光の回廊 2025.12.22
以前から気になっていた光の回廊という場所に、団体旅行で訪れた。
光の回廊と呼ばれるそこは、とても大きく、高さは10メートル以上、幅は5メートル以上あるようだった。どこを歩いても太陽の光が差し込む作りになっているそうで、くるりと回っても日差しが入ってくるらしいと、観光ガイドにも書いてある。
ガイドさんは、この回廊の入り口の端に、団体さんを集めて、皆に聞こえるように叫んでいた。
同じように、端に集められた団体さん達がいくつもあり、同じようにガイドさんが叫んでいる。
「とても大切なことを今からいいます。いいですか? この回廊のなかで、決して立ち止まっては行けませんよ。危険ですからね。もう一度いいますよ。危険ですから立ち止まらないでくださいね
落とし物は絶対にしないでくださいね。スマホはショルダーバッグかウエストポーチに入れて、決して落とさないように。スマホに出たり、歩きスマホは、絶対にしてはいけません!」
学校の先生が言うようなことだな、と不思議に思った。ガイドさんは、私たち一人一人の鞄やスマホが落ちないようにしているか、チェックをしている。私もチェックされていた。
チェックがすみ、私たちは回廊のなかに入っていった。
異国の町のなか、たくさんの観光客に揉まれて、中に入る寸前、私のスマホが震えた。彼からだ。
私は無意識のうちにスマホを手に取って立ち止まり、メッセージアプリを立ち上げると急いで返事を打ち込み、しばらくそうしていると、いつの間にか人の気配がしなくなった。
「あっ」
気がついたら、誰もいなくなっていた。
あれだけごった返していた観光客も、一緒の団体さんも、ガイドさんの姿さえなくなっていた。
……どういうこと?
私は立ち止まった。
あれだけ濃密だった人の気配が一切しない。
振り返っても、誰もいない。肩越しにしか見えなかったはずの壁面も、今ならしっかり見える。
真っ黒な石で作られたのであろう、艶やかな壁と柱。アーチ上の天井と、傷ひとつない床には、まるでチェス盤のような黒と白のタイルが敷かれている。
柱と柱の間から差し込む白い光があまりにもまぶしすぎて、私は思わずサングラスをかけた。それでも目蓋の裏に焼き付くほどの白い光だった。
この回廊は、こんな作りだっただろうか。
団体で入ったときには、白黒ではなかった。もっと色鮮やかで、壁には鮮やかな模様を描くタイルが貼られていたし、柱からは青空と、強い日光が入って光と影をくっきりと見せていた。
何より、廊下は各国の観光客で混雑していたし、私と一緒に来た団体のメンバーもいたはず。
私は思わず走り出していた。
スニーカーの靴底が鳴らす音が、回廊に響き渡る。しかし、誰の気配もない。誰とも出会わない。
はあはあと息を切らせて立ち止まる。それでも目の前の景色は全く同じだった。
黒い柱に床はモノクロのタイル。柱の間から差し込む光はより明るくなったのか、サングラス越しにさえ差し込むようになった。
どうしようもなくて地面に座り込んだ。
ひんやりとしたタイルの上から、天井を見上げた。黒と白の格子柄のタイルも、今や光で真っ白だ。先ほどよりもまぶしくなっている。
まさか、ここから出られない?
そう感じた瞬間、私は膝を抱えてすすり泣いた。
どのくらい泣いていただろう。
私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
ガイドさんだ!
