国境付近の小さな村。辺鄙で何の変哲もない村だが、暖かく平和な良い村だ。
そんな村では、国境付近というその性質上、隣国の鐘の音がよく聞こえる。教会の教えを重視する隣国では、鐘の音を聞く頻度も高いのだ。
別に、何も不便なことはない。鐘の音は村人にとっては時報のようなものであった。特に気にすることもない、日常の一部。そのくらい、あの鐘の音はこの村に馴染んでいた。
それが変わったのは、去年の夏頃だった。隣国で政権が変わったらしく、あまり教会の教えも重視されなくなったようだ。以前は隣国中に響くよう鳴っていた鐘の音もささやかなものになり、村に響く鐘の音は幽かなものになった。村人達は少し残念そうにはしたが、隣国は隣国。お上がそう決めたのだと、何も言わなかった。
ところが、政権交代から1年後。隣国との戦争が始まった。村のある国の方が圧倒的に国力で勝っていたため、辺鄙な村であるここまで徴兵令が飛ばされることはまだ無かった。
しかし、戦火はその限りではない。戦火が最も飛びやすいのは、国境沿いの小さな地域。村は、隣国に狙われた。
これまで鐘の音を聞いて生活してきたせいで、どうしても村人達は隣国の兵士を赤の他人だと切り捨てられなかった。当然、命がかかっているのだ。何人もの敵国兵を斬り伏せたし、攻め入ってきた小軍隊とは本国の本部に救援を頼んでまで応戦した。
しかし、ここで斃れた彼らを、ただ腐らせるような真似は村人にはできなかった。かつて教会の教えを守り、同じ鐘の音を聞いてきた彼らを、せめて弔ってやろうと。
そして、村人は村に残された幾つもの遺体を火葬してやった。隣国とは文化が違うかもしれない。あの鐘の教会とは違った見送りの仕方かもしれない。それでも、自分たちなりの方法で、彼らを見送ってやった。
まだ、戦火は盛りを上げている。現在も村のある国の有利で進んでいるそうだ。それでも、今日も毎朝、農作業や家事の前に、共同墓地の前で手を合わせる村人の姿はある。そんな彼らを慈しむ、美しかった本来の教会の、本来の隣国の考えを示すかのように、か細い鐘の音が一つ、寂れた村に響いた。
テーマ:遠い鐘の音
雪が昔から好きで、よく周りからおかしいと言われた。周りの子どもも雪は好きだったが、僕の雪に対するそれは少し異常だったようだ。
周りの子どもは、あくまで雪で遊ぶのが好きなのである。雪そのものではなく、友達と雪玉を投げ合うこと、雪の塊を積み重ねて雪だるまを作ることを楽しみとしている。けれど、僕は違った。雪の結晶の形が、光を反射する具合が好きで、つまるところ雪そのものが好きだった。
そんな僕は、美しい雪を壊すことができなかった。だから、当然子供たちの遊びにも混ざれない。新雪を握って玉にすることは、僕にとっては花畑から乱雑に花々をむしって握り潰すようなものだったのだ。野蛮で、不可解で、僕は空を飛び交う雪玉を見る度悲しくなった。
転機があったのは、中学3年生の時。小学校から大して変わらないメンバーの中に、新顔が入ってくることになった。普段刺激のない田舎の中学で、しかも転校には不自然な時期。すぐに話題はまだ見ぬ転校生の話で持ちきりになった。
友達のいなかった僕は聞き耳を立てることでしか知れなかったが、それでもそこそこの情報は入ってきた。転校生はどうやら男、都会の名門校らしいところからわざわざ転校してくるらしい。
話題性に富んだ転校生がついにやって来た日、彼の姿を見た誰もが言葉を失った。彼は、あまりにも美しすぎた。普段うるさいサッカー部の男子も、すぐ男を好きになる一軍気取りの女子も、彼の前でだけは本気で見惚れて何も言えなかった。
彼はアルビノらしく、肌も髪も、睫毛も何もかもが透き通るように白い。その端正な顔の一番目立つところに嵌め込まれた2つの赤い目は、雪兎の目のよう。
彼は僕にとっての理想そのものだった。賢く、物静かで、冷静。そして何より、その雪をそのまま具現化したような容貌。あの時、僕はきっと本気で彼に惚れていた。
現実はアニメや漫画のように都合良くは回らないし、ラブコメみたいなお決まり展開だってない。僕らの間に大した接点は無かったし、そのまま中学卒業までの短い数カ月を過ごしただけだった。
それでも、彼は僕の心に深く深く焼き付いている。雪が降るたび、雪の結晶を愛でる度、僕の心はまた、あの鮮烈な赤に縫い留められてしまうのだ。
テーマ:スノー
「ねー、明日乗るのちゃんと予約取ったー?」
「取ったって……何回聞くんだよ……」
ドタドタと一人騒がしく荷造りをしていた彼が、一回階段を下りる度に聞いてくるものだから、さすがにそろそろうんざりしてきた。
「しょうがないじゃん!自由席の揺れマジヤバいんだって!」
「あっそ……つかケチって自由席乗ったお前の自業自得だろソレ。」
喧しい荷造り音が聞こえる2階から、何か幼稚な反論が聞こえたような気もした。当然無視したが。
明日は、少し羽根を伸ばして旅行へ行く予定なのだ。このうるさい同居人は、俺の中学時代の友人。バカでうるさくて子供っぽいが、中々憎めない。さてそんな彼は、散々早めにしておけと言ったはずの荷造りを案の定後回しにして痛い目を見ているらしい。
「おい、パスポート忘れんなよ。洒落になんねぇ。」
「さすがに忘れないって!」
