火星付近。船体に亀裂が走り、警報が鳴り響く。
爆発まで、あと数十秒。
僕は、地球の妻へ最期のメッセージを送ろうと、震える指を端末にかざした。
旅立ちの朝、些細なことで口論したままだったから。
だが、いざ入力画面を前にして、僕は動きを止めた。
謝りたいか?
愛していると言いたいか?
漆黒の宇宙を見つめ、僕は冷徹な事実に気づく。
伝えたいことなんて、最初から何もなかったのだ。
僕は静かに、端末の電源を切った。
最期の瞬間に、伝えたいことが山ほど溢れて止まらないような、そんな相手と結婚すればよかった。
『伝えたい』
提示された同じお題を、全く違う人生を歩む誰かが書いている。
ただそれだけなのに、気がつくと私はここに戻ってきている。
この場所が、私のすべてというわけじゃない。
けれど、今日も書いてみようかな?と今も思えているのは、間違いなくここで繋がっている皆さんのおかげ。
そんな小さな感謝を、今日はこの場所で綴っておこうと思います。
『この場所で』
世界一優しいと噂される、盲目の紳士がいた。
彼は驚くほど女性にモテた。街を歩けば香水の香りが集まり、甘い声が彼を奪い合った。
「あなたは本当に素敵」
そんな言葉を浴び続けるうちに、男は自信に溢れた。
やがて運命の日が訪れる。
医療手術を受け、男の眼は光を取り戻したのだ。
(ああ、世界はどんなに美しいだろう。僕を愛した彼女たちは、どれほど輝いているんだろう)
期待に胸を膨らませ、男はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
視界に真っ先に映し出されたのは、病室を埋め尽くす女性たちの姿だった。
しかし、男は凍りついた。
そこにいた誰もがみんな、目を疑うほどのブスだった。
『誰もがみんな』
小さな貯金箱を大事そうに胸に抱えた少年が、花屋を訪ねてきた。
「一番立派な、白いカーネーションの花束をください」
店主は少年の泥だらけの靴と、ツギハギだらけの服を見て、優しい声で尋ねた。
「大切な人へのプレゼントかな?」
「うん。世界で一番大好きで大切な人に、どうしても渡したいんだ……」
少年は、貯金箱をひっくり返し、出てきた小銭を丁寧にカウンターに並べた。
商品の代金には到底足りない金額だったが、店主は「今日は特別だよ」と笑って、ラッピングを施した豪華な花束を差し出した。
少年は何度も頭を下げ、大事そうに花束を抱えて走り出した。店主は胸を締め付けられる思いで、こっそり少年の後を追った。
向かった先は、町の外れにある墓地
(ああ、やっぱり……)
あんな小さな子が、一人でお墓に花を供えに行くなんて。
そして、少年は駆け足で墓地の入り口を通り過ぎ、その奥にある古びたアパートへと駆け込んだ。
「お母さん!ただいま!」
扉が開くと、中から髪がボサボサの女がタバコを吹かしながら面倒くさそうに出てきた。しかし、少年の手にある花束を見た瞬間、彼女は顔を輝かせた。
「すごいじゃん! 成功したんだね!」
「うん! これだけ立派なら仕入れた価格の十倍以上で転売出来るよ!」
少年は得意げに鼻をこすり、二人は花束を囲んで笑い声を上げた。
『花束』
私は、この病院に勤める外科医だ。
つい先ほど、担当していた老人が治療の甲斐なく息を引き取った。
しかし、横たわる彼の表情は、驚くほど穏やかで慈愛に満ちた「笑顔」を浮かべている。
手術室の扉を開け、廊下に出る。
そこで待ち構えていた家族に「残念ですが……」と告げると、彼らはその場で泣き崩れた。
だがその後、遺体と対面した彼らは、老人の表情を見てこう言ったのだ。
「苦しまずに逝けたのですね……先生、ありがとうございました」
感謝の言葉を背中で受けながら、私は内心で冷笑する。
実は、私の治療を受けた患者のほとんどは、激痛と絶望の中で苦しみ抜いて死んでいく。今日の老人も、本来の死に顔は恐怖で歪み、目を見開き、断末魔の叫びを上げたまま固まっていた。
しかし、私には特別な技術がある。
死後硬直が始まる前のわずかな時間、メスと糸を操り、引き攣った頬を吊り上げ、目尻を下げ、理想的な顔へと作り変えるのだ。
『スマイル』