『白い吐息』
白い吐息が漏れた。
手の隙間から溢れたそれは、一筋のたなびく白い糸となり空へと舞い上がる。
まるで、御焼香の煙のようだった。
○○○
「死んだら一体に何になると思う?」
「はぁ? いきなりなんだよ」
とある夏の日だった。
昔の学徒時代の友人が、いきなり訪ねて来た。
流れで一緒にご飯を食べに行くことになり、食後に一息ついているといきなりそう聞かれた。
「わたしはね、蝶になると思う」
「は?」
そういいきった顔が、どこか遠く遠く感じて。
俺は何も言えずに、顔を背けてしまった。
もし、もしも。あのとき、何か言えていたら、今の事実は変わっていたのだろうか。
○○○
「人は死んだら何になる? ……馬鹿らしい」
俺は振り返る。
いまさっき、空気を吸いに冬の寒空に出てきたばかりの……骨を作る場所。
アイツの死体が焼かれて、一本の白い煙がたなびく場所。
「俺も、死んだら白い吐息みたいな煙しか残らねぇのかねぇ……」
イヤな気持ちに、心がザリザリと猫の舌で舐め取られていくように削られる。
どうにか気持ちを宥めようと、煙草を口に咥えてライターを探していた、そのときだ。
ふと、ナニカが視界を掠めた。
「…………は?」
口から落ちた煙草をそのままに、じっとそれを見つめる。
左右対称の羽ばたく存在。
「蝶、だと??」
この冬に??
蝶はたった一瞬で。俺の前を揶揄うように横切ると何処かへと飛んでいってしまう。
「はは、アイツ……まじかよ」
思わず笑みが溢れる。
糸がプツンと切れたように、こらえていた涙が眦から溢れだす。
「人は死んだら、白い吐息ではなく、蝶になるのか……?」
それをアイツは死ぬ前に教えに来てくれたのだろうか。
きっと、俺は言われなきゃ分からないから。
「だったら、それもちゃんと話しとけ、ばか」
だって、きみは分かってくれるだろう?
とどこかでアイツの幻聴が聞こえた気がした。
「はぁ……」
白い吐息が漏れた。
もう、俺はそれを死んだあとの煙のようだとは思わなかった。
一筋の光る一本の道のように、俺には見えた。
おわり
『消えない灯』
私はもうすぐ死ぬ。
命の炎が燃え尽きるのを、ひしひしと感じている。
物事には終わりというものがあり、人間には寿命というものがある。
だから、
「死なないで! 死なないでよ! ねぇ!!」
もう瞼が開かない中、顔面にぼたぼたと熱い涙が落ちてくる。
あぁ、泣いてくれるのか。こんな私のために。
なんて、なんて優しくて、愚かな子だろうか。
「師匠! ねぇ! 師匠!! 言ったじゃん! アタシが一人前の陰陽師になるまで死なないって! 必ず側で立派に育てるって! ねぇ!!」
あぁ。本当に。
ごめんなさい、そして、ありがとう。
「っぁ…、」
「師匠!? なに!?」
首元にかかるネックレス、陰陽師として一人前の証を指差した。
「ぉまえ、だいじょぶ……ぃき、なさぃ」
「!!! ……はい」
あの子が私のネックレスを取って、駆け出して行く。
そうだ、それでいい。
私の灯はここで潰える。
だが、消えない灯がある。
正義という心だけは、私からあの子へ。
消えることなく聖火のように渡された。
願わくば、あの子の未来に前途あることを。
あの子に一緒に笑い合える仲間が出来ますように。
私はろくに動かない口元を無理やり動かして笑い……。
そのまま意識は沼のように沈みこんだ。
おわり
『秘密の手紙』
君から貰った秘密の手紙。
僕はそれを開けずに引き出しの中に仕舞い込んだ。
……今もまだ、開ける勇気はない。
言葉というのは不明瞭で、いつだって手に掴めないそれは、僕の心に直接影響を与えてくる。
陰口を叩かれれば苦しくなるし、褒め言葉を貰うと嬉しいと思う。
一喜一憂する心の動きは、僕のものなのに僕自身ではコントロールが効かない。
だからこそ。
最期に、君から手紙を貰ったとき。
僕は開ける事が出来なかった。
君が死んで十年の月日が経つ。
子供だった僕は大人になり、立派に社会人として働くようになった。
