暮れになると、心がざわつく。大掃除、年賀状? あんまりしないくせに、忙しなく思う。街に行けば、クリスマスの音楽が流れ、パーティやお正月準備の品があふれている。何かとイベントが目白押しなのだ。
何か流れに乗らねばという気分になるのだけれど、どこかでついていってない自分がいる。
賑やかな店を出て、外を歩く。イルミネーションや、街の灯りがきらめく中、そこだけ違う雰囲気の場所があった。お寺だ。
夜の闇の中、静けさに包まれていた。街の灯りがぼんやりと寺の輪郭を浮かびあがらせる。建物を取り囲む回廊に、街路樹に灯る薄青い光が差し込んでいる。青く染まる木目。そのひっそりとした青をしばらく眺めていた。
回廊は、ぐるっと続いている。光が差さない奥が、どうなっているかは見えない。まあ、粛々と今を過ごすかと思いながら、歩きだした。
「光の回廊」
後になれば、よくわかる。想いを積み重ねても、それだけでは見えない。素直に言葉にしなくては。その目に、精一杯の想いをこめても、言葉にしなくては分からないのだ。
あなたの上に、たくさんの想いが積もっていっただろう。それが雪ならば、見えたのに。確かなものがないと、伝わらない。言葉にしなければ。
その勇気が出せないまま、想いだけがあなたの上に積もっていく。ある時、それが目の前で崩れる。想いは、あなたにはっきりと伝わらないまま。このままだと、それは何度も繰り返される。
想いがある程度降り積もったのなら、勇気を出して言葉にしよう。
「降り積もる想い」
贈り物に、結ばれていたリボンは、捨てがたい。それが美しいだけでなく、結ばれてから、解かれるまでの短い役割を思うからかもしれない。
そんなリボンたちを、箱に入れている。たまに取り出して、何かに結んでみたり、ひもの代わりに使ってみたりする。中には、使うことはなく、しまってあるリボンもある。
大切な決断をした時に、もらったリボンは、小さな袋に入れてある。ひときわ白く、つやっとした光沢があった。あまりに美しかったのと、その時の気持ちを残すために、とっておいた。久しぶりに取り出すと、その色もつやも当時の輝きを失っている。
過ぎてきた長い年月を思う。リボンとしての役目はとうに過ぎている。でもまだ手放す気にはならない。もう少し一緒に時を重ねることにした。
「時を結ぶリボン」
暮れになると、ばたばたと忙しくなる。世の中が、クリスマスや忘年会なんかで、何かと賑やかなのを見ながら、せっせと目の前の仕事を片付ける。このごろはあっという間に日が暮れて、暗い時間がとても長い。
何となく夜のほうが仕事がはかどる。早くすませたよう。気付けば、もう周りには誰もいなくなっている。今帰ると色々な店もまだ営業しているだろう。少し気分転換をして帰ろうと思う。
下に降りると、ちょうど他のフロアの人と一緒になった。「遅いですね」と、思わず笑顔を交わす。お互い反対方向に出ようとすると、「あ、これ、よかったら」と小さな包みをポケットから出して、手のひらにのせてくれた。赤いリボンと小さなベルがついて、飴がいくつか入っていた。「取引先でもらって。どうぞ」そう言って、さっと帰っていった。
赤いリボンの色と色とりどりの飴を、しばらく眺めた。手のひらが、じんわりと温かくなったような気がした。
「手のひらの贈り物」
忘れてなんかいない。心の片隅でずっと残り続けている。あれからたくさんの日々が重なって、細かいことは、覚えてないかもしれない。
でも、それはずっと残っている。長い年月をかけて、都合がよいように書き換えられているかもしれないけれど。
たくさんの関わりは、心の引き出しに一つ一つしまわれている。時々ふっと出てくることもあれば、自分から見にいくこともある。
大切な引き出しだ。
「心の片隅で」