【降り積もる思い】
私が一番怖いもの、
それは人だ。
大体の涙は全て人から来ている。
苦しくて辛くて泣いて、
人が好きだから関わった。
でも怖いから嫌いだ。
言葉にして伝えていることと、
内心思っていることが違うのは
当たり前なのかもしれない。
少し不満そうな感じだったり、
嘘をついている雰囲気だったり、
そのちょっとしたことがわかってしまうから、
私は人が嫌いなのかもしれない。
私が変人なのは当然周りの人間は知っているだろう
それでも私を友人として、関わってくれる。
だから私は人が好きだ
そんな矛盾があるからか
私は嫌いになりきれない。
どんなに自分を突き放した人でも
その人が私に手を差し伸べてくれたことがあるなら
それだけで許す理由になる。
離れていった過去の友人たちをまだ想い続けているのは
私だからなのだろう。
通常なら去るもの追わずと
忘れることができるのかもしれない。
自分を見捨てた友人たちの背中を覚えているのは
ただ辛いだけかもしれない。
忘れた方が身のためだと誰しもが言うだろう。
でも私は一度でも自分を助けてくれた人を
私を見捨てた程度で忘れられるほど器用ではない。
一度涙を流すだけで、
恩人たちが自由になるなら私は何度でも泣こう。
きっと私は人が好きなんだ。
でも不器用だから、伝える前に離れて、
不完全燃焼で残った愛を未だに叫び続けている
まるで現世に未練のある亡霊のようだ。
過去の友人や今の友たちは
私が変人であることを許し、
そして好いてくれている
そんな性格を否定する人が
私は大嫌いなのかもしれない。
私が好いた人達が好きな物を否定されることは
何よりも恨めしいことなのだろう。
これはかの旧友が残した、私への罰だ。
きっと私は、あなたが好きだと言ってくれた私を
私自身が否定している。
そんな私が大嫌いで、
あなたが好きだった私が好きなんだ。
私も、私が好きだったあなたが好きだった。
だからずっと、過去のあなたの面影を
真似していたのかもしれない。
そういえばあなたも人嫌いだった。
そんなあなたはもう変わってしまったけれど。
こんなに思っているのに、
戻って来てほしくないのは、
変わってしまったあなたと今の私では
相容れないとどこかで思っているんだろう。
今の私と前のあなたなら、
この思いの先に行けたのでしょうか。
もう考えたくないのに、ずっと思ってしまうのは、
これも私への罰なのでしょうか。
私達兄弟は似ていない。
好きな物でいえば、
私は音楽、弟はゲーム
兄はスポーツ
似ていないからなのか、
自分に無いものを持っている兄弟を
私は尊敬している。
過去に縛り付けられている囚人の私からしたら
今が辛いはずなのに道化を演じる兄は
とても素晴らしい人柄をしている
弟は過去がどうであっても、未来へ堂々と歩く勇者だ。
私にはできない。
どちらも苦しそうで、同時に楽しそうだ。
あんなふうになれたら、
そう思いながらずっと追いかけている。
過去に問いかける。
私は成長しているだろうか。
何をやっても同じだ。意味の無いことだと。
また過去に問いかける
私は成長しているだろうか。
頑張っても報われない方がお前にはあっていると。
囚人は囚人らしく囚われていればいいか。
自分の歩む道に他人は必要ないなら
どうして世間は人と関わることを求めるのだろう。
どうして違う誰かと比べてしまうのだろうか。
【心の深呼吸】
疲れた。と言いすぎて、
息を吸って吐くように疲れたという言葉が出てくる。
疲れているのは皆同じだからか
ただの挨拶として処理されてしまう。
疲れたの"本物"のハードルが上がり続ける。
皆倒れるまで疲れ続けるんだ。
人それぞれという言葉はこういう時に使った方がいい。
何も個性のみに使う言葉では無いのだから。
例えば、跳ぶことが仕事だとする。
一度や二度跳んで疲れてしまう人と、
一時間続けて跳べる人とでは、
仕事でどれだけ疲れるかが違うだろう。
これを見れば人それぞれという言葉が使えるのに
社会における仕事に置き換えてしまうと
人それぞれという言葉が使えなくなってしまう
努力すれば何にでもなれる実力社会だからこそ
疲れて動けない人が努力不足に見えるのかもしれない
手を止めて深呼吸してなんて言っても
その間に努力する方が何倍もいい。
深呼吸なんてしてる場合じゃないんだ。
此処に来た人は少しでも休もうと
