—明日の君へ—
「あなたがセナ君ですか?」
橋本ひまりが、上目遣いで不安そうにこちらをみる。
「うん」
「やっぱりそうなんですね……。今日はどこに連れていってくれるんですか?」
どこかよそよそしい彼女。
だが、俺たちは恋人同士だ。
「それは、行ってからのお楽しみだ」
実は彼女は昨日までのことを覚えていない。
事故に遭ってから、記憶を留めることができなくなったらしい。
だから、今日の彼女には初めまして。
彼女の記憶力が早く元に戻るように、俺が頑張るしかない。
電車に揺られながら、目的地に向かう。
「日記を読んだら、昨日は『遊園地』に連れていってもらった、とありました」
「そうだよ。何か覚えてる?」
彼女は大きく首を横に振る。
「そっか。でも大丈夫。俺が全力でサポートするから」
「ありがとうございます、セナ君」
駅を出て大通りを真っ直ぐ行くと、目的地に着いた。
「水族館、ですか?」
「さぁ、中へ行こう」
チケットを購入して、入り口を潜った。
彼女は「わぁ、きれい!」「かわいい!」なんて声を上げながら、水槽にペタペタくっついている。
「イルカショー見たいです!」
「うん、見に行こう」
迫力のあるショーで大いに盛り上がった。
プールサイドでイルカに触れられるイベントもあって、楽しかった。
その後も色々な場所を周り、外に出るともう日は暮れかかっていた。
また大通りを歩き、電車に乗り込んだ。
「今日は楽しかったです!」
「うん、俺も」
「ちゃんと今日のこと、日記に書きますから。——明日、覚えてると良いなぁ」
彼女は、独り言のようにポツリと言った。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。またね」
駅を出て、俺たちは別れた。
彼女が見えなくなるまで、見送った。
今日の彼女にさようなら。
どうか、今日を覚えていますように。
そう祈りながら、俺は家路についた。
お題:今日にさよなら
—忘れられないハヤシライス—
駅前に、とても人気な洋食屋がある。
なんといっても、数量限定の『特製煮込みハンバーグ定食』が、安くて美味いらしい。
しかし俺は食べたことがない。
その代わり、そこのハヤシライスはほぼ毎日食べている。
「お一人様ですか?」
昼のピークを過ぎた午後三時。
俺はやってきた。
「はい」
「お好きな席にお座りください」
バイトと思われる若い女性にそう言われて、俺はカウンターに腰掛けた。
ここからだと厨房がよく見える。
厨房を覗くと、今日もあの人はいた。
「お待たせしました、ハヤシライスです」
しばらく待っていると、気にかけている彼女が配膳カウンター越しに運んできた。
「ありがとうございます」と言って受け取った後も、なぜか彼女はじっとこちらを見ていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、最近よくハヤシライスを食べられているなと思って」
この店に通い始めて一ヶ月が経った。
顔を覚えられていても不思議じゃない。
「ここのハヤシライスの味が忘れられなくて」
「もしかしてハヤシライス愛好家さんですか? たまに見かけるんです。色んな洋食屋を巡って、ハヤシライスだけを食べる方」
「いえ……、私は別に」
俺がこの店に通うのは……。
「そうですか。でも、うちのハヤシライスを気に入ってくださったということですよね。ありがとうございます。——お客さんに内緒で良いことをお教えますね」
彼女は顔を少し近づけて小さな声で言った。
「実はうちのハヤシライスは、隠し味でハチミツを使ってるんです。家で作るときに、ぜひ試してみてください」
俺がこの店に通うのは、目の前の彼女が、亡くなった妻に似ているから。
——隠し味にハチミツを入れると美味しくなるんだよね。
そして、この店のハヤシライスが、妻の味と似ていたからだ。
「……やってみます」
「お食事の邪魔をしてしまって、すみません。どうぞ召し上がってください」
彼女が笑顔でそう言った。
ハヤシライスを口に運ぶと、やはりいつもの優しい味がした。
お題:お気に入り
—最後の勝負—
俺には、誰よりも負けず嫌いな友人がいる。
何かイベントがある度に、俺たちは勝負して競い合っていた。
——どっちがサッカー上手いか勝負だ!
——どっちが肉多く食べられるか勝負だ!
——どっちが先生からたくさん褒められるか勝負だ!