慌てて立ち上がると、声の方向を探す。
するとガイドさんが、廊下の奥から走ってきた。
「間に合ってよかった!」
ガイドさんは荒い息をついて私の目の前に立つと、いきなり私の手首をつかんだ。
「急いでください! いつまでもここにいると戻れなくなりますよ!」
ガイドさんは異国語で腕輪になにか叫ぶと、そのまま走り出した。慌てて私も走り出す。
スニーカーの音が二つ、廊下にこだまする。
どのくらいの時間走ったのかよく分からないが、もう限界だと感じたそのとき。
「ここだっ!!」
ガイドさんは叫ぶと、私を連れたまま回廊の壁面へ飛び込んだ。
*****
「どんなに注意しても、最低一人はこうして行方不明になるんです……なぜ、観光ルートにこんなところが入るのか」
ガイドさんの代わりに来たらしい別のガイドさんは肩を落として、絶望に満ちた声で団体に言った。
「あの、あの時立ち止まった女性は?」
誰かがそっと手を上げて、ガイドさんに尋ねた。行方不明とは穏やかじゃない。代わりのガイドさんは首を振って、哀しげに眉を寄せた。
「あの人は、時間までにはお戻りになれないので、どうかお気になさらず……ガイドの皆さんが総出で探しております」
総出で!?
グループがざわついた。
「では、あの、スマホを落としたひとは……まさか……迷子になってしまうと」
「はい……この回廊は長さが2キロ程とはいえ、一度置いていかれると観光客に流されてしまうんです」
無理もないよな。あのすごい人じゃあな。
そういった声が飛び交う。
「では、一旦皆様はホテルに戻りましょう。事情はホテルに伝えております」
*****
数時間後。
他の人に心配されていた私は、本当に申し訳ないのと、ここに帰れたという安心感で、涙が止まらなかった。
そして、これからの人生、あのガイドさんは嘘はいっていないけど、なぜこんな大事なことを隠しているのか分からなかった。ただ、
「今度ここに来たら、あなたはもう戻れなくなります。来ないでください。このことを話してもいけません」と、強く口止めされた。
今後、二度と私はあの国に立ち寄ることはないだろう。
降り積もる想い 2025.12.21
嬉しいこと、哀しいこと、楽しかったこと、時には怒ったこと。
それらは全て、たくさんの想いが降るように積もっていく。
生まれた頃は私のモノクロからセピア色の写真。その数年後には、たくさんのきょうだいと遠足の時に写った、少し色褪せたカラーの写真。みんな半ズボンに半袖シャツといった格好で、ニカッとした笑顔がまぶしい。
20代には妻と共に取った2L版の写真。緊張と期待で表情が硬い。新婚旅行先で、ラベンダー畑で撮ったときの妻のはにかむ笑顔が、今でも私の胸に残っている。
30代になると子供の写真が増えていく。産湯に浸かった頃の写真。はいはいが出来、立ち上がることが出来たときの写真。小学校に入ったときの、校門の前で桜吹雪と共に立つ、妻と息子の笑顔。
40代になるとビデオテープで運動会を録り、それがいつしかデジカメの画像になった。その頃の息子は荒れていたが、カメラを向けると、『しょーがねぇな』と顔を向けてしっかり画面に入ってくれた。
息子の進路を心配したものの、大学に入り、入社したその日に撮った写真はケータイの写メになって、家族に送られていった。
50代。息子は結婚したい人を連れてきた。初対面の時には緊張してガチガチになっていた。その後、食事会を行い、ウェイターさんに頼んで何枚かスマホで写真を撮ってもらう。
コンビニプリントした写真を配ったら、四人とも顔がひきつっているのを見て、私たちは思わず笑ってしまった。
今はすっかり相手は私たち家族に馴染んでいった。私たちも、相手の家族と馴染めただろうと、そう思っている。
60代を過ぎてからはスマホの動画がメッセージアプリの中に増えていく。孫の6ヶ月の写真。3歳の写真。お嫁さんの実家で預かっていることもあるようで、あまり顔が見れず、少し寂しい。
動画だけではなく、小学校に入ってから夏の休みには直を顔を見ることも増える。
年々成長していく孫の動画。そして、実際に会う度に背が伸び、大人らしくなっていく孫。スマホの中は孫の写真と動画がいっぱいになり、SD カード対応のスマホに換えるようになった。
そのカードも何枚もたまっていく。
70代。孫が息子のところに顔を出したらしい。結婚をしたい人を連れてきたのだとか。時の早さを肌で感じながら、私は昔より細くなった手で、そのときの写真を眺めた。やはり、昔のように顔がこわばって撮れているその写真を見て、自分もそうだったと思い、笑ってしまった。
80代。私は暖かいこたつのなかで足を温め、金の刺繍のはいったはんてんを着て、温もっている。古いアルバムから順番にめくって、懐かしい記憶をたどっていた。
アルバムの1ページ1ページ、ケータイやスマホに入っている写真に動画。降り積もっていく想いが重なって、思わず涙が出た。
隣に座っている妻が、そっと私の手を握る。
「これからも写真も動画も取りましょう。まだまだ子供も孫も成長するのですから」
「そうだな。これからも取らなきゃな」
私は手元に合った一眼レフのデジカメを眺めながら、にっこりと笑った。
君が見た夢 2025.12.17
きらきらと輝く
みがきあげられた鏡
外界を照らす その明かりに
身を委ねて
たゆたう この身
ゆったりを流れに乗れば
目覚めよと 呼ぶ声がした
secret love
ざわつく休み時間の教室のなか、男子生徒の声が響き渡る。
「皆さん、聞いてください!」
クラスの人気者、そのスピーカーが教卓に座って、教室全体に聞こえるように叫ぶ。
ざわついていた教室が静まり返る。
「……さんの好きな人は! 委員長でっす!」
やめて!
