『同情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
中島みゆきの♪空と君のあいだに がラヂオから流れている。主人公の台詞「同情するならカネをくれ」が流行語になったドラマの主題歌。
この歌の歌詞にいつも感心する。
“君が涙の時にはポプラの枝になる”
“君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる”
手垢の付いてない、彼女だけの愛情表現の言葉。
#同情
涙は、練習すれば出せる。
まばたきを減らし、息を浅くして、可哀想なドラマの主人公の気持ちになりきる。
カメラの向こうでは「こんなに大変なのに強いね」「泣かないで」と優しい文字が流れ、同情は数字になって積み上がる。
私はその数字で出来ていた。
今夜も、父が帰ってこない。メッセージには既読もつかない。別の部屋では母がなにか大きな音を立てている。
台本はないのに、配信ボタンを押してしまう。画面に映る自分は、思ったより醜い顔で泣いていた。声が震えて、うまく喋れない。
コメントはすぐに流れた。「今日リアルだね」「設定強化?」「ちょっと暗いよ」。視聴者数が、静かに減っていく。
私が減っていく。
私はようやく知る。みんなが優しかったのは、私のためじゃない。泣ける物語のためだったのだ。
配信を切ると、部屋はただの夜に戻る。通知は鳴らない。布団の中で声を殺したとき、初めて本当の涙の味がした。
私はみんなの中からいなくなった。
『同情』
同情という言葉には
いらぬもの
余計なものという
札がかけられて
気をつけるようになった
目の前の人が
辛そうな時
その理由を知った時
やみくもな同情は
いらないと思うけど
私の傷口から
想いがあふれる
なんとかあなたに
伝わるといいなと
同情
今日の夢は高校の体育館が
まるでディズニーランドのブルーバイユーレストランな
レストランになっていた
体育館の外や廊下、教室では
呪術廻戦主題歌のキタニタツヤの青のすみかが
流れているが私が体育館の中へと入ったら
坂田銀時、死柄木弔、トガヒミコ、岡田以蔵が出てきた
ブルーバイユーレストランはとても賑わっており
トガちゃんはゲストが食べたい食事を聞き取りして
注文を受け回っていた
周りが賑わっているが周りはカップル、家族連れが多い私だけ独りぼっちだった
〇〇(なんで私1人なの………)
〇〇は、友達が少ないことで悔しくて恥ずかしくて
頬をピンクにして両手を合わせて下を向いていた
空間が暗かった
だけど再現度が高く最高峰レストランクラス
ブルーバイユーレストランの明るさが
名古屋市にある河文レストランの明るさに似ていた
コツン…コツン…
坂田銀時『はい、どーぞ』
銀時が持ってきたのが、岡田以蔵が作った
ミニサラダだ
次に死柄木弔が持ってきた
バジルソースが掛かっている大きなイタリアンサラダが
テーブルに置かれた
死柄木『………値段は1200円だ』
死柄木は私の耳元に囁いて奥へと行ってしまった
私はバジルを掛けるとキラキラと光るサラダを食べた
〇〇『美味しすぎるでしょコレ』
岡田以蔵と私は目が合い微笑み合う
若い女子たち
『ねー、エレンイェーガーを添えて撮ったら良いんじゃ
ない?』
『それな!』
エレンイェーガーのアクリルスタンドを持ちながら撮っている友達同士もいて再び私は寂しくなるが
内面の心奥では笑顔溢れる表情だった
〇〇(1人でも…良いよね?)
トガヒミコがやってきた
『サービスです!』
彼女が私にくれたのは無料ドリンクと無料ミニチキン
グリルだった
トガヒミコ『食べてね!』
私は再び1人になり機械で作った隣にある
カリブの海賊アトラクションを眺めて
食べていた
[終]
私はブルーバイユーレストランに行ったことがない
とても行きたい場所!
妹は友達と一緒に行っている
母は私が生まれる前に友達と一緒に来たらしい
亡き父はブルーバイユーレストランに行ったことがあるのか、分からないけれど…
ロマンチックや値段が高い場所に行きたいと憧れている女子は同情していると思うんだ
同情
涙をぽろぽろと溢すあなたが綺麗で憐れだった。君のその涙を拭っていた人はもういないし、誰も彼もが君を遠巻きにした。無論僕もその1人。でも勘違いしないでほしい。僕は君への憐れみで遠巻きにしたんじゃないよ。君がそういうのが好きって知ってるから、だからそうしたんだ。僕だけじゃないみんなみんなわかっているんだよ。ああ、お可哀想に。そんな女に捕まったせいで、君が悲劇になってしまった。
『同情』
「ああ、それ分かるー!」
そう言って、私がふとこぼした愚痴に『共感』した貴女。
そこには実感がこもっていて、貴女も私と同じように苦労したのだろうことが伺えた。
私と貴女は同じものを見ている。
「ああ、それは可哀想に。」
そう言って、私が泣きながらやっとのことで吐き出した言葉に『憐憫』を向けた貴女。
大丈夫だよ、私がいるからね。
私という小さなものを包む貴女は大きく、私に覆い被さるけれど触れ合わない。
私と貴女は対岸にいて、貴女は私を見ている。
「それは……。悲しかったね。」
そう言って、痛そうに目を伏せ『同情』した貴女。
貴女の脳裏で、私はどんな酷い目にあっているのだろう。
私の言葉を使って想像し、決して私ではない、けれど私に近い「貴女が想像する私」の境遇を悲しむ貴女。
私と貴女は隣にいて、互いの感情を擦りあう。
貴女は「私」を見ている。
他人に自分の感情を完全に理解させる事は出来ない。
私が貴女のことを何も理解できないのと同じように。
ただ、私が以前感じた痛みと今貴女が感じている痛みが同じであれば良いなと思い、そっと寄り添うのがきっと「同情」というものなのだろう。
結局自分も同類なんだと
ふと同情する
仕方ない
まぁそう思えただけでも成長だ
同情
ネットには同情できるニュースがいくらでもあるけどそれよりは怒りを覚えるニュースが多いように思える。
でもそれは個人的な感想であって俺が怒りを抱くようなニュースでも同情を抱く人は多いんだろうな。
てか最近Xのおすすめを見始めたんだけど無限に時間が溶けていく。こんなの見てたら人生終わっちゃうよ、と思いながら時間さえあればXを見てしまう。だめだこりゃ。
かおむけて 悲壮そうな まなざしを
こちらに向けても もうゆるさない
「同情」
青空よ
そんなに優しい瞳で僕を見つめないでくれ
死にたくなってしまうから
同情
共感は同情を内包する…と今は思う
かつて同情は共感と対等だと思っていた
自分は同情タイプで
友人は共感タイプ
家庭環境が同じで心配性なところが似ていた
違うのは口下手か雄弁かってところだけ
互いを支え合っている事には変わりないと
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彼女は類い稀な共感力で私の同情めいた愚痴を飲み込み続けていたらしい
それにも限界があった
澱のように溜まって
ある日突然、盛大に吐き出した
重荷を下ろし無言で微笑む彼女
ようやく私は気づいた
同情されていたのは自分で共感の衣を纏った彼女の一人芝居に甘えていたことに…
同情
同情—— Sympathyの語源は、古代ギリシャ語の"sympatheia" (sym〈共に〉+ pathos〈苦しみ〉)に由来する。
『相手と同じ苦しみを、自分も一人の人間として同時に味わう』
そんな意味だ。
日本では長年「慈悲」や「あわれみ」「不憫」などという言葉が使われており、同情という単語が一般に使われるようになったのは明治時代初期のことで、先ほどのSympathyや、ドイツ語のMitgefühl(共に感じる)の訳語として用いられた。
また、同情という漢字自体は中国古典や江戸の文献にも見られるが、それは「同じ情」、つまり「同じ志を持つこと」という意味合いであった。
総じて、当時の「同情」が現在の「共感」に近い意味で使われていたという。
しかし、言葉の運命とは皮肉なものだ。かつて「魂の共鳴」を意味した「同情」は、大正から昭和、そして平成へと時代が下るにつれ、その手触りを変えていくことになる。
心理学や哲学が感情を細かく分類し始めると、相手と同じ地平に立つ姿勢は共感——empathyという新しい言葉へと引き継がれていった。
取り残された「同情」という言葉には、いつしか「自分は安全な場所にいて、相手を外側から眺める」という、ある種の距離感が混じり始めたのである。
だが、今一度その語源に立ち返ってみれば、そこには「上」も「下」も存在しないことに気づかされる。古代ギリシャの人々が信じた sympatheia とは、宇宙の万物が目に見えない糸で繋がり、一箇所が震えれば、宇宙の果ての他方もまた震えるという、切実な星々の連鎖のようなものだった。
言葉は使われ方によって摩耗し、時に本来の意味を失っていく。だが、その奥に眠る「体温」を掘り起こすのも、また言葉を扱う私たちの役目だ。
誰かの苦しみを、一人の人間として同時に味わうこと。
それは、合理性を重んじる現代において、最も効率が悪く、そして最も美しい人間の営みなのだと思う。
—同情はいらない—
いじめはつらい。
そんなことはみんな知っているはずなのに、いじめはなくならない。
なぜだろう。
「いてて……」
殴られて、蹴られて、ズキズキと痛む体をさすった。
体育館裏から、一人で虚しくとぼとぼ歩く。
部活が終わった今の時間、学校内は静かだ。
いつもこうならいいのに、と私は思う。
「ねぇ阿部さん、いじめられてるでしょ」
廊下を歩いていると、突然背後から声をかけられた。
学級委員長だった。
黒縁のメガネ越しに、こちらを真っ直ぐみている。
「そんなわけないじゃん」と口にしようとしたが、服も汚れているし、ところどころ傷口もみえる。
「だったらなに?」と私はいった。
「俺は、いじめは見逃せない」
彼は悲壮な表情をこちらに向ける。
「同情? そういうのが一番腹立つから」
私は、委員長を無視して真っ直ぐ歩いた。
すると、彼は私の右手首を掴んだ。
「同情……、違うかもしれないけど、そうかもしれない」
「は?」
必死に振り解こうとしたが、彼の力は強かった。
「昔、いじめられてる友人がいたんだ。いや、何もできなかった俺は、友人とは言えないかもしれない」
彼は、手を離した。
「俺は、もう、ただみてるだけなのは嫌なんだ。君の話を聞かせてくれないか」
彼の存在が少し大きく見えた。
私は、彼の目を見つめる。
「私は……」
そこまで口にして、思いとどまった。
「私から話すことは何もない」
そう言って、また歩き始めた。
「今まで気づかなくてごめん! 必ず俺がなんとかするから!」
後ろから、そう叫ぶ声が聞こえた。
本当は関わらないでほしい。他の誰かを巻き込みたくはなかった。
でも、最後にそう言えなかったのは、彼を信じたくなってしまったからかもしれない。
お題:同情
好きです
僕も"好きだけど"友達としてだから。"ごめんね"
《同情》
「同情」
同情より共感とは言うけれど感情はその人だけのもの
その人の気持ちに寄り添うそれだけで十分と思う今日此の頃
共感はこわいの相手に呑まれそう
同情くらいの距離感がいい
「同情するなら金をくれ」は一時流行った言葉だけれど、「ほんとそれ」と思うことが増えてきた。
結局ある程度の財力はあった方がいいんだよなぁ。
END
「同情」
自分の性質や性格で同情されたくなかった。
これは生まれつきで、自分ではどうしようもなくて、散々もがいて諦めた。
でも、周りの人間は勝手に妄想して、好き勝手に同情と憐れみの感情を向けてくる。
もううんざりだ。勝手に俺を可哀想な人間にするな。
俺の人生を勝手に固定するな。
勝手に決めつけるな。
それが、どれだけの侮辱でどれだけ惨めなのかお前らにわかるか?わからないからやるんだろうな。
傲慢で、自分勝手で、勘違いしてる自己陶酔してる奴らに自分の人生を好き勝手されるいわれはない。
もう関わらないでくれ。好きにさせてくれ。
その内段々人間が信じられなくなって関わるのをやめた。
1人でいる方が一番自分でいられる。
きっとこの先も1人で生きていくんだろう。
その思いが、覆されるのは、もう少し、先の話ーーー
あなたといて心地が良いのは
同情とは無縁の立ち位置にいてくれるから
素直に甘えて
私が私でいられる
数少ない心のよりどころ
「辛かったねぇ」
「分かるよ、その気持ち」
「私でよければ相談に乗るよ!」
私の事を分かったかのように近づいてくる女達。
顔や言い方は私のことを同情していても、心の中では嘲笑っている。
だから、私は同情されても軽く流して無視しているのだ。
「なによあいつ」
「折角同情してやってるのに」
ほら、すぐに本性を現した。
あんな奴らに同情されるぐらいなら、私は一人でいい。
「えー!そんなことがあったの!?」
「私も同じことあったから気持ち分かるよ!」
歩道を歩いていると、前から歩いてきた三人組とすれ違う。
「はぁ……」
思わず、溜め息が出る。
少し羨ましいと感じながら、私は一人で遊びに出かけた。
なかなか人と同じにはならない。
けど、どうしてそう思うようになったのかは考えられる。
同じ感情をもつとはそう言うこと