
小さい頃は大冒険だった藪の森が、今はあんなにも低く見える。
急な斜面が、なだらかな坂で。
そして、あのとき隠れた暗い暗い穴の中は、本当に小さな小さな動物の巣みたいな狭さしかなかった。
でも、自分はそこで見た。
ぼろぼろに擦り切れた、小学生の名札を。
消えかかったインク、だがかろうじて読める文字。
それを認識した瞬間だった。
――君が隠した記憶の鍵が、解けた。
ああ、そうだ。
そうだった。
全てを思い出した。何があったのか、を。
そして俺は、こぶしを固く握りしめて唇を強く噛んだ。
ここに来たら、全てが終わると思っていた。
……とんでもない間違いだ。
この事件は、まだ終わっていない。
まだ、鬼は退治されていないのだ。
「君の無念を、必ず晴らすよ」
一陣の風が吹いた。
思わず目を瞑る。
“がんばって”そう言ってくれているような気がした。
こくりと頷いて、その場を後にした。
次にくるときは、花束といい報告を持ってこよう。
……もちろん、君が好きだったウサギリンゴも携えて。
続かない
おわり
『手放した時間』
掃除にかけてた時間を手放した。
この世の全てのことを、お金で解決することは“できない”。
しかし、この世のだいたいのことは、お金で解決“できる”。
つまり、僕はこの度、金を使って、掃除にかけてた時間を買った訳だ。
そして、僕はその時間で、お金を稼ぐ。
うん、なんてすきの無いパーフェクトな計画だろうか。
○○○
そんな虹色な夢は、数年で覚めた。
会社のトラブルで、僕は一文無しになった。
もちろん、掃除のために出す金はなく、自分で掃除をやることになる。
だが、数年間の月日は長かった。
そもそも、最初っから掃除は任せきりにしていたから、やったことが無かった。
「くそ、こんなことなら、はじめから自分でやっておくべきだった」
手放した時間は、意外と鋭い歯で僕に噛み付いてきた。
金で解決出来ることとは、意外とリスクがあるのかもしれない。
おわり
『紅の記憶』
「なぁ、“あかのきおく”ってなんだと思う?」
「は? いきなり、なんですか?」
脳天気な俺がそう聞くと、神経質な幼馴染が眉間に皺を寄せてそう聞き返してきた。
「ゲームのテキストでさ。『ぐっ!紅の記憶が、俺を苦しめるっ!!』みたいな感じで言っててさぁ……」
「ゲームなんてしてたら、馬鹿になりますよ」
率直に冷たく吐き捨てられた幼馴染の言葉に胸が詰まる。
「うっ……ちょ、ちょっとだけ、ちょっとだけだから。み、みんなやってるし、な? な?」
「…………」
無言の圧力が痛い。
目が言っている。
『そう言って、僕よりテストの点数低くて赤点取って泣きついたのは、どこの誰なんですか』と。
「一日一時間だけ、一日一時間だけだから、お願いっ!」
「…………はぁ、まあ、いいですよ、はい」
「やった!」
「……で、なんでしたっけ? アカの記憶?」
「ん?? あっ、そうだ! それな!! なんだと思う?」
腕を抱えて首をぐるんぐるんと傾げつつ悩む俺に、クールで秀才な幼馴染様は鼻で一瞥をくれた。鼻フンだ。斬新だな。
「そんなの、ストーリーを進めれば分かるのでは?」
「ばっ! おま、ばっ!!」
「馬鹿じゃないです、君より賢いです。むしろ、君が馬鹿です」
「そーいうんじゃないんだってぇ!! 想像するのが、楽しいの!!」
そう言うと幼馴染は、ふむ……と口元に手を当てて、神経質そうに、もう片方の手でトントンと机を叩いた。
珍しい。アイツはいつも本が痛むからといって、本を開いて伏せることはせず、常に栞を挟んで閉じるのに。今だけは、栞を挟む暇が惜しかったのか、咄嗟だったのか、それとも無意識か。本を開いて伏せている。
「それはアレですか。クラスの女子が『○○くんって、誰が好きだと思うぅ〜』とかいう、いや本人に聞けよ、僕に聞くなよとかいう、そういうヤツですか」
「そうだけど、お前なんかあった? 恨み篭ってね?」
「いや、ちょっと。なるほど。今日(こんにち)の若者は、こうやって友好を深めるものなのですね。知見(ちけん)を得ました」
「でたお前お得意のチケン(知見)。こんにちの、って。俺、今日(きょう)はじめて聞いたかも。てか、普通じゃね? 逆にどう深めるのか気になるわ」
「未来の日本に対して、どのような社会になることを期待し、また自分が社会に対してどのような存在になるかなど、そういった建設的な夢の話し合いを……」
「お前、坂本龍馬なの? 日本夜明けは近いぜよ! とか言うの?」
「もう二度としません」
「…………なんか、ごめん。本当に」
無言の静寂。
てか、何の話だったっけ……??
「で。アカの記憶ですか?」
「あっ、そう!」
ぽけっと、アホの形相を晒してた俺に、アイツがサラリと話の流れを戻してくれた。やっぱ、コイツは出来るヤツだぜ!!
「それは、アカは、どう書くのですか? レッド? それとも風呂の垢ですか?」
「それがさぁ、ちょっとカッコつけて、くれないの紅!」
「じゃあアレじゃないですか?」
「なになに? やっぱ、炎とか、夕陽とか。あとは怒りとか?」
「……あなたって意外と詩人ですよね。僕が思ったのは、一つ」
「一つ?」
「紅茶じゃないですか?」
「……え、紅茶って、あの、お嬢様が飲んでる紅茶? あのセレブ御用達の、あのお紅茶ってヤツ?」
俺が首を傾げて聞くと、アイツは嫌そうに顔を歪めて、一つため息をつき首を呆れたように振ると、神経質に眼鏡をくいっとした。
「君がどんなイメージを持っているのか知らないですけど、日本の爺婆が縁側で啜っている緑茶と原料は同じですよ」
「え、そうなん?」
「ええ、カメリアシネンシスという茶の木をどれほど発酵させたかの違いしかないですから。だからきっと、その紅の記憶に蝕まれ男?はですね。緑茶だと思って飲んだお茶が紅茶で、そのトラウマに苦しめられているんですよ」
「えぇ、まじか……でもバトルの場だぜ? 茶とか思い出すか?」
「敵キャラの髪色が、紅茶色だったのでは?」
「……あ、そういえば、そうだったわ」
「決まりですね」
「すっげぇ! 流石、学年一位の頭脳!」
「いえ、それほどでも……」
そう言ってアイツは、誇らしげな顔で眼鏡をくいっとあげる。
口では謙遜しつつも、やっぱ嬉しいのだろう。
……ちなみに、後日ストーリーを進めて分かる事だが、紅の記憶に、紅茶とか全然関係なかった。笑った。
おわり