KararaK

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2/25/2026, 3:00:21 AM

 昼間より更に静まりかえった研究室に残っているのは、私だけだった。
 培養皿を顕微鏡のステージに置き、レンズを下ろす。視界はぼやけた灰色からゆっくりと透明な宇宙へ変わっていった。そこへ、震えるように、しかし確かに動いている単細胞生物の姿が現れる。
 たった一つの細胞でできた命。
 私は記録用のノートを開きながら、ふと思った。
 この小さな存在に、名前はない。
 番号だけがある。
 ピントを微調整し、像をハッキリさせる。

 その瞬間、彼らは“点”ではなくなった。
 動きに癖がある。
 壁際を好む個体。
 ゆっくり回転する個体。
 私は無意識に、それを「彼」と呼んでいた。

 今日の実験は、薬剤の反応を見ることだった。スポイトの先から、透明な液体を一滴。
 顕微鏡の中の世界が揺れる。
 数秒後、彼らの動きが鈍くなる。
 震えが止まる。
 一つ、また一つ。
 私は記録を取る。
 時刻、濃度、変化。
 指先は正確だった。
 ほんの少しの躊躇いなど、日々の繰り返しの前では無意味だ。

 感情は、記録欄に入らない。

 最後の一匹が、ふらりと回転した。
 彼は壁に触れ、離れ、また触れた。
 まるで出口を探すように。
 そして、止まった。

 私はレンズから目を離す。
 視界が急に広がる。
 蛍光灯の白さが、やけに強い。

 ただの実験だ。
 研究とは、そういうものだ。
 でもさっきまで確かに動いていたものが、今は静止している。私の行いによって。

 私は神様ではない。

 それでも、レンズの向こうで止まった小さな