『同情』
俺たちは、退屈な日々を意味のない言葉や会話で盛り上がり、上塗りしていく。話題が尽きると日々がつまらないものであると認めてしまいそうになる。
「うぉ〜い」
リュックを左右に弾ませながら、ドスドス走ってくる佐久田が、俺の目の前にたどり着くまでに、片手の爪切りくらいはできそうだ。
「ふぅ、ふぅ、、、ちょ、ちょっと待って。ここ空気薄くね?」
両膝に手をつき、肩で息をし、土気色だった顔色がようやく少し落ち着いてきたところで、やっと声をかける。
「何、どうしたの?」
「俺、最近、ハマってるセリフがあるんだけど、聞いてくれ」
コイツは、深夜アニメ、ドラマ、映画、漫画、小説など様々なコンテンツを網羅している。それゆえ、毎日のように仕入れてきた情報を共有しようとしてくる。本当にどうでもいい、、、
佐久田は急に目をキリッとさせ、
「同情するよ」
抑揚ないが、通る声で言い放った。
コイツは、声だけは無駄にいい。こちらの反応を気にせず、話を続ける。
「例えば、上司の罪を背負わされて、突然、地方の関連会社へ左遷させられたり、大好きな彼女をイケメンに寝取られるとか、自分の力ではどうにもできないことに対して、ライバルでインテリ風のキャラが、肩をポンと叩きながら、『同情するよ』ってね。親が死んだとか、重すぎるやつはダメ。俺、考えただけで泣けてくるし。」
よっぽど、親と仲いいんだな、俺の家とは違うようだ。
しかし、左遷も何も俺たちはまだ高校生だし、イケメンに彼女を寝取られるのは仕方のないことだと考えているのも悲しい。最近はいったいどんな物語を観ていたのだろう。
佐久田の「同情するよ」談義は昼食時になっても続く。
小休憩の度に、俺の机まで来ては、授業中に考えついたシチュエーションの説明を始める。だから、コイツは成績が悪いのだろう。まあ、俺も人のことは言えないが。
「とにかく、俺は今日中に『同情するよ』を完璧に決めてやるから、チャンスの場面を見つけたら、合図しろよな」
アホらしい。
俺たちみたいに陰キャで運動が苦手な生徒の気持ちを無視した、校内マラソン大会がいよいよ来週に迫ってきた。この時期の体育の授業はもっぱらマラソンになる。ただでさえ、嫌いな体育がこの世で一番嫌いなものに変わる季節だ。
佐久田と教室からグラウンドにダラダラ向かう横では、決して目立たないが誰とも気さくに話し、常に中立の立場を保つ陸上部のエース西村くんにクラスでも奔放な女子達が話しかけている。
「西村、どしたの?足引きずってんじゃん」
「朝練で、後輩と接触しそうになって無理な姿勢で避けた時に着地を失敗しちゃってね、、、たぶん捻挫」
「えー、優勝候補筆頭だったのに、マラソン大会どうするの?」
「残念だけど、顧問の先生には、今回は休むように言われてる。」
女子からの励ましの言葉など、ワチャワチャした会話はなおも続いている。
ん!!これはーー
素早く首を振り、隣を歩く佐久田に向け「今がチャンスじゃね?」と視線を送るが、肝心の佐久田は下を向いたまま固まっている。あっ、日和ったなコイツ、、、
俺たちの日々の会話は軽い。浮き上がり弾けて消えるシャボン玉のようだ。そうやってまた別の話題が生まれ、小さな界隈でのブームは次々に切り替わっていく。
しかし、この日は違ったようだ。
「1、2、3…」と熱血体育教師の号令で準備体操が始まって直ぐのことだった。自分の情けなさに脱力していた佐久田が屈伸運動で膝を曲げた瞬間、「ブッ」っとかましてしまう。ざわつきの後、クラス中で大爆笑が起こる。
佐久田、俺は、お前に一番「同情する」よ。後で完璧に言い渡してやるから。
『枯葉』
彼女は太陽のように朗らで、Aを明るく照らし続けてきた。彼女はAの全てだった。
彼女には何にも代え難い夢があり、少ないチャンスが巡ってきた。これを逃すわけにはいかない。
彼女は多くのものを抱えるつもりはなかった。
Aの存在を疎ましく感じるようになった彼女は、拒むように距離を置くようになったため、二人の関係は急速に冷え切っていった。
それでもAに別れる考えは全くない。
彼女は自分に都合のいい嘘を並び立て、短い秋の間に決着をつけた。
切り離されたAは、光と温もりを失い、自分の色を保つことができなくなり、絶望の下、枝から落ちる枯葉のように、身を投げた。
