『同情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
悲しかっただけ
何も知らない私は
「その言葉」だけで会いに行く
どうでもよかった
人が欲しかった
だれでもよかった
酔いたかった
お互いどうかしてたでしょ
笑顔で別れて
そのまま帰る
続かない言葉
削除するLINE
棺桶にいると、他者の涙か祈りを浴びる事しかできない。なので、蘇ってみることにした。
蘇ってみて感じたことは、人生よりゾンビ生の方が100倍は楽しいということだ。
ショッピングモールに立てこもる人間を追いかけたり、腐りゆく脚に防腐剤をかけてみたり、人としての生では得られない青春がゾンビにもあった。最高だ。
ゾンビ映画には、「人として死なせてやれ」とか言うセリフがあることが大半だ。
だが死に何があるというのだろうか?形を失っていくだけだ、死なんてものは。眠って目覚めないだけだ、死なんてものは。そこにあるだけだ、死なんてものは。
ああ、同情するよ人間には。こんなにも楽しい日々を知らずに生きているだなんて。死ぬ前より生きている今を知らないだなんて、なんて可哀想なんだ。
お題 ―「同情」
一人って寂しい
そんなこというならさ、きみが
きみがぼくを好きになればいいじゃないか
あの冬、寒さしのぎにココアの缶を
いじいじと両手で握り直しながら
「ごめんね」
ってぽつりとこぼしたきみが
ぼくを一人置き去りにしたんじゃないか
今更だけど、ほんとに悲しかったんだぜ
ひどいことにぼくはまだ諦め切れてもない
毎日、新鮮な寂しさを味わってる
だからさ、同情でかまわないからさ、
ぼくのこと好きになってみてくれないか
寂しいなんていわせない
一人になんてさせやしない
だから好きって言ってみてよ
************
同情
************
所感:
志が低いので、同情してもらえるだけで充分です
『同情』
同情することもされることもあんまり好きじゃない。
多くの人はそうであろう気がするけど。
同情って言葉を聞いてもピンと来なくて、
いまいち自分の中でしっくりと
意味が理解できていないと分かった。
言葉の難しさを感じた。
怪我した写真撮ったり、風邪ひいたって投稿して
「大丈夫?」っていうコメントの数を数えてるあたし
それだけでホッとする
『自分を気にかけてくれる人がいるんだ』と
だけどそれも
“優しいふりした自己満かもしれない”
でも、そんなことまで気にしていたら自分が壊れてしまう気がする
『誰かに気にかけてもらえる』
それがあたしでいるための最低限の条件
あたしには【同情】が必要
お題:同情
同情
アナタに私の今の気持ちがわかるか?私がずっと前から心の底で想い続けていたことをひとつ残らず説明できるのか?アナタが私に向けた好意はいつ何処へ消えていったんだ。ただ、私の心を玩んだならアナタは良い性格してるよ。自分より小さな生き物を狭い籠へと押し込んで、毎日小さくなる愛情をかけるように愛した気分はどうなんだろうな。私には想像もつかないよ。あの時呟いた"孤独"はアナタの勘違いなんだよ。私がその都度、「あなたは決して孤独じゃない」と言う私の気持ちもアナタは知らねぇだろうね。私はアナタの好意に気づいた。だから、アナタを好きになろうと自分を磨き、アナタに足る人へと成り上がった。それなのに、アナタは私の好意を切り捨てた。アナタのよくわからない精神に私は殺されたのよ。アナタが私に言った、「世界で一番愛している」という言葉は飾りだったんだね。あの涙はアクセサリーなんだね。アナタを知らなければ今の私は存在しない。けど、私はこんな言葉にならない気持ちにならなかった。