やめて!
私は教室の隅の席で縮こまる。
昨日、ついに私はクラス委員長に告白をした。今まで、誰も言わず秘密にしていたことに、耐えられなくて。
勇気を出して告白したけど、返事は『ごめん』だった。
だから、せめて彼には、私が告白したことを秘密にしてと言ったのに。
早速スピーカーにしゃべったんだ。
クラス中の視線が、私に突き刺さる。
やめて!
お願いだから、みないで!
私は机にうつ伏せ、皆の視線からの逃れる。涙が止まらない。
そのときだった。
「当校の生徒の安全と精神の保証等に関する校則7の2条」
凛とした、生徒会副会長の声が聞こえた。
思わず顔を上げると、全校一人気の女子生徒が立ち上がった。クラスメイトの視線が、今度は副委員長の方に向けられる。
副委員長は淡々と続けた。
「生徒各人は、安定した学校生活を行う権利を有しており、それを妨害してはならない」
2項の1には……と、続ける副会長の声を聞き、クラス中は黙る。
どういうこと?
私も何が何だかわからず、生徒手帳を開いてみた。確かにこの条文が書かれている。
「この、個人的な情報を皆に吹聴して回ることによって起こりうる結果、……さんが安心して過ごすことは難しいと、予測されます。ですから」
副会長は、スピーカーに向かって言った。
「コンプライアンス違反が発覚したため、……君のこの行動は、担任に報告させていただき、その後の処分を委ねたいと思います」
教室が再びどよめいた。
「そ、それは、クラス委員長が言え、って言ったから!」
スピーカーが委員長に向かって怒鳴る。
「こんなことになるなんて、思ってなかったんだ!」
委員長はスピーカーに言い返し、みにくい争いが始まった。
そのとき、引戸が開いて担任が入ってきた。
蜂の巣をつついたような騒ぎに眉をひそめながら、担任は教卓につく。
すると、副会長が担任にレポート用紙を渡していた。
後日。
スピーカーの男子生徒とクラス委員長に、反省文50枚が課されたという噂が、おそらく、もう一人のスピーカー女子生徒から流された。
証拠はなく、特に取り締まられることはなかった。
多分、副会長にかばわれたんだと思うんだけど……と、私は不安にになった。
この事で余計、苛められるんじゃないのではないかと。
*****
こうして、この事件は学校の伝説となり、いつまでも話題に上った。
原因についても、当時の私の好きな人が、同じクラス委員長だったということまでも語り継がれている。
「あのとき、同じクラスの委員長が好きだったんだよね」
「あのときに副会長、かっこ良かったよね」
同窓会で出会う度に、あまり親しくもないかつてのクラスメイトたちに、あのときのことを、いつまでも持ち出される。
あまりにも気まずくて、同窓会にいくのをやめた。
8月31日、午後5時
学生の時は殺気立つが
社会人になった今では、
9月1日の方が忙しい。