……子供のまま時を止めた君を置いて。
こんな事があった。
とある番組でとある人がこう言った。
『夢に出てくる人は、その人があなたに会いたがってる人なんです』
その日、僕は君を夢に見た。
些細な事で、偶然といえば、偶然だ。
だけど、その偶然の奇跡が僕の背中を押して、
「君に、会いに、きたんだ」
震える手で引き出しの中の手紙を取る。
もたもたとした自分の動作に焦る心を押さえつけながら……僕は便箋を開いた。
残されたのは大粒の涙を流しながら、声も無く泣き叫び蹲る僕の姿だけがあった。
おわり
『君と紡ぐ物語』
青い広大な空を見上げた。
どこまでも、どこまでも続く空。
――君となら、どこまでも飛んでいける気がした。
……しただけ、だった。
「君と紡ぐ物語も、ここで終わりだね」
深刻そうに眉間に皺を寄せて、歯をキツく食いしばった彼の顔を見て言う。
ドクドクと腹に空いた穴から真っ赤な血液が、水袋に空いた穴のようにこぼれ出して止まらない。
……ああ、もう駄目だな。そう判断したのは、当たり前の事だろう。
今まで、色んな事があった。
村の幼馴染だった君が聖剣の担い手に選ばれて勇者になって、僕は頑張って君に着いて行った。
ただの村の本好きな村人の僕が、足手まといだっただろう。
それでも君はずっと褒めてくれていた。着いてきてくれて嬉しいと笑っていてくれた。
……でも、もう此処で終わりだ。
君と森の果実をもぎ取って分け合う事も。
隣の偏屈な爺さんにイタズラを仕掛ける事も。
都会の大きさにビックリして迷子にならないように手を繋いで歩く事も。
初めての娼館に足を踏み入れて顎髭のオカマ姿に遭遇して一緒に逃げかえる事も。
森の中で焚き火を囲みながら将来どうしたいか星を観ながら語り合う事も。
魔物とのバトルで背中を預けて戦う事も。
……君に、最高の親友なんだって言われる事も。
ここで、終わりだ。
「…………死ぬな」
「ようやく、放った、ことばが、それか……かはっ」
回復魔法なんて、御伽噺の産物は存在しない。
いつだって、死は自分の側にある。
そう、それが今来てしまっただけの事だ。
もう、君の姿が霞んでしまって視えない。
だから、君がどんな顔をしているのかは分からないけど……。
でも、一言だけ。
「いきろ」
君と紡ぐ物語は此処で終わりだけど、
君の親友でいられて僕は幸せでした。
おわり
『失われた響き』
彼女の声が失われた。
……明らかに、僕のせいであった。
夕暮れが沈む公園の中、ベンチに座って黄昏れる。
俯いたまま、ずっと足元のアリが巣へと帰るのを眺めていた。
「いいよな、お前たちは家に当たり前に帰れて」
僕は家に帰れない。
……帰りたくない。
いったい、どの面を下げて帰れというのだろうか。
僕には分からなかった。
《大丈夫?》
音もなく、突如として目の前に差し出された紙。
僕は目をかっぴらいて、背を大きく反らした。
「うっ、うわ! なに?」
《ごめん、ビックリさせちゃった……かな?》
声を失った彼女が、眉を下げてこちらを心配そうに見ていた。
「あ、僕こそ……ごめん」
《ううん》
帰ろう、と手を伸ばす彼女の顔が見れない。
僕は顔を背けたまま、差し伸べられた手も取らずにベンチに座り続けた。
「帰れないよ。だって……僕は」
《?》
「僕を庇って、君の喉にナイフが刺さって……来月にライブだって、あったのに」
《あなたが無事で良かった。それで満足だよ》
優しそうな顔で彼女が笑う。
その笑顔に僕は鼻を鳴らし、ぼたぼたと大粒の涙を流した。
泣いても泣いても溢れ出てくる涙、止められなくて服の裾がびちゃびちゃになる。
彼女は苦笑した様子で、ハンカチを取り出して目元に当ててくれた。
「ごめん、ごめんね。本当にごめん」
「 」
失われた響きが、どうにも胸をつんざいた。
僕はこの胸の痛みを、一生抱えて生きていくのだろう。
《大げさすぎ。半年後には声を出せるようになるってのに》
「半年も、じゃないか」
おわり