こんな私にアナタは同情してくれますか。
『同情』
世間一般に見て私は貴方よりも恵まれているから、
貴方の気持ちを真に理解することはできない。
私にできるのは貴方の気持ちを想像して同情することだけだ。そんなもの、なんの慰めにもなりはしない。
怖かっただろう。痛かっただろう。苦しかっただろう。
つらくて、痒くて、助けて欲しくて、イライラして、
それでも誰にも守られなかった。
悲しいね。寂しいね。そんな人生は捨て去りたいよ。
同情くらいしかできないけれど、貴方のそばにいられたら良かった。いられたら良かったのになぁ。
同情は時に人を傷つける
相手を想いやってのことでも
同情された方は 尚更苦しくなる
そういう考えを持っている私は
同情をしないようにしている
これが正しいかはまた別の話だ
同情
同情ってどういう意味だっけ、
とインターネットで検索してみたら
「他人の不幸や苦しみに対し、
その身になって哀れみや心配の気持ちを持つこと」
と出てきた。
何となく同情と聞くと悪い意味な感じがしたが、
この意味だけ見るとそんなに悪くは聞こえない。
その後、インターネットでは
同情と共感の違い、と出てきた
共感は相手の立場と同じ感情を体験し、
同じ立場で心から理解すること
それに対して同情は
相手を気の毒に思い、憐れむことだが、
自分の立場は同じでは無い。
私がテレビのニュースで
子供が亡くなる事件を見た時に抱く、
可哀想という感情は同情、ということになる。
私もそうだが、人は
共感は求めるが、
同情されることは嫌う傾向がある。
でもこの境って、ちょっと難しいよな、
そう思う時がある。
例えば、私は趣味で長年卓球をしているが、
長年している割には中々試合に勝てない。
それをすごく卓球の強い先輩に話すと、
分かる。試合に勝つのって中々難しいよね、と言われる。
そう言われても、何となく共感とは取れない。
相手はとても強くて上手で、
私はそこまで上手では無いから、
でもきっとは相手は同情して言っていない。
これはきっと受け取り側の取りよう。
その境を決めるのは両者の立場と、
言われた側の受け取り方なんだと思う。
彼氏がいる人、いない人、
結婚している人、そうではない人、
子供がいる人、いない人、
そういう立場の差が
共感を同情たらしめるんだろう。
人間の感情って、深くて複雑だなぁ
とそんな風に色々考えさせられるテーマだった。
同情してほしいわけじゃない
自分がみじめに思えるから
ただ、背中をなでてほしいだけ
ただ、寄り添ってほしいだけ
黙って隣にいてくれたらそれでいい
──────
「同情するなら金をくれ!」ってパターンはお約束通りですか古いですか(
同情する側は対等な立場でいるつもりなのに、同情された側は自分が弱いもの認定されたと感じる、など。
なるほどですね(´・ω・`)
同情とエゴ
「辛かったね」
「しんどかったね」
なんて言われるけど
その言葉の奥に
本当の同情の心があった人は
何人いたんだろうね
今じゃほとんどの労りの声が
"同情"
じゃなくて
"エゴ"
に聞こえてくる
同情/SNSで
お大事に、
と言葉をたくさん掛けられる
苦しさと安心が混ぜ合わさって
ありがとうございます、
と言う言葉が胸でざわめく
SNSで伝わってくる言葉に
安心している
距離
何人かな
数える愚かさに
気がつくのは
後々なんだろう
思いやりを数えるような
距離
いったい自分は
心配か同情かを
目の前で決めている
酷い人間だ
同情
なんていらない。
私の感情なんて、わからないでしょう?
