お題『太陽のような』
昼下がりの公園は、やわらかな陽射しに包まれていた。
「七海サン、また難しい顔してる」
隣から覗き込んでくる猪野琢真は、まぶしいほどに笑う。屈託のない笑顔は春の陽だまりみたいに無防備だ。
「していませんよ。ただ、少し考え事をしていただけです」
そう返しながらも、七海建人は視線を逸らす。自分より七つも年下の恋人に、こうして心配されるのは、いまだにくすぐったい。
「俺のこと?」
「……どうでしょうか」
からかうように言うと、猪野は子どものようにむっとして、それからすぐに笑った。
「七海サンは、俺がいないとダメなんですよ」
「ずいぶん自信家ですね」
「だって、俺は七海サンの太陽ですから」
真っ直ぐな言葉に七海は一瞬息を呑む。太陽。あたたかくて、強くて、目が離せない存在。
……実際そうなのかもしれない。仕事で疲れた夜も、落ち込んだ朝も、猪野は迷いなく隣に立ち七海の手を握る。
「七海サンは頑張りすぎです」
そう言って手の甲に唇を落とす仕草は、年下とは思えないほど頼もしい。
「……人前ですよ、猪野くん」
「いいじゃないですか。恋人なんですから」
握られた手のひらが、じんわりと熱い。太陽の熱が、じわじわと体の奥まで染み込んでくるみたいだ。
「君は本当にまぶしいですね」
「七海サンにそう言われると照れますね」
七海は小さく笑う。自分は月のようなものだと思っていた。静かで、冷たくて、ひとりで光れない存在。
けれど猪野は違う。
「七海サンは俺の光ですよ。俺が太陽なら、照らしたいのは七海サンだけです」
まっすぐな瞳に射抜かれて、七海は観念したように息を吐いた。
「……では、これからも照らしていてください。私が迷わないように」
「もちろん。一生、隣で」
強く握り直された手。逃げ場のないぬくもりが、胸を満たす。
太陽のような恋人は、今日も惜しみなく愛を注ぐ。
その光に照らされながら、七海は静かに思うのだ。
——このまぶしさに、ずっと焼かれていたい、と。
お題『溢れる気持ち』
七海建人は、自分がこんなにも胸に感情を溜める人間だとは思っていなかった。
仕事では常に理性的で、感情は効率を下げるノイズのように扱ってきたはずなのに――猪野琢真と恋人になってから、その前提が静かに崩れていた。
「七海サン、無理してませんか」
そう言って覗き込んでくる彼の目は、年相応の真っ直ぐさで満ちていた。七海は少しだけ視線を逸らし、眼鏡を押し上げる。
「いえ。お気遣いありがとうございます。ただ……君がいると、少々調子が狂うだけです」
言葉にすれば冗談めいているのに、本心は胸の奥で波打っていた。猪野は年下で、勢いがあって、感情表現も素直だ。その全部が、七海の中に溜め込んできた何かを揺さぶってくる。
「それ、悪い意味じゃないっすよね」
不安と期待が混じった声。七海はその表情に、どうしようもなく愛おしさを覚えた。
「……ええ。むしろ逆です。私は君の前では、感情の制御が甘くなる」
自覚した瞬間、胸が熱を持つ。溢れそうな気持ちを理性で堰き止めるのはもう難しい。
猪野がそっと手を伸ばし、七海の指先に触れた。その温度だけで、胸の奥に溜まっていた想いが静かに決壊する。
「七海サンのそういうとこ、好きです」
その一言で、七海の中の感情はもう隠せなかった。
「……困りますね。本当に」
そう言いながら指を絡め返す自分がいる。溢れる気持ちは抑えるものではなく、表に出していいものなのだと――今は、素直にそう思えた。
お題『Kiss』
猪野の手がそっと肩に触れた瞬間、七海の胸が跳ねた。
「……猪野くん?」
「ん……近くにいたくて」
その声は、期待と不安が入り混じった色を帯びていた。七海は平常心を意識しながらも、内心ではその一言に胸がぎゅっと締め付けられるのを感じていた。いつも冷静であろうとする年上としての自分と、目の前の無垢な青年の間で、感情が波のように押し寄せる。
猪野は何も言わず、ただ七海の膝に手を置き視線を合わせる。目の奥に映る真っ直ぐな思いに、七海は思わず視線を逸らした。ただ純粋に「欲しい」と求められることが、こんなにも胸を焦がすものだとは。
「……触れても、いいですか?」
その声には緊張も、期待も、そして少しの恥じらいさえ混ざっていた。七海は深く息を吸い込み、手を差し伸べる。
「はい……もちろんです」
指先が触れ合った瞬間、体の奥からじんわりと温かさが広がった。理性ではなく、心が先に反応している。猪野はゆっくりと七海の頬に触れ、唇を寄せる。その柔らかさ、温かさ、微かに震える様子——全てが七海の理性を溶かしていく。
