枯葉
枯葉で1番に思い出すのが、イチョウの木と銀杏の実だ。
神社にあるイチョウの木の綺麗な黄色の落ち葉。
その綺麗さとは裏腹に、銀杏の実の臭いこと!。
綺麗な薔薇には棘がある、という表現は正しくないかもしれないが、目を見張る鮮やかな黄色い葉に近づくなと言わんばかりの、あの銀杏の匂い。
木から落ちた葉であっても鮮やかで、枯葉と表現するには申し訳ないし、間違った表現なのかもしれない。
ただ、木から落ちた葉を枯葉と表現して良いのなら、イチョウの木は、寂しさを感じさせない枯葉だ。
今日にさよなら
「さよなら」という表現があるのか?と疑問に思う。
そんなことが気になる、私は面倒臭い性格だ。
AIに聞いてみる。
文明の利器は大いに利用させてもらう。
「さようなら」が正式な表現で、「さよなら」はその短縮、略語。
「さよなら」という表現もちゃんと認められていたことに驚いた。
「さよなら」はよりカジュアルに日常使いされている。
では、「今日にさよなら」という題名は、「さようなら」とフォーマルな表現をする程ではない、気軽な日常的な別れの場面と考える。
カジュアルな「さよなら」を今日使っただろうか?。
日常使いされているであろう「さよなら」という表現は、私は使っていないようだ。
「さよなら」ではなく、「また明日」で、1日を終わりたい。
お気に入り
自分1人だけの時間、持てていますか?。
1日24時間の中で、自分の為だけに使っている時間は、何時間?、何分?、ありますか?。
私は、自分1人だけの時間が必要な人間です。
ただ、その必要性に気づいたのは、悲しい事に心が壊れてしまってからでした。
今思えば、心が壊れる前兆がありました。
とにかく1年365日の中で、1日でいいから何もしなくていい日が欲しいとずっと思っていました。
ただ、結婚して、ワンオペで家事育児をして、仕事もしていた私に、そんな願いは叶う事なく、結局心が壊れて初めて仕事を休む事になり、自分1人の時間が出来たのです。
そして今は、無理にでも、1日で自分が1人になれる時間を作っています。
自分で自分を守る為に。
自分の為だけに使っている時間が、私のお気に入りです。
書く習慣を書いている、この時間も私のお気に入りです。
誰よりも
私には、誰よりも秀でたものなどない。
オリンピックを見ながら、秀でた人達の集まりに、胸が高鳴ると同時に羨ましくも思う。
自分という人間は、勉強も運動も習い事もそして仕事も、人より抜きん出て出来るわけでもなく、だからといって出来ないわけでもない。
センスがあるとは断言できないが、ないわけでもない。
いわゆる、器用貧乏という部類の人間だ。
私は、この器用貧乏な自分が決して嫌いではない。
何事もそつなくこなせる自分が、誇らしく思えることもある。
ただ、もし違う人生があったのなら、何かに特化した才能を持ち、それを活かした仕事や人生を経験したい。
たぶん私の性格なら、その秀でた才能に対して、誰よりも貪欲に努力し続けるだろう。
その先に、どんな人生があるのか、見てみたい。
バレンタイン
今はもう、バレンタインは、女友達と自分が食べたいチョコを買う行事でしかない。
確かに夫は存在する。
だが、夫の食べたいチョコを買うのではなく、自分が食べたいチョコを、夫におすそ分けしているに過ぎない。
夫の為に買いました感を出しながらチョコを見せる。しかも、バレンタイン限定品だと念を押して言う。
私も味見してみたいから残しておいてね、と一言つけて渡す。そうすれば角が立たない。
一応、夫が嫌いな味や食感のチョコは渡していないので(夫はアルコールやナッツが苦手)、そこは妻としての愛ある配慮と思ってほしい。
本当に私が大好きなチョコ菓子は、夫には出さない。
私は、ゴーフレットが好きだ。何年か前に友達に言われて、そうだと改めて認識した。
いつから好きだったのか考えたら、幼稚園の頃、父親に連れて行ってもらった喫茶店、そこでよく食べたアイスに刺さっていたウエハースが始まりのようだ。
ただ、好きだから買って食べ始めたのは、その友達に言われた時からで、それまでは、ゴーフレットはもらって食べる程度。
ただ、食べるたびに、そうそうこれこれ!、好きだわ、と思っていた。
なぜ、ゴーフレットの話をしたのかというと、バレンタインの時期、私の好きなゴーフレットを売っているお店が、バレンタイン限定品を出すのだ。
その限定品を購入して、私のバレンタインは終わる。