静かな終わり
十二月三十一日。
世界が少しずつ、丁寧な手つきで閉じられていく。
外を見ていたクロが、小さく鼻を鳴らした。
銀色の毛が混じった背中に触れると、
確かな体温が手のひらに伝わってくる。
「もうすぐだね」
呼びかける声は、冷えた空気に吸い込まれて消えた。
遠くで、最初の除夜の鐘が鳴る。
重く、深い、青い音。
それは何かの終わりというより、
積み上げた日々を、静かに許していく合図のよう。
クロは大きなあくびをして、私の足元で丸くなった。
特別なことは、もう何もいらない。
ただ、この静寂を分け合える命が隣にあること。
それだけで、この一年は完成していたのだと思う。
どこへも行かない旅
使い慣れた一眼レフを首から下げ、クロを連れて河原へ向かう。
「旅」といっても、いつもの散歩道の延長。
けれど、レンズを覗くたびに世界は新しく書き換えられていく。
光の粒子が、クロの黒い毛並みに溶けていく。
シャッターを切る瞬間、私は私自身から少しだけ自由になれる気がする。
遠くへ行くことだけが旅ではない。
自分の心の、いちばん静かな場所へ降りていくこと。
それを、銀色の光が教えてくれる。
足元でクロが小さくあくびをした。
現像を待つ時間のように、答えを急がない。
私の心の旅路は、まだ始まったばかりだ。
凍てつく鏡
朝の冷気に、庭のたらいの水がぴんと張りつめていた。
それは真っ白に澄んだ「凍てつく鏡」。
世界が一度リセットされたような、清々しい静寂。
お気に入りのカップにコーヒーを注ぐと、香ばしい香りが部屋いっぱいに広がる。
その温もりに誘われるように、愛犬のクロがトコトコと寄ってきた。
つやつやの黒い毛が、冬の陽だまりを反射してキラキラと輝いている。
凍りついた鏡は、冷たいだけじゃない。
これから始まる新しい光を、一番きれいに反射するために準備をしているんだ。
クロの温かい背中に触れながら、私は今日という真っ白な一日を、
どんなふうに歩こうかと考えている。
雪明かりの夜
窓の外は、ふかふかの銀世界。
雪が街を白く塗り替えるたび、まるで新しい明日が用意されているような、そんな清々しさを感じる。
部屋を暖かくして、お気に入りの豆でコーヒーを淹れる。
窓際に腰を下ろすと、香ばしい香りに誘われたのか、
愛犬のクロがトコトコと寄ってきて、私の膝に顎を乗せた。
雪あかりに照らされたクロの瞳が、キラキラと宝石みたいに輝いている。
「明日は一緒に雪の上を歩こうか」
そう語りかけると、クロは嬉しそうに尻尾を振った。
窓の外は冷たいけれど、この部屋の中には確かな温もりと、小さな希望が満ちている。
静かで、贅沢な夜。
雪あかりが連れてきたのは、心の一番やわらかい場所を温めてくれる、優しい光だった。
祈りを捧げて
朝の光が、カーテンの隙間からこぼれている。
少しだけ贅沢な豆を挽き、丁寧にコーヒーを淹れる。
立ちのぼる湯気の向こう側、
形のない「なにか」に、静かに名前をつけてみる。
ストーブの前で、愛犬のクロが寝息を立てている。
この黒い塊が刻む、穏やかなリズム。
それだけで、世界は十分に満たされている気がした。
祈りとは、きっと特別な言葉を並べることじゃない。
冷えた指先をカップで温めながら、
「今日が昨日と同じように過ぎますように」と、
ただ、それだけを願うこと。
コーヒーの苦みが喉を通る。
クロが薄目を開けて、しっぽを一度だけ振った。
それだけで、私の祈りはもう、届いたのだと思う。