サイコロ

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2/17/2026, 12:09:53 PM

―お気に入り―

「お気に入り」は、
誰にも見せない場所に置いておきたくなる。
 
机の引き出しの奥とか。
本棚の手を伸ばさないと届かない段とか。
誰にも触られない位置。
 
触られていない、
という状態を、
できるだけ長く保てる場所。
 
 
誰かに見せた瞬間、
それはもう、
少しだけ、
汚れる気がする。
 
褒められても。
羨ましがられても。
興味を持たれても。
 
その全部が、
少しずつ、
表面を削っていく。
 
 
私は、
お気に入りのペンを、
いつも筆箱の端に入れている。
 
触れると、
わずかに冷たい。
 
でも、
握っていると、
すぐに、
自分の温度に染まる。
 
それが、
少しだけ、
安心する。
 
 
一番書きやすいのに、
一番使わない。
 
ノートを開くたび、
紙の乾いた匂いがする。
 
インクを出してしまえば、
もう戻れない気がするから。
 
 
減っていくものは、
必ず、
終わる。
 
 
新品のまま、
ずっと、
「好きなまま」でいてほしい。
 
変わらない状態で、
止まっていてほしい。
 
 
 
人も、
少し似ている。
 
 
一番、
大事に思っている人ほど。
 
私は、
近づきすぎない。
 
 
距離を測る。
 
 
一歩。
半歩。
それ以上は、
壊れる。
 
 
近づきすぎると、
呼吸の温度が、
分かってしまうから。
 
それを覚えたら、
もう、
忘れられなくなるから。
 
 
 
だから私は、
お気に入りの人にほど、
何も言えない。
 
 
 




「好き」も。
 
「大事」も。
 





 
言った瞬間、
私のものじゃなくなる。
 
 
今みたいに、
ただ、
隣にいられる時間が。
 
触れていないのに、
存在だけが、
すぐ隣にある時間が。
 
 
それが、
一番長く残る気がして。
 
 
 
お気に入りは、
使わないほうが、
長持ちする。
 
 
でも。
 
 
使わなかったものは、
最初から、
持っていなかったのと、
同じかもしれない。
 
 
触れていない温度は、
最初から、
存在していなかったのと、
同じかもしれない。
 
 
 
それでも私は、
今日も。
 
 
お気に入りのペンを、
筆箱の端に戻す。
 
 
閉じ込めるみたいに。
 
 
インクが減らないことに、
安心する。
 
 
誰にも使われていないことに、
安心する。
 
 
誰にも、
知られていないことに、
安心する。
 
 
 
一度も、
ちゃんと使っていないことに。
 
 
少しだけ、
胸の奥が、
ざらつく。
 
 
削れたみたいに。
 
 
 
それでも。
 
 
 
私はきっと、
一生、
これを使わない。
 
 
 
なくしたくないから。
 
 
 
なくしたくないものだけを、
ずっと、
触らないままにして。








題名:【非公開】



2/17/2026, 1:47:48 AM

―誰よりも―

「誰よりも」
その言葉を、
私は軽く使えない。

誰よりも好き。
誰よりも大事。
誰よりも特別。 

そんなふうに言える人たちは、
きっと、
自分の中の重さを、まだ知らない。
 
私は、
誰よりもあなたを見ていた。

教室の端で笑うときも、
窓の外をぼんやり見ているときも、
話しかけられて、
少しだけ遅れて返事をするときも。

誰よりも、
あなたの小さな癖を知っている。
 
でも。
それはきっと、
あなたにとって、
何の意味もない。
 
あなたは、
誰にでも優しい。

誰にでも、
同じ距離で笑う。

だから私は、
ただその中に含まれているだけ。

特別でも、
例外でもなく。
 
それでも私は、
思ってしまう。
 
――誰よりも。
 
口に出した瞬間、
壊れる気がするから、
絶対に言わない。
 
言わなければ、
まだ、
可能性は死なない。
 
言わなければ、
まだ、
勘違いのままでいられる。
 
今日も私は、
あなたの隣で、
普通に笑う。
 
誰よりも、
あなたを知っているふりをして。

誰よりも、
近い場所にいるふりをして。

誰よりも、
何でもない顔をして。
 
本当は。







 
誰よりも、
届かない場所にいるのに。





 