勝手に想像して、勝手に枠にいれないで。
優しいふりして、自己満なんじゃないの。
大丈夫だよって近寄ってきて
そんなの求めてない。
ひねくれてるかな。
大人になって改めて思う
同情は何もうまない
想像しても同じ気持ちにはなれないし
情をかけてやるだけ、かけられるだけなら
お互いにあまり干渉しない方がいいんじゃないかと思う
何か行動としてする事ができないなら同情はいらないなと思うようになった。
冷たくなったというか、線引きを強くするようになった
バン! とリビングから凄い音がしたから慌てて向かう。
私の目に飛び込んできたのは顔が白と黄色にまみれた弟の姿。
弟自身もびっくりしているのか固まったままこちらを見ようとしない。
「……何があったの?」
私の問いに弟は呆然と口を開く。
「……たまご、爆発した……」
「卵?」
もう少し詳しく訊くと、小腹の空いた弟はゆで卵を作ろうと思ったけどお湯を沸かすのがめんどくさく感じ、レンチン卵を作ったらしい。
「で、食べた瞬間に爆発したと……」
「姉ちゃん……これ、どうしよう……」
服と床と壁に飛び散った卵の残骸を涙目で見つめる弟。
いやまあ同情はするけど、どうしようと言われても私が提示できる選択は一つ。
「……自分でがんばれ。お母さんには言っておくから」
「……手伝ってくれないの?」
「……服の洗濯くらいならいいよ」
「うん。ありがとう……」
弟はそれから一人で頑張って床や壁をピカピカにしていた。
お母さんからはちょっと怒られたけど、本人が猛烈に反省してるからお咎めはなかったっぽい。
……生卵はレンチン、ダメ絶対。
そう思った出来事だった。
§
生卵は絶対に電子レンジに入れてはいけません。
企業などのレシピを試す時にはレシピ通りに作る&何があっても自己責任の心構えをしてから作りましょう。
さもなければ爆発します。
同情って言葉、どんな由来があるんだろうと思って、いつもの『言海』を見たんだけど、「同情」が「どうじょう」なのか「だうじょう」なのか「どうじゃう」なのか「だうじゃう」なのかが分からなくて、どれも出てこなかったからたぶん載ってないんぢゃないのかな。(どうぢゃう、でわないと思う。)
これはもう自分の限界で、「歴史的仮名遣い」を知らない。そもそも、明治政府が整備した歴史的仮名遣いを普及させたのも『言海』らしいのだが、やっぱすごいなあの辞書。
もう今では、鏡花とか露伴以前に漱石や鴎外でも読めない人が増えてるらしいけど、さらに手書きの行書体とかで読んでた近世以前の人たちとか、すごいなと思う。殿様の手紙の字が読めなくて誤読しました、とかで切腹じゃ洒落にならない。
しかし簡体字になっちゃった中国人も、自国の昔の古典とか読めてるのかね。
ちなみに『明解さん』によれば、きちんとした歴史的仮名遣いは「ドウジャウ」だと書いてあって、「差し迫って困っている相手の苦しみ・悩みを、相手の立場に立って理解し、そのうちに よい運がめぐってくることもあるのだからあまり悲観的にならないようにという気持をいだく(言動に表わす)こと」なんだそう。つまり「あんまり気にするなと思うだけ」のことらしい。これでは他人事すぎるので、関与できる人には「なんかした方がいい?」と聞いてみたりもする。それがお金の場合は、相手と状況と金額の条件がかなり揃えば検討することもある、稀に。
ヤツは銃口を向けてこう言った。
「同情するよ」
そしてゆっくりと引き金にかけた指に力を込めた。
バンっ。
火薬の臭いが立ち込める。
ヤツは表情ひとつ変えずに崩れ落ちていった。
「それはこっちのセリフだ」
隠し持っていた小さなピストルが熱くなっていた。
しかし
私は別に
同情してねるねるねるねを
練ったわけじゃない。
それに
同情では
ねるねるねるねの色は
変わらない。
変えられない。
『図工の先生』
アクリル絵の具の匂いを知った頃 図工の先生の笑顔が浮かぶ 土の下に張る根っこのような 奥深さがそこにある 図工の先生 また笑った 階段の下 煙のように消えてった
立派な病だよ。つらかったね
鬱という立派な病だよ。
人のこと考えて。つらくなっちゃって。
でも最後まで人のことを考える偉い子だったんだ。
偉い。辛かったね。
生まれる場所と環境が悪かったね。
辛かったね。嫌だったね。
怖かったね。人の心ね。
考えちゃってね。辛かったんだよね。
「"また"幸せな日々を作ろう?」
この日々を幸せ。だと思えるように
親がいることに感謝を
親がいなくてもみんなと喋れることに感謝を
喋れなくても身体があることに感謝を
全てに感謝を
感謝するほど感謝される
感謝は必ず巡って帰ってくる
辛かったね
頑張ったね
大丈夫
ありがとう