そんな葛藤を持ちながら言葉を紡いでいるんだろう。
せめて此処に居る間だけでも
本物とか偽物とか考えずに、
疲れを少しでも置いていってほしい。
私も此処に色んなものを吐き出している。
立ち止まって、足を休ませている。
疲れたらそれでいい。
みんながどうとか考えなくていい。
歩けないなら立ち止まっていい。
きっと生きてるだけで、それだけで。
【落ち葉の道】
どこがで聞いた。
皆が綺麗という桜や紅葉は
どちらも花や葉の最期の姿だ。
花開く前や青々しい新芽の方が
何倍も頑張って生きているのに、
力尽きて死にゆく様が綺麗と言われてしまうのは
何故だろうか。
そんなことを聞いてから、
紅葉の見る目が変わってしまった。
人も同じなのだろうか。
今を頑張って生きているのに、誰も私を見ない。
ずっと先の未来で私が死んだら、
その生き様を綺麗と誰かが言ってくれるのだろうか。
では台風や土砂崩れで折れてしまった樹は
報われないのでしょうか。
人の世に揉まれながらも必死に立った者でも
全てが終わった頃にしか綺麗と言われないのならば、
誰が必死に生きてきた道を褒めてくれるのでしょうか。
この世は結果しか求めていない。
それまでの道には興味はない。
結果にたどり着かずに途中で息絶えた者は
落ち葉として、次に歩む者に踏まれる運命なんだ。
いくら努力しても、才能があっても、
才能を持ち合わせる努力家に先を越される。
その努力家でも、死にゆく瞬間しか綺麗と言わない。
所詮、大樹から落ちた葉だ。
大きな大地は知らないだろう。
結果までの過程の美しさを。
【手放した時間】
ずっと繋いでおけば良かったんだ。
そうすれば苦しむことはなかった。
壊れることはなかった。
本当はもっと親しくしたいけど
恥ずかしさが勝ってしまいできないのが
私の昔からの悪い癖だ。
普段の姿からどこかドライなのは
なんとなく分かってもらえるが、
嫌われたとしても人を思い続けるくらい一途なこと
これはあまり知らない人が多い。
私はずっと昔の失敗を悔いている。
一度手放せばもう戻ることは無いことは
誰よりも知っているはずなのに、
何度も同じ失敗を繰り返してしまう。
ずっと昔のことを覚えている。
紹介してくれたお店、夕焼けの帰り道、
何を買ったのか、どんな会話をしたのか
私は覚えている。
でも相手が話題に出すまで話さないから
興味がないように見えてしまう。
だからいつの間にか離れていってしまう。
どれだけ大切か伝えないから
言えと言われるまで好きを言えないから
ただそれだけ出来ればいいのに、
私は大切な人をなくしてしまう。
私は手放す気は無いのに、
どう気持ちを伝えようか考えている間に
大切な人達は私の手を払ってどこかへ行ってしまう。
嗚呼、大切なんだと言うだけで
貴方が壊れなかったのなら、
私はなんて重い罪を犯したのだろうか。
私が貴方を壊したんだ。
どれだけ謝罪しても貴方は戻らない。
私はまだ貴方を想っている。
貴方との思い出を、まだ大切に仕舞っている。
私と貴方は相容れないことくらいは
とっくの昔にわかっている。
それでも大切な人だと思っている。
言葉にしなければ、伝わらないのに。
本当に馬鹿だ。
貴方も貴方だ。。
私が言葉にして伝えることが苦手なことも
貴方が私とって何にも変え難いくらい大切なことも
知っていたはずなのに、
貴方は私から離れた。
私も貴方も
互いを信じすぎてしまったようです。
離れていた時間が長かったためか、
相容れない現実から目を背き、
互いが互いを美化し、現実との差が開いた。
それら全てが原因となり、互いに縁を切った。
絶望したのでしょうね。
その頃 私はどれだけ泣いたか、
貴方は分からないでしょうね。
以前の貴方なら容易に想像できそうですが、
もう何も思い出したくない。
今ではあの時流した涙を笑えるくらいです。
もう私は貴方を見限ってしまったかもしれません。
この反省を胸に私はこれから生きていきます。
貴方はまだ壊れたままでしょうか。
それとももう見えない所まで進んでいるのでしょうか
もし貴方が私と縁を戻したいと言ったら
私は嫌だと言えないかもしれませんね。
なんせ貴方は私の大切な人ですから。
でも出来事はもう一年も前ですから
これ以上引き摺るのはやめにしましょうか。
次からはもう夢でも、現実でも、妄想でも、
もう会うこともないでしょうね
それでは、
「また会いましょう。」