題名:【深海】


2/15/2026, 11:09:43 AM

―十年後の私から届いた手紙―

ポストから取り出した封筒は冬の空気を
吸い込んだかのように少しだけ冷たかった。
その封筒は、
思ったより軽かった。 

なのに、
指に触れた瞬間、
やけに存在感があった。
紙の表面は、
少しだけざらついていて、
冬の空気みたいに乾いている。

ポストの鉄の匂いと、
外の冷たい空気と、
紙の古い匂いが、
混ざっていた。

部屋に戻ると、
暖房の風が、
頬に柔らかく触れる。

さっきまで冷えていた指先が、
じわじわと温度を取り戻す。
それでも、
封筒だけが、
まだ外の季節をまとっているみたいだった。

テーブルに置く。
時計の秒針の音が、
やけに大きく聞こえる。

カチ、
カチ、
カチ。

飲みかけのココアを一口飲む。
少し冷めていて、
甘さの奥に、
粉っぽい苦さが残る。

喉の奥に、
乾いた膜みたいな感触が残った。
差出人の名前を見る。


私。


十年後の、私。
意味が分からないのに、
分からないまま、
心臓だけが理解しているみたいだった。

封を切る。
紙が擦れる音が、
妙に、静かだった。

中には、
一枚だけ。
折り目の部分だけ、
少し柔らかい。

何度も、
開いたり閉じたりされたみたいに。


『元気?』


インクの匂いが、
ほんの少しだけ残っていた。
書いたばかりじゃないのに、
まだ、
消えきっていない匂い。


『貴方は今、悔しいってちゃんと思えてる?
 誰かの成功を羨ましいって思えてる?』


喉の奥に、
さっきのココアの甘さが、
急に、
しつこく残る。


『諦める理由を、
上手に並べられるようになってない?』


窓の外で、
遠くの車の音がする。
生活の音。
何も特別じゃない音。

でも、
その普通さが、
少しだけ怖かった。


『ねえ。無理に強がらなくていいから、
     その感覚に慣れようとしないで。』


指先が、
紙の端を、
少しだけ強く押す。

爪の下に、
紙の硬さが残る。
 

『何も感じなくなったほうが楽だし、
        それに一番早く終わる。』

息を吸う。
部屋の匂い。
洗剤。
暖房。
少し冷めた甘い飲み物。

全部、
いつもの匂い。

なのに、
少しだけ、
遠く感じる。


『もし、“もういいや”って思い始めたら、
      それを“成長”だと絶対思わないで。』


胸の奥に昔閉まったままだった感情が、
空気に触れて少しだけ形を取り戻す。

古い箱を空けた時の埃の匂いが流れてくるような
感じがした。


『私はね。十年経ってもまだ慣れてない。』

『叶わなかったこと。
 届かなかったこと。
 選ばれなかったこと。』


読み始めたときの紙は冷たかったのに、
手に触れているが温かくなっている。


『でも。』

『それをなかったことにしようとしないで。』

『もし今、何かを手放そうとしているなら。』

『それを絶対に捨てないで。
 まだ、持ってて。』

『重くても。』

『格好悪くても。』

『誰にもわかってもらえなくても。』
 
『十年後の貴方は、
 ちゃんと持ってくれた私を憶えてるから。』


手紙を閉じる。
紙はもう、
最初より温かかった。

まるで、
私の体温を、
覚えてしまったみたいに。

部屋は、何も変わっていない。

カーテンも。

時計の音も。

空気の匂いも。

私は手紙を引き出しの中には入れなかった。
前みたいに埃を被せないように。

ココアをもう一口飲む。 
さっきより、
甘かった。

ただ、心なしか味が薄くなっているような気がした。


題名:【提出期限まであと3650日。】

2/15/2026, 12:15:08 AM

―バレンタイン―

今日の空気は、
どうしてこんなに、音を遠くするんだろう。
廊下の笑い声も、
机を引く音も、
全部、薄い膜の向こうから聞こえる。
 
私は、
手の中の小さな箱を、
制服のポケット越しに押さえていた。
 
溶けないように。
崩れないように。
 
それだけじゃなくて。
 
この気持ちが、
勝手に形を変えてしまわないように。
 
 
放課後。
 
教室には、
まだ何人か残っていて、
チョコの匂いが混ざった空気が、
少しだけ重たい。
 
「今日、大変だったよな」
 
前の席の子が笑う。
 
「友チョコ配るだけで腕死ぬ」
 
