お題 ―「love you」→2/24〜2/25に書く
人魚の声帯は剥がれ、肉は削がれ、鱗はネックレスとして売られるようになった。「外の世界が見たい」と言い浅瀬へ出た家族の行方は、今も分からないままだ。
我々は歌を歌う。それは弔うためでも祈るためでも無く、呼吸や寝返りや瞬きのように、ただ意識せず繰り返すものだ。自己の連続性の証明であり、表現や楽しみではない。
我々は不老不死ではない。全てはヒトによる迷信なので、我々の肉を食べたところでどうなる訳でもない。
我々は尾鰭を持つ。だがそこに美しさや特異性を見出さない。尾鰭の柄や色合いで個を区別しないからだ。深く暗い海において、自己と他との間に境界を引く必要はない。
我々はヒトの王子を求めていないし、沈没しそうな船からヒトを救い出したりはしない。起こる全てに干渉しない。
ヒトは我々にとって太陽のようなものだ。
我々がイカロスだとするのなら。
お題 ―「太陽のような」
「0から9までの数字には風水的に意味があるんだよ」
思えば君には素質があった。小学生の頃から占いも風水もオカルトも、全てのブームは君が起こしていたから。
だから目の前の君が情報商材を売ろうとしてきたことに納得しているし、今更何も思わない。
でもそんなものに騙されると思っているなら、君のことを金輪際許さない。他に友達が居ないから、なんて理由で持ちかけた話ならもっと許さない。
君はずっと行け好かない奴だけど、そんな落ちぶれた奴じゃなかった。だから、まあ、何ていうか、そんな商材や打算抜きでなら、また会おうよ。
今度会う時はまた0から話そう。
数字の意味とかじゃなくて、君の話。
お題 ― 「0からの」
棺桶にいると、他者の涙か祈りを浴びる事しかできない。なので、蘇ってみることにした。
蘇ってみて感じたことは、人生よりゾンビ生の方が100倍は楽しいということだ。
ショッピングモールに立てこもる人間を追いかけたり、腐りゆく脚に防腐剤をかけてみたり、人としての生では得られない青春がゾンビにもあった。最高だ。
ゾンビ映画には、「人として死なせてやれ」とか言うセリフがあることが大半だ。
だが死に何があるというのだろうか?形を失っていくだけだ、死なんてものは。眠って目覚めないだけだ、死なんてものは。そこにあるだけだ、死なんてものは。
ああ、同情するよ人間には。こんなにも楽しい日々を知らずに生きているだなんて。死ぬ前より生きている今を知らないだなんて、なんて可哀想なんだ。
お題 ―「同情」
純血のエルフが書いた魔法書には需要がある。「雑種のエルフより魔力の質が高い」という迷信をいまだに信じている顧客が多いからだ。
自分が魔法書の執筆業を始めて何百年経っただろうか。正確には覚えていない。「こういう特殊な技術と根気が要る仕事は長命種がするもの」という風潮もあるようだ。
だから、「弟子にしてください!家事でも買い出しでも何でもやります」なんて言いながら家を訪ねてきた少女には驚かされた。
「何十年前の話ですか、もう」
「長命種からすると昨日のようなものなんだ」
「もっと長生きしてやりますよ」
「はは、楽しみにしてるよ」
「絶対師匠を超えてみせますから」
「無理だね、絶対に」
「来世も弟子入りしますから」
「迷惑」
この年になってまだ変化が楽しいだなんて、浮かれすぎているのだろうか。
すべてが枯れてゆくのを眺める事しか出来ない自分に、いい加減飽き飽きしていたというのに。
お題 ― 「枯葉」