さみしい、と言うのは簡単だ。だけどたびたび返ってこなくなるメールに、次第に連絡を取らなくなっていったのは私のほうだった。
*
『赤っぽい茶色が好きなの。煉瓦とか、枯葉の色』
『煉瓦の色ってけっこう幅があるし、いわんや枯葉をや』
ふたりで理由もなくはまっている古文の言い回しで返信すると、彼女からは『笑』とだけ返ってきた。だってそうじゃん、と返しかける途中で、次のメールの受信が知らされる。
『これ。こないだ載せてたじゃん?この色』
添えられたリンクを開くと、私のブログの記事だった。散歩中に撮った落ち葉の写真。うん、枯葉というか、紅葉した落ち葉。でもまぁ彼女が枯葉だと言うなら、君は今日から枯葉だ。
たしかに赤っぽい茶色で、よく晴れた昼下がりだったのと、アスファルトの灰色との対比もあって、かなり鮮やかに写っている。もっとも私は色よりも、右手を開いて小指だけすこし曲げたような、その「くるん」の形が愛らしくて撮った。
メールの本文にはもう少し続きがあった。
『わたしが勝手に自分のテーマカラーにしてる色とおんなじで、嬉しくてこっそり保存してた』
『それは私も嬉しい、ありがとう。元の写真送るよ』
『わー!ありがとう!待受にした!!』
返信と行動の素早さに笑う。そしてじんわりと噛みしめた喜びに予感した。
私はこのさき、秋になるたび、この十数分を思い出すんだろうな。
*
それはまだSNSという概念もない、ガラケーがガラケーと呼ばれてもいない時代の話で、インターネットで知り合っただけの彼女がどうしているか、どこにいるかももう分からない。あの十数分を思い出さない秋もあった。
ねぇでもさ、まだ覚えてるよ。さみしいよ。
遥かに画質の良くなったスマホで、赤っぽい茶色の枯葉を撮る。指先はみんなぴんとしている。
東京に来て思ったのは、雪の日がにぎやかだ、ということだった。
西国で生まれ育った僕にとって、雪の日というのは何もかもが静止する日だ。東北の人には「こんなの降ったうちに入らない」と言われるだろう、うっすら積もったその雪だけで、まず交通機関が停止する。人々は家に籠り、朝はしゃいでいた子ども達の声もじきに消える。
そうなると、あとは雪がすべての音を吸い込んでしまう。
白さも、寒さも、ひとりお湯が沸くのを待っている時間も、ストーブも、僕も、みんな静けさの中にくるまれてしまう。それは孤独の匂いとよく似ていた。だから好きだった。
東京の雪は寒いだけだ。人も街も何かを振りきるように、耐えながら動き続ける。
僕もその欠片になる。うまく溶けられたらいい。
深夜にふと目が覚めた。違和感があって、寝ぼけた頭でぼんやり考える。そして気付く。
「……飛鳥ちゃん?」
隣で眠っていたはずの恋人に、そっと声をかけた。
「……ごめん。起こしちゃった?」
飛鳥ちゃんが枕に押しつけていた顔をこちらへ向ける。暗闇で両目が光る。やっぱり泣いていたみたいだった。
「ううん、たまたま目が覚めた。おいで」
ゆっくり頭を撫でて抱き寄せると、飛鳥ちゃんはぐすんと鼻をすすった。今度は僕の胸に顔を押しつけ、
「嫌な夢、見た」
と小さく言う。
「……嫌なこと思い出した」
「そっか。しばらく泣いたらいいよ」
「……うん」
飛鳥ちゃんは素直に泣いた。そしていつの間にか眠っていた。規則正しい寝息を聴きながら、僕の意識も薄れた。
次に目が覚めたときは、ちゃんと朝だった。けたたましいアラームに叩き起こされ、飛鳥ちゃんも僕も顔をしかめながら一旦丸くなる。朝に弱い二人なのだ。
「……智くん、手しびれてない?」
「大丈夫」
眠そうに瞬きをしながら、飛鳥ちゃんは僕を見た。ついでに欠伸をした。もしかしたら欠伸のついでに僕を見たのかもしれないけど、そういう村上春樹辺りがやりそうな言い換えは、置いておく。
「なんか、氷河が溶ける夢、見た」
「それは大変」
「ううん、いいことだよ。春になったから」
「あぁ、雪解けが来たんだ」
「智くんがぎゅっとしてくれるとき、いつも、その気持ちなんだよ」
「……雪解けの気持ち?」
「うん」
答えて、僕の胸に頬を寄せる。
「固まって、凍ってたものが、あったかくなって溶けていくの」
「……それは」
それはなんなのか、誤差のない言葉を見つけたくて、僕は考えた。
「……ありがたいことだなぁ」
「智くんが?」
「うん。嬉しい。僕が飛鳥ちゃんにできること、あったんだなって」
「いっぱいあるよぉ」
いつも言ってるじゃん、と笑う飛鳥ちゃん。朝の光と同じきらきらした粒子でできている、その笑い声が、僕は好きだ。
「嫌な夢は獏に食べてもらうか」
「雪解け水に流されて、どっか行っちゃった」
「それはよかった」
うんと答えて起き上がり、飛鳥ちゃんがカーテンを開ける。
「おはよう、智くん」
「うん。おはよう、飛鳥ちゃん」
穴ぐらに潜り込むような一日だった。
漫画喫茶の薄暗い店内、デスクの電気スタンドとパソコンの明かりだけが浮かぶ個室ブース。レンタルのブランケットにくるまって、ひたすら漫画を読むだけの一日だった。
駄目な日の翌日は、まだ『駄目な空気』を引きずってしまう。毎日をきちんと過ごさないと、満足な今日はやって来ない。自分のせいなのは承知しているけれど、この駄目さを取り戻さないといけないと思うからか、よく分からない焦燥感に駆られて何かをしなければいけない気持ちになる。
有益そうな本を読みたい欲が湧き上がったり、自分を振り返らなければと考えたり、ToDoをリストアップすべきではと感じたり。
そういったものを実行すれば、それが明日への光になるのだろうか?
たぶん、ならない。
自分に失望しながら、でも目の前の道を歩き出すしかないのだろう。一足飛びに未来へは行けない。
光などなく、何度転んでも。