ドッシリとした巨木の幹のように、彼女の考えが揺らぐことはない。
『今日にさよなら』
小春空。フン♪フン♪フン♪フ〜ン♪二連休の初日。
玄関ポーチを降りて一歩目、右足で猫のフンを踏んだ。
下ろして日が浅いハイテクスニーカーの凸凹な靴裏に滑りを感じるか感じないかギリギリのところ、
二歩目に出した左足でまたもや猫のフンを踏む。
朝明け、灰色とキジトラ模様の猫二匹が激しく縄張り争いしているところをアパートの窓から見ていた。最初は「ウーウー」鳴きあい、次に体を大きく見せようと斜に構え、終いには「シャー」とお互い飛びかかった二匹は一つの塊になり、鼠花火のように勢いよく回転しながら視界から消えていった。毎朝アパート前を散歩コースにしているオッサンの飼い犬がうるさく吠えている。「がんばれ、灰色の方」と冷めたように言いながら、二度寝のため部屋へ戻る。
それから、二時間後。
両足ともにフンを踏むという離れ技に、「ふぃわっ」とカン高い声を出しながら、思わず後方に仰け反りバランスを崩す。尻もちを突くや否や、地面に突いた右手で掴んでいるのは、犬のフン。
「んーー!?」こんどは感触がダイレクトだ。
「おわっ」と右側に急いで反転し左手を地面に打ちつけると、やはりそこには、犬のフンが、、、既に左手で押さえ込んでしまっている。「あのオッサン、また犬のクソを放置して行きやがったーー」
なんとか怒りを抑え込んだ途端、誰かに見られてはまずい、近くに人がいるかもしれないと、焦燥に駆られる。
平然とした雰囲気を最大限に演出しながら、今度はゆっくり左反転し片膝を立てた姿勢で座り、やれやれと空を仰いだ瞬間、額に鳥のフンが、ペチャッ。
青空に遠く遠く去っていく鳩をいつまでも見つめる。
今日、俺は額と四肢全てを動物のフンに汚された。
今日は、出かけるのは止めとこう。
『お気に入り』
指名料600円は高いよな、、、
二か月に一回ペース通う美容室には、お気に入りの美容師がいる。
カバのような愛らしい見た目で、バケットハットを被り、ブカブカのシャツにダボダボのカーゴパンツを履いている。こだわりなのかいつも格好に変わりが感じられない。彼はのんびり穏やかに喋り、おそらく同年代くらいだろう。この愛らしいカバさんにカットしてもらえれば、安心だ。妥当な出来上がりだが、担当になればいつも俺に合った最善の髪型にしてくれる。妻や娘からは「なんか普通だね」と言われてしまうのだが。
しかし、その日は違った。担当するのは、話ばかりに夢中で直ぐに手元がおろそかになる、言葉も見た目もチャラチャラした若い男性の美容師だった。
カット後、鏡を見て絶句する。若い美容師いわく、攻めたツーブロックらしい。いや、サイドが浮き上がり過ぎて、まとまりが悪い。帰宅後、情け容赦ない妻と娘に大爆笑され、その日からしばらく二人からは「カッパ」と呼ばれた。怒ったりはしない、だって本当にカッパだもん。
それから、あっという間の二か月が経過する。
そろそろ、髪を切りに行かねば。また、あの若いスタイリストが担当することはあるのだろうか。あいつは圧が強くて言い返せそうな気がしない。あいつはヤバい。
俺の月の小遣いは一万円。そこに美容室代も含まれる。しっかり者の妻は甘くない。そのため、髪を切ることにあまりお金を割きたくない。担当する美容師が毎回変わったとしても、これまで指名することは一度もなかった。指名料600円はあまりにも財布に厳しい。
悩みに悩んだ末、ウェブでチコチコと美容室の予約とスタイリストの指名を完了する。
普通なのはいい。カッパになり、カッパと呼ばれるのはもう嫌だ。
帰宅後、妻から「今回はカッパにはならなかったのね。残念。でもいいわね、格好良くなってる」
「お気に入りの美容師さんに切ってもらったからね」
カッパにならなかったことで、愛らしいカバさんの手腕は正当に評価されることになった。
今後、指名料600円は、必要経費に含めることにしよう。
『誰よりも』
「誰よりも、愛してる」
「だから、それが怖いって、言ってるんでしょ」
「誰よりも好きなんだ、愛してる」
「私は好きじゃない」
「誰よりも、お前を見てきた」
「怖い」
「誰よりも、お前を知っている」
「怖い」
「誰よりも、尽くせる」
「怖い」
「誰よりもーーあれっ、なんだっけ、、、」
「気持ちわるい、お願い、もう死んで」