不満げに言ってくるが、中学時代、コイツは鞄を丸ごと家に置いてきた前科持ちである。信用ならない。
深夜になってようやく準備が完了したようで、2階が静かになった。この調子だと、旅行初日の朝に寝坊する未来が見える。
まだ朝日も昇らない時間、スーツケースを持って家を出る。向かうのは、各国に配置された銀河鉄道の駅。
「…………ねむい……」
「だから荷造り先にやっとけって言ったろ。」
眠気に目を擦る彼の体を揺さぶり、パスポートを翳して改札を抜ける。既に駅に着いていた電車に乗り込むと、自由席はほぼ満員だった。
俺達は予約席なので、自由席の喧騒を後にしてゆったりと席に座る。広々としたボックス席は、少し値は張ったがやはりその分リラックスできる。
「月って何有名?」
「確か色々あるぞ。餅とか蟹とか。」
がたりと音を立てて動き出した列車に期待を膨らませる俺達を乗せ、列車の汽笛が夜空に響き渡った。
テーマ:夜空を越えて
「今日で俺ら会ってから15年らしいよ。」
「…………おう。」
だいぶ反応に困ることを突然言われたものだから、それしか言えることが無かった。1年目のカップルだとか、10年目の夫婦だとかならまだ分かる。そんな関係なら当然祝いたいだろうし、節目もつけたくなる。しかし、俺らはただの幼馴染、しかも同性。祝う気にもならないし、祝う必要性も感じない。
「感心薄くなーい?」
「ダル絡みうざ……」
肩に纏わりついてくる彼を押しのけ、だらりと姿勢を崩してソファに深く沈み込む。一応ここは彼の家だが、数えたらキリがないほど通ったせいでもはや第二の我が家である。我が物顔で携帯ゲーム機を独占しつつちらりと顔を上げると、不貞腐れたような彼の顔が見える。コイツは俺に何を期待していたんだ。甚だ疑問には思うものの、聞いても碌な答えは返ってこないだろう。そう思ってあえて無視していると、さっきより明らかに拗ねた様子の彼が口を開いた。
「どーせ俺のことなんてどうでもいいんだー……15年も一緒にいるのにどうでもいいんだー……」
放っておくと余計面倒なことになりそうな気配を感じ、俺は適当に機嫌を取る方向へ舵を切る。
「あー……いや、ほら……悪かったって。今お前と何しようか考えてたとこだから……」
さすがにこの程度じゃ騙されてもくれないと思っていたが、奴はこちらが呆れるほどチョロかった。母親の買い物についていく子供のような目で見られた俺は後に引けなくなって、結局少し高めのケーキを奢ってやろうと彼の手を引いて立ち上がり、そのまま玄関へ向かう。
コイツと手を繋ぐなんていつぶりだろうか、なんて考えながら歩いていると、ふとずっと昔の記憶が蘇った。俺達がまだ出会って間もないような頃、親の手違いで家を閉め出された俺の手を、彼がこうして引いてくれた。
左手に伝わる、記憶の中と少しも変わらない体温がどうにもおかしくて、俺はきょとんとする彼を半ば引きずるようにして洋菓子店まで駆けていった。
テーマ:ぬくもりの記憶
周囲を見回すと、自分と似たような姿をした哀れな同胞達が、一見無表情に見えるその表情筋のまま戦火をごうごうと燃やし続けていた。
家族が居るんだと命乞いされようと、目の前の相手が何も知らない、何の罪もない赤子であろうと、敵国の人間である以上「敵」と判断し冷酷に切り捨てる。それが、普通の人間ではできないような鬼畜の所業を熟す、死に損ないな俺達の仕事だった。
戦場で両手足を吹き飛ばされた者。あるいは、脳髄の半分が露出して血の泡を吹いている者。そういった類の兵士を集め、脆弱な人間の身体を捨てさせる。意思も思考も残っているのに、それが自らの体に反映できないようにされた機械である。裏切ることもなく、躊躇って敵兵を生かすことも無い、優秀な兵士たちである俺達は、それでも心は人間のままだった。
小さく柔い赤子の額を撃ち抜く度、家族の写真が入ったロケットのかかっている胸を撃つ度、俺達はどんどん人間からかけ離れていく。鋼鉄製の指先も、壊れた同胞の物を引き継いだ脚も、血を被って汚れている。
誰も俺達に目を向けない。ほとんど死んでいるような状態で勝手に改造され、意思と体を切断されても、所詮俺達は実行犯。恨まれるのも、蔑まれるのも、罵声を吐かれるのも全て俺達。鉄鋼で固められたこの表情はぴくりとも変わらないが、酷い孤独感と後悔、理不尽への怒りと希死念慮に満たされて頭がおかしくなりそうだ。
長きに渡っている戦争は、まだまだ鎮火の気配を見せない。そろそろ、その下らない争いが始まって3度目の冬が来る。作戦終了時に詰め込まれるトラックの荷台も、初めはぎゅうぎゅうに押し込まれて狭かったのに、今では両足を伸ばしたって楽に座れる。そのうちまた追加が来るのだろうが。
光の差さない荷台の中、一人の男の哀れな呻きが響いている。もちろん俺達に発声機構なんて高尚なものは無いので、砂埃やら何やらで壊れた、定型文を収録してあるスピーカーから漏れるノイズなのだろう。アイツは明日には居なくなっているだろうなと予想を付けて、そっと意識を逸らす。同胞が処理されるのにこんな反応しかしないのだから、俺も大概、人でなしに染まってしまったなと自嘲して、体温の通わない、冷え切った金属の指先を目だけで見下ろしていた。
テーマ:凍える指先