「みーな、あいしてるよ。」
どこから覚えてきたんだろう。
舌っ足らずな口で流暢なことを言う、わずか4歳の従姉妹に寒気がした。
意味など理解していないくせに、軽々しく吐き出すその様子に足を踏みつぶしてやりたくなった。
横浜と宇都宮。
年に2回の親戚の集まりでしか会わないわたしたち。
歳が近ければきっと仲もよいというばかな大人たちによって、あきらの面倒を見るよう言われる。
こどもって嫌い。
力の加減を知らないからはしゃぐと髪をひっぱるし、突然大声で叫び出すし、ちょっと大人のこと舐めてる。
小さい手足や大きな瞳はかわいいけれど、それなら見ているだけで充分。
面倒を見るといっても大したことはしていない。
あきらだって、いつもぶすっとしてる中学生の女子なんて好きになるはずがないのに。
じゃあ、なんでそんなことを言うの?
気味が悪いよ。
「みーなは、あーちゃんのこと、愛してる?」
どうしてそんなことが言えるの。
愛してる、なんて。
太陽のような方だった。
骨冷える寒空の日、我々のために火を焚べてくださった。
震えることなく。
尽きることなく。
貴方に照らされて輝く月でありたいと言えば、烏滸がましいと言って笑った。
崇高な方だったが、彼は決して人を傍に置かなかった、その命途切れる瞬間さえ。
それは彼自身をより神聖に見せた。
私は彼の代わりにはなれないと知っていた、なぜなら月であるから。
否、光を与えてくれる太陽が無くなった今、私は月と呼べるものですらない無名の衛星だ。
「彼」になれずとも「彼役」になるよう務めた。
勇敢を演じ。
快活を演じ。
そのうち人は私を尊ぶようになった。
心地の好い称賛と同時、腸が明かされることを恐れるようになり、いつしか、本来の自分を拒絶した。
写真家の撮った私の姿を見て、理解した。
私もまた周囲を焦がし近寄らせぬことで する太陽であったと。
「また吸ってる。」
西崎。
普段はアホみたいに仕事ができないくせに、こういう時だけは妙に目敏い。
ビルの隙間、屋上、喫煙所など毎回場所を変えているにも関わらず絶対にぬるりと現れる。
今日は屋上だった。
2本目に火を着けた瞬間、彼は怪訝そうな声で僕を引き止めた。
「犯罪ごとのように言うなよ、西崎には関係ないだろう?」
「そうだけどさぁ。」
手を口元へ寄せると、強い向かい風が僕を遮って、排出される煙の流れを乱す。
その一部を吸い込んで咳が溢れた。
腰が折れる。
「ばか、ばかだ。」
慌てて駆け寄った西崎が背中をさする。
「やめろよ、ばか。きもちわるい。」
「お前が勝手に咳き込んだからだろ。」
それでも背中を撫ぜる手を止めない彼の声色は少し怒っているように聞こえた。
しばらくすると、五目飯のような都会の空気が黒ずんだわだかまりを濾過して、酸素の航路を発掘する。
顔を上げれば眉根を寄せた西崎と目が合った。
「煙草吸ってるお前、いつも苦しそうだ。」
「ああこら、強火にするんじゃないよ。」
藤間が焦ったようにカセットコンロの火を弱めた。
フライパンに転がった2つの目玉は、すでにほんのりと白みを帯びてしまっている。
「料理できないくせにしゃしゃるな。」
「でも、そのほうが早く焼けるわ。」
「典型的な馬鹿野郎だね。」
咲華は唇をとがらせ、フライ返しで目玉の橙色部分をつついた。
ぷつ、と薄い膜が破れて、どろどろした内側が溢れてくる。
「ああ、もう。」
「ほら、固まってないじゃない。やっぱり強い火のほうがいいわ。」
「違うんだって……。」
藤間が顔に手を当てて大きく息を吐いた。
いつもにこにこと難しい言葉を羅列する彼が、今はどうしてか言葉を詰まらせてひどく狼狽している。
その様子がとても面白い。
「どうして強火で焼いてはだめなの?」
「焦げるだろ、底面が。弱火でじっくり、蓋をして。そうすれば全体に火が通って、綺麗な目玉焼きになる。」
「ふうん。そうなの。」
あまり興味のなさそうな声色が出た。
「はあ……料理なんかやらせなければよかった。」
「そう?楽しいわ、藤間が困っているところを見るの。」
「僕は何も楽しくない。」
おぼつかない足取りで近くの椅子に腰を下ろし、不機嫌そうな顔で咲華の気の抜けた表情を見る。
咲華もその隣に座った。
油のはねる軽快な音、窓から入り込む電車の轟音、その間に言葉はなく、彼女はそっと目を閉じる。
「ねえ。」
「なんだい。」
「手、握らせて。」
「やだよ。君は体温が高いから。」
「あなたの手はいつもつめたい。」
藤間の血管の浮いた指先まで腕を伸ばす。
一瞬だけびくりと拒絶するように動かしたが、そっと包み込めば優しく握り返してくれた。
咲華は知っている。
藤間の言葉と行動はいつも一致しない。
「……やっぱり冷たい。熱を持っていないみたい。」
「まあ、君からしたらそうだろうな。」
「わたしの手、あたたかい?」
「あついよ。」
細長い指、爪も伸ばしっきりでガタガタ。
いつでもどこでも真冬に連れて行ってくれる藤間の手が、咲華は好きだった。
この手は自分に振り上がらない。
いつも下から、まるで犬を愛でるような動きで咲華に触れてくる。
それがとても心地よいのだ。
「……そろそろかな。」
「なにが?」
「目玉焼き。もう火が通っただろ。」
「わたしがお皿に盛り付ける。」
蝉が木の幹に力なく伏せっているのを見た。
ひまわりは項垂れている。
真ん中を指でかじるとハムスターが大好きな種が落ちた。
まだまだ日差しは強くて白いリボンの麦わら帽子は手放せないけれど、自身や建物の影がだんだん、だんだん伸びていっていることが分かる。
夏が終わるのだ。
学校が始まるまで1週間を切った。
葉月は体の全部から空気を吐き出すように肩を下ろすと、垂れたひまわりから翻して走った。
水色のワンピースが揺れる。
小石混じりのあぜ道とサンダルがこすれて音楽をつくった。
そうすると古い日本家屋の前に置かれた車が見えてきた。
「おとうさあん。」
葉月は呼ぶ。
汚れが目立つ白色の車の奥から、首に手ぬぐいを巻いた葉月の父が姿を現した。
「どうしたんだ、もうすぐ帰るんだぞ。」
目線を合わせ、優しい声色で諭すように言う。
「何時に出るの?」
「……あと15分かな。」
「じゃあ、100円ちょうだい。最後に駄菓子屋さんでお菓子買ってくるの。」
父親は少し驚いたように目を丸くし、首を傾げた。
しばらく考えるような素振りをしていたが、
「いいよ。」
という一言でポケットから数枚の小銭を渡してくれた。
「いち、にい……うん、100円あるね。気をつけていってくるんだよ。」
「ありがとう。」