—最期の抗議—
懐かしい記憶を見た。
父と母と、動物園に行った時の思い出。
友人と家の近くのファミレスで、毎日駄弁った思い出。
大学生の時、初めて彼女ができた思い出。
断片的で色々な幸せの記憶が、頭の中に次々と雪崩れ込んでくる。
ビルの屋上から垂直落下している俺は「あぁ、これが走馬灯か」と思った。
社会人になってからの記憶が流れなかったことに、安堵した。
これは、会社に対して命を賭けた復讐だ。
誰もが寝静まった深夜。
俺の身体は、勤務先の会社の目の前で潰れた。
ただ、静かに幕を閉じた。
お題:静かな終わり
—ノンフィクション—
もしあの子と付き合うことができたなら。
そんな妄想を心の中で描く。
「映画、面白かったね」彼女が笑みを浮かべる。
「うん、特に最後のどんでん返しがやばかったよね。余韻がまだ残ってる」
二人で映画を見終わった後、しばらくその話で語らい合いたい。
「口開けて、あーん」彼女がスプーンを口元に近づけてくる。
「おいしい!」
二人でご飯に行ったら、仲睦まじく、バカップルのような時間を過ごしたい。
バカップルを見るのは好きじゃないけれど、彼女となら、そんな時間を過ごしたい。
彼女を好きになってから、そんな妄想が心の中で繰り返される。
いろんなシチュエーションで何度も何度も。
心の中では自由だ。
でも、そんなの虚しいじゃないか。
「……伝えたいことがあるんだ」学校の屋上で彼女に言った。
今のままじゃダメだ、と俺は思う。
家で何回も練習した言葉を、今から彼女にぶつける。
「好きです!付き合ってください!」
頭を下げて、彼女の言葉を待った。
「ごめんなさい」
彼女は走り去った。
俺は頭を下げたまま、屋上で一人、涙を流した。
これでいい。
彼女がそう返事することは、分かっていたんだ。いつまでも希望があると思っている自分に、思い知らせてやったんだ。
俺は、心の旅路に終止符を打ってやった。
哀れな自分に、さようなら。
お題:心の旅路
—夢の残響—
社員が来る前の早朝、俺は清掃員用の更衣室で作業着に着替える。清掃道具が入ったカートを運びながら、各フロアを上から掃除していく。
今朝は、今年一寒い。そのせいか、トイレの鏡は凍っていた。
「おはようございます!」
鏡を拭いていると、鏡の奥で誰かがお辞儀している姿が見えた。振り返ると若い男が立っていた。
「新人の佐藤です!今日からよろしくお願いします!」
「あぁ、よろしく」
また新人か、と心の中で呟いた。
最近の若い者はすぐに音を上げ、いなくなってしまう。今月の初めに一人、別の新人が入ってきたが、もういない。
「ここをこうするんだ」
「わかりました!」彼はメモをとった。
こうやって新人に仕事を教えても、時間の無駄だと俺は思う。
だが、この男は今までの奴と少し違うような気がした。元気で熱い男だ。なよなよした陰気くさい感じではない。
「教えることは以上だ。何かわからないことがあったら言ってくれ」
「はい!」
「……君は、すぐに辞めないでくれよ」鏡を拭きながら、ボソッと口に出してしまった。
正直、この時間にうんざりしていた。
教える時間があるなら、その間に自分の仕事を進めたい。
「いえ、俺はすぐに辞めます!」
「え……?」
彼は、そう宣言をした。
こんな奴は今まで見たことがない。大抵は「頑張ります」とか言うだろう。
「俺にはお笑い芸人になるという夢があるんです!近いうちに必ず有名になります!だからすぐに辞めます!」
彼の目は、キラキラと輝いていた。
「そうか、頑張れよ」
「失礼します!」
自分が昔、ミュージシャンを目指していたことを思い出した。中途半端で、将来に対していつも不安で、逃げ出してしまった自分を。
それに比べてこの男はどうだ?
必ず売れるという気概を持っている。
彼は、将来すごいやつになるんじゃないか。いや、そうであってほしいと俺は思う。
彼が去った後、もう一度鏡を拭いた。
そこには、昔より老けた、夢をしまい込んだ自分が映っていた。
お題:凍てつく鏡
—雪明かりのロマンス—
部活中にガットが切れた。
仕方なく、帰りにスポーツショップに寄り道していたら、すっかり遅くなってしまった。
雪で覆われた地面を、街灯が綺麗に照らしている。夜道は思ったよりも白い。
「えっ……」
町を歩いていると、少し前を歩く太田の姿が見えた。同じクラスメイトであり、私が想いを寄せている男子だ。
隣には女性も一緒にいた。チラチラと太田を見るときの横顔に、見覚えはない。
雪明かりのせいではっきりと見える。それでも私は、何故か後をつけていた。
前の二人は、駅に着くと別れた。
太田は女性に手を振り、女性は何回か礼をして去って行った。
「あれ、何してんの?」彼にバレた。
少し近づきすぎたのか、彼が振り返った時に目が合ってしまった。私はスポーツショップの手提げを見せた。
「ちょっと寄り道してたんだ」
「そうなんだ。俺も帰りだからさ、一緒に帰ろうよ」
「いいよ」
なるべくいつもの私でいられるように振る舞った。必死に心を落ち着かせる。
「太田は何してたの?」
あまり聞きたくはなかったけれど、聞かなきゃ後悔するような気がした。
「俺は道案内してた。携帯の充電がなくなって、場所が分からなくなったんだってさ」
「へぇ、優しいね」
心の中でホッと息をつく。なるべく表情を緩めないように気をつけた。
他愛もない話をしながら、二人で帰った。
ただ一緒に歩いているだけで、胸が温かい。こんな夜を忘れたくない、と私は思った。
お題:雪明かりの夜
—人間観察—
人間は何かある度に、私に向かって願い事をする。
勉学、恋愛、将来の事。
どれも身勝手で、自身で努力すれば叶う願いばかりだ。
「くだらない」
天からこの世界を見下ろしていた。
私は、人間のために動くことはない。
人間は願いが叶えば、『神様が助けてくれた』と勝手に思い込んでいる。
自分自身をもっと信じるべきだ、と私は思う。
その時、また人間から祈りが届いた。
『みんなを助けてくれる神様が幸せになれますように』
ある少女の願いだった。思わず私は微笑んだ。
これだから人間はおもしろい。
お題:祈りを捧げて