一に勝負、二に勝負、三にも四にも勝負。
競うことしか頭にない奴で、でも俺もそれに付き合うのが好きだった。
俺にとって、最高のライバルだったから。
「竹内くんのリクエストで、クラスレクはサッカーをやります」
先生が言った。
今日は俺のライバル——竹内が明日転校するので、最後にクラスレクをしようということになったのだ。
「どっちのチームが試合で勝つか、勝負な」
校庭に向かう途中、竹内がそう言った。
「おう」
校庭に出ると、各自でアップした。
時間が限られているため、すぐに試合は始まった。
先生のホイッスルの音で、ボールは動き出した。試合は二十分しかない。
「パス!」「ナイス!」と声を掛け合いながらゲームが進んでいく。
点を奪い合う白熱した試合。
結局、最後の一分で俺が決めたゴールが決勝点となった。
「五対四でBチームの勝利!」
みんなで握手を交わしてゲームは終了した。
「俺の負けだ。でも楽しかったよ」
「あぁ」
勝ったのに、嬉しい気持ちにはなれない。
これで最後だと思うと、むしろ悲しい気持ちになってしまう。
本当は誰よりも、彼との勝負を楽しんでいたのかもしれない。
「俺な、気づいたんだ。俺は負けず嫌いだけど、本当はお前と何かをするってことが楽しかったのかもしれない」竹内が言った。
「俺も全くおんなじ気持ちだよ」
俺は大きく頷いた。
竹内はいつものように笑っていた。
お題:誰よりも
—君の余命を知ってしまった日—
今日は、彼女とデートの予定がある。
俺はその準備で急いでいたのに、母に呼び止められた。
「あんた宛に何かきてるよ」
どっさりと郵便物を抱えた母から、白い封筒を一通、手渡された。
「俺宛に?」
「うん。見てみなさいよ」
確かに封筒の裏には俺の名前が入っていた。
こんな急いでいる時に、と思いながらそれを持って自室へ向かった。
封を切り、中を覗く。
小さな一枚の手紙が入っていた。
『十年前の私へ』
そう書き出された手紙を、俺は読み始めた。
『十年前の私には、付き合ったばかりの恋人がいると思う。名前は村上雫さん。』
ここに書いてある通りだった。
一週間前に俺は勇気を出して、雫に告白をした。
『信じられないと思うけれど、しっかり読んでほしい。
村上雫は一年後、大きな病にかかる。』
手紙を持つ手が震えてきた。
『彼女は医師から余命宣告を受けていたのにも関わらず、直前まで私にそのことは教えてくれなかった。
彼女が目の前で死んでしまう未来を見たくないのなら、今すぐに別れてもいい。
だが、もし、それでも彼女と付き合う選択をするならば、彼女に色々なことをしてあげてほしい。
未来の私は、彼女が亡くなる直前にこのことを知って、何もしてあげることができなかった。
私は、それだけが心残りなんだ。どうか、よろしく頼む。』
震えた文字で『十年後の私より』と締めくくられていた。
本当なら、この手紙をビリビリに引き裂いてやりたかった。単なる悪戯で、俺をからかっているだけだと言ってほしかった。
だが、俺はこの手紙を信じざるを得なかった。
なぜなら……。
この手紙は、俺の書く文字と全く同じ筆跡だったからだ。
お題:10年後の私から届いた手紙
—甘い誤算—
モテない男子をからかうために『バレンタイン』は作られたんじゃないか、と俺は思っている。
「ナオは、チョコ何個貰った?」
帰り道。
親友の松本が、口の端を上げて訊いてきた。
「……一個ももらってねぇよ」
「そうかいそうかい」
松本が訊いてほしそうな顔をしているので、俺は言ってやった。
「そういうお前は、何個貰ったんだよ」
「気になるかぁ。——オレはね、五個!」
バックを開いてみせてきた。
手作りのチョコもあれば、どこかの店で買ったような箱のチョコもあった。
悔しいけれど、羨ましい。
「でも意外だなぁ。西村からはもらってると思ったのに。ナオと幼馴染で、仲良いじゃんか」
頭の後ろで両手を組んで、松本が言った。
「さぁ。それとバレンタインは別だろ」
「そういうもんかなぁ」
しばらく歩くと、いつもの交差点に着いた。
ここから帰り道は別々になる。
「チョコの感想は教えてあげるからね」
松本は最後にそう言い残して、帰っていった。最後まで腹の立つ親友だった。
それから、一人で帰路についた。
——明日、バレンタインかー。今日の夜頑張ってチョコ作らないと。
——誰に渡すの?
——まぁ、いろんな人。詳しいことは内緒!
ぼんやりと歩いていると、昨日の会話が頭に流れてきた。
西村は誰に渡したんだろうか。
「ナオ」
そんなことを考えていると、本人がやってきた。そのまま隣に並んで歩き出す。
「チョコ、何個もらった?」
「ユイトとおんなじこと言うんだな。……一個ももらってない」
そう言うと、彼女はふっと笑った。俺は、目を細めて彼女をみる。
「で、チョコは渡せたのか?」俺は訊いた。
「うん。いっぱい作ったから、渡すのにも時間かかっちゃった」
彼女は、背中のバッグを前に持ってきて開いた。そして箱を一つ取り出した。
「これでラスト! チョコを一つももらえない可哀想なナオに、あげる」
「……ありがとう」
「言っとくけど、一番出来の良かったチョコだから」
「え……」
気づけば、家のそばまで来ていた。
「お返し、期待しとくね。じゃあね!」
「あぁ……、また明日!」
心拍数が急激に上昇していた。
この日があって良かったと、初めて心から思えた。
お題:バレンタイン