太陽のような
人生において燦然と輝く出会いはどれくらいあるんだろうなぁ…って思う。
それは奇跡であり、あるいは運命的な偶然であり、必要とされた必然なのかもしれない。
生きる事は闘いだ。
どこかのアニメで聞いたそのセリフは人生を端的に現していた。
思うようにいかない理想の美しさに灼かれた人生は生きるだけで血反吐を吐くようで、生々しい程の嫌悪と落胆に彩られたものだった。
信じ続ければ信じるほどに手元に輝く美しい筈の理想はくすみ、希望は焼石に水をかけ続けるかのように蒸発し、無理解という霧に迷い込んだ。
生きるという意味もわからず
生きるという価値が苦しみしか生まない
終わらせるという甘美さこそが正しいのではないかと下ばかり見つめていた時、仰ぎ見た空は青いだけで美しい、そう教えてくれた出会いがピコさんだった。
2018年に亡くなって随分と経った。
今なお、ブログは『独女のスキルス胃がん日記』としてネットの片隅で彼女の生きた軌跡を残し続ける。
生きるという事に意義はなく
苦しみだけでは終わらせない。
あらゆる必然の中にも悲しみがあり
あらゆる偶然の中にも愛がある。
ありがとう、あなたは私の太陽だ。
今年もまた命日がやって来た。
空を見上げると春の訪れを感じるように
蒼穹の中に太陽が輝く。
今も未来もずっと燦然と。
同情
あの善意に満ちた蔑むような目が嫌い。
憐れみというものがいつか人を殺すなら優しいぬるま湯の様な雨だろう。
しゃがみ込み嘆く姿に手を差し伸べるその目には幾分かの優越感が混じり混む。
冷めた目でその光景をみる私の目にはきっと嫌悪とともに一抹の恐怖が宿るだろう。
純全たる優しさは理想だ。
本の中にだけ成立するそのまやかしの無い美しさは、人の中でこそあり得ないから光り輝く。
人が人である限り、神になれないように
神でこそなり得る理想を人が体現する事はない。
優しさに満ちた言葉の中には慈悲という名の甘いだけの理想に、少しだけの苦味が宿る。
その苦味を苦味と知り得ない人間達の『理想とする優しさ』を見ては苦虫を噛み潰すような毒の味を感じるのだ。
『大丈夫?』
かけたら声に振り返ると甘ったるい程の心配に満ちた目の中に無表情の自分が映った。
その同情が嫌い。
その同情が怖い。
その中に宿る無色透明な悪意が怖い。
色彩のない目をした自分がその目に宿るのが怖い。
一度目をしっかりと瞑って目を開ければ
心配そうな目の中にはニコリと笑った自分が映った。
『大丈夫だよ、ありがとう』
貴方の目に映る同情される私が怖い。
バレンタイン
チョコが高い。
物価高だとしても高い。
たけのこの里を手に取って金額にビビる。
250円…だと?!去年までは158円だったはずなのに。軒並み値上がりしたチョコレートは買い物かごに入れることを憂慮する金額になった。
というか、買えない金額では無い。買わないと言う選択肢はなかった。とはいえ、手作りより買った方がいいなという判断を下すには充分だった。
失敗したら洒落にならないならば買ったほうがいい。
京都のショコラティエの、あの可愛い奴を買おう。とりあえず、それはもういい。
だけど自分のチョコに高い目のは無理だ。
スーパーをうろうろする不審者は
とりあえず片っ端からチョコレートを品定める。
200円以下のチョコレートが見当たらない。
100円の菓子の中にチョコがない。
アーモンドチョコは300円に迫る勢いだった。
嘘だ、嘘だと言ってくれ。
少し前なら二つ買える金額でお釣りが少しも出ないとなるとマカデミアナッツも買おうかとはいう目論見は甘すぎる考えになりそうだった。チョコだけに。
バレンタインは好きではない。
色々重たすぎる。
とはいえ、嫌いではなかったのだ。
いろんなチョコが食べれるから。
不審者はうろうろとしながら考える。
少しの量で満足を選ぶか
割高な値段で量を取るか。
迷いに迷って考えた挙句に
ままよ!と思い切って徳用チョコをかごに叩き込んだ。チョコに1000円なんて時代が来るとは恐ろしい。日本、大丈夫か。
この場所で
この場所で生きると決めた10年前の自分が
この街で10年生きた僕が、
この場所を去ると決めたと知ったら
きっとがっかりするかもしれない。
この場所にはたくさんの思い出がある。
いい事より悪い事が多過ぎて
笑いが出そうになってしまった。
思い出せない事がたくさんあって
思い出したくない事がありすぎて
それでもかつて輝く瞳は確かにここで生きると
希望に胸を躍らせ決めていたんだ。
10年前と同じ日の同じ時間。
同じような青空の下、始まりと終わりだけが違うがらんどうの部屋に別れを告げた。
永住の地はここではなかったが
いつかここが故郷だと
そう笑って言える場所に行きたい。
最低限の荷物だけを入れたスーツケースをガラガラと引いて新たな新天地に足を進めた。
花束
『次の職場でも頑張ってね』
笑顔で手を振られて去っていく人を見送るのがつらい。自分の時はまぁ、本当に散々な形になるだろう。とはいえ、ここに残るという選択肢は無いが。
用意された花束を見下ろして、ここに転職してしまった事を後悔した。
入ってすぐの違和感を信じて辞退するべきだったのだけど、過去に戻る事は出来ないし。
最善を選んできた筈なのに振り返れば後悔ばかりが浮かんだ。
お金が貯まれば溜まるほど捨てたものがある。
捨てたものがどんなものだったかはわからないが、それに希望を見出して後悔するのはとても傲慢であるとわかっている。わからないといけない。わからなければ、過去の自分の我慢に申し訳が立たない。被害者ぶれる程愚か者にはなりたくなかった。
『お疲れ様でした』
笑顔で見送る。あまり接点はありませんでしたが、それでもお世話になりました。心からの言葉を花束がわりに。
『今までありがとうございました』
返ってくる返事もまた当たり障りもなく笑顔で。
『その…』
言い淀まれた言葉になんだろうと下げた頭を上げて伺った。続く言葉がわかっていても。
『大変だと思いますが、頑張ってください』
ええ、私も知っています。
わかりやすいほどの酷すぎる嫌がらせを
みなさん公然と見殺しにしていましたものね
誰を責める内容でも無い。
わかっているからこそ答えなかった。
アイツが悪いとも私が悪いとも、誰が悪いとか何が悪いと言えるほど、プライドは低くなかったから。
ましてや貴方は『他人事だった』だけ。
責める事こそ烏滸がましい。
だからこそ、見捨てた事にカケラ程の罪悪感を持つ資格もない。言って忘れる内容ならば口にしなければ形にすらならないのに、人の弱さをそこに見出してしまう私の弱さを私自身が許せない。
ありがとうとも嫌ですとも選んだ上で返さずに曖昧に笑って誤魔化した。
私から貴方に満開に咲き誇る花束を。
どうか次の職場でも素敵なご活躍を。
私は私の弱さを形にしないで見送る事が貴方への祝福となる事を願って。