「……ん、猪野くん」
「我慢できなくて……」
唇が重なる瞬間、七海は自分の心臓の音が耳に響くのを感じた。こんなにも心を揺さぶられるとは思わなかった。触れられるたび、抱きしめられるたび、心の奥底にしまい込んでいた甘さと切なさが、同時に溢れ出す。
「……七海サン」
「はい、猪野くん」
「好きです……」
その言葉に、七海は言葉にならない感情の波に押し流される。理性で抑えようとする自分と、猪野のぬくもりに溺れたい自分。胸の奥で熱が渦巻き、思わず彼を強く抱き寄せた。
「私も……猪野くん、好きです」
目を閉じ、唇を重ねたまま、二人は互いの存在を確かめる。外の世界は、音も光もすべて遠く、ただ二人の鼓動と呼吸だけが、甘く絡み合っていた。
「これからも、ずっと……そばに」
「うん……ずっと」
七海は心の中で、猪野に全てを委ねてもいいのだと素直に思えた。互いの温もりが、夜の静けさの中で永遠のように続いていく気がした。
お題『1000年先も』
夜更けの部屋に、雨音が静かに響いていた。
照明を落としたリビングで、七海建人はソファに腰掛け、膝の上に読みかけの本を置いている。
「七海サン眠くないっすか?」
隣から覗き込むように声をかけてきたのは、猪野琢真だった。
猪野は七海の肩に頭を預け、まるでそこが定位置であるかのようにくつろいでいる。
「今はまだ大丈夫です。君こそ、もう休んだらどうですか」
「んー……七海サンが起きてるならいい」
子どもっぽい理由に七海は小さく笑った。
年下の恋人は、時々こうして甘えを隠そうともしない。
「相変わらずですね、君は」
「だってさ、七海サンって……離れると、いなくなりそうで」
冗談のようで、どこか真剣な声。
七海は本を閉じ、猪野の方へ視線を向けた。
「私はここにいますよ。簡単には消えません」
「でもさ、未来って分かんないじゃん」
猪野は七海の指を掴み、ぎゅっと握る。
若い体温が、確かさを求めるように伝わってくる。
「千年先とかは想像もできないけど……それでも一緒にいたいんだ」
七海は一瞬言葉を探した。
理屈ならいくらでも並べられるのに、こういう時は不思議と素直になる。
「……千年先は、さすがに約束できませんね」
「えー」
「ですが」
指を絡め返し、猪野の手を包み込む。
「明日も、来週も、十年後も。
君が望む限り、私は隣にいるつもりです」
雨音が、少しだけ強くなった気がした。
猪野は目を瞬かせ、それから照れたように笑う。
「ずるいなあ、七海サンは」
「何がでしょうか」
「俺が欲しい言葉、全部くれるんだもん」
七海は答えず、代わりに猪野の額に口づけた。
それだけで、猪野は満足そうに目を閉じる。
「千年先もさ、七海サンの恋人でいさせて」
「……もちろんです」
雨の夜は静かで、世界は二人きりのようだった。
千年先も変わらないものがあると、今は信じられる。
お題『優しさ』
夜更けのキッチンに湯気がゆるやかに立ちのぼっていた。
テーブルに並ぶ二つのマグカップ。その片方を、猪野はそっと七海の前に差し出す。
「はい、カモミールティーです。眠れそうにないって言ってたから」
「ありがとうございます、猪野くん。相変わらず気が利きますね」
七海はそう言って微笑む。その声音はいつも通り丁寧で、けれどどこか柔らかい。
「七海サン、今日の任務きつかったでしょ」
「……そうですね。ですが、こうして帰る場所があると思うと、不思議と耐えられるものです」
カップを両手で包み、七海は小さく息をつく。猪野は迷いなく距離を詰め、その肩に自分の額を預けた。
「無理しなくていいのに。俺の前では」
「……そう言っていただけるのは、ありがたいですね」
拒まれないことに胸が温かくなる。猪野は腕を回し、ゆっくりと抱き寄せた。
「七海サンはさ、優しすぎるんだよ。いっつも自分のこと後回しにして」
「君も同じでしょう? お互い様です」
そう言いながらも、七海はそっと琢真の背に手を置く。その仕草は遠慮がちで、けれど確かだった。
「……君の優しさに、私は何度も救われています」
「俺のほうこそ! 七海サンが優しいから、俺もそうありたいなって思うんです」
しばらく言葉はなく、ただ心音だけが重なる。やがて七海が小さく微笑んだ。
「この時間がある限り、明日からも頑張れそうです」
「俺もです」
静かなそのやり取りだけで、二人には十分だった。