みんなが笑う。
 
私も、
一緒に笑う。
 
喉の奥に、
小さな棘みたいなものを残したまま。
 
 
君は、
いつも通りの顔で、
私の机の横に立つ。
 
「まだ帰んないの?」
 
その声は、
昨日と同じ温度で、
一週間前と同じ距離で、
ずっと変わらない。
 
 
それが、
少しだけ、怖い。
 
 
「……これ」
 
私は、
箱を差し出す。
 
できるだけ、
軽く。
 
できるだけ、
なんでもないみたいに。
 
 
君は、
一瞬だけ目を丸くして、
すぐに笑った。
 
「ありがとう!」
 
それから、
少しだけ照れたみたいに、
 
「俺、今日友チョコめっちゃもらった」
 
 
胸の奥で、
何かが、
静かに音を立てる。
 
 
「すごいね」
 
ちゃんと、
笑えたと思う。
 
 
君は、
箱を軽く持ち上げて、
 
「これも友チョコ?」
 
 
その言葉は、
本当に、
悪気のない声で。
 
 
だから、
余計に、
逃げ場がなかった。
 
 
私は、
一瞬だけ迷って、
 
「……うん」
 
と言った。
 
 
君は、
安心したみたいに笑って、
 
「ありがと。大事に食べる」
 
 
その「大事に」が、
どこまでの意味なのか、
聞かなくても分かってしまう。
 
 
帰り道。
 
ポケットの中は、
もう空なのに。
 
 
指先だけ、
まだ、
包み紙の感触を覚えている。
 
 
本当は。
 
 
一つだけ、
味を変えた。
 
一つだけ、
材料を変えた。
 
一つだけ、
意味を変えた。
 
 
でも。
 
 
それはきっと、
甘さの中に溶けて、
区別なんて、
つかない。
 
 
明日、
君はきっと、
普通に話しかけてくる。
 
 
何も変わらない顔で。
何も知らない声で。
 
 
それを想像すると、
少しだけ、
安心してしまう自分がいる。
 
 
伝わらなかったことより。
 
 
この距離が、
壊れなかったことのほうが、
少しだけ、
怖くなくて。
 
 
私は、
そのことを、
まだ、
後悔できないでいる。



題名:【チョコと溶ける】

2/13/2026, 1:49:03 PM

―待ってて―

「――――」
その言葉は約束というより、
僕の中でひとつの季節みたいに居座った。 

終わりが来ないまま、
ただ、居続ける季節。

最初の頃、僕は、
時間を数えていた。 

あとどれくらい。
あとどれくらいで。
あとどれくらいしたら。 

でも、ある日、
数えるのをやめた。

数えても、
減っていかないことに気づいたから。 

「待つ」という行為は、
未来に向かうものだと思っていた。

でも違った。

待つというのは、
同じ場所に、
何度も自分を戻し続けることだった。

僕は、
新しい景色を見ても、
新しい人に会っても、
どこかで必ず、

この場所の温度を探してしまう。

ここじゃない、と確認して、
また、戻ってくる。

君は、
きっと覚えていない。

あのとき、
どんな声で言ったのかも。
どんな顔で言ったのかも。

もしかしたら、 
本当に、
何気ない一言だったのかもしれない。

でも私は、
その何気ない一言を、
ここまで持ってきてしまった。

捨てる理由が見つからないまま。

あの日の言葉は
時間とともに薄れていく。

写真みたいに
色褪せて
ぼやけて
削れて


あの日、君が何と言ったのかも曖昧になった。

それでも。

君は。

どこかで誰かと時を過ごしている。

僕は。

ひだまりのような君の笑顔を探し続けている。


記憶から切り離そうとしても離せない。

君は僕の唯一の存在だったから。
僕には君しか居ないから。

でも、 

君にとって僕は背景の一部。
僕を選ばなくても他の人がいる。

それが、とてつもなく憎い。

ずるい。

ずるいよ。

僕を選んでよ。

僕の心には君が根をはっている。

種を植えても、根だけが伸び続けて、どれだけ待っても花が咲かない。抜いても意味を持たない。

僕じゃだめ?

僕には君しかいないんだよ。

ねぇ、

幸せにするから。

僕は君をずっと待ってるよ。

帰ってきてよ。

「待ってて」って君が言ったんだから。

おねがい。独りにしないで―――


題名:【廃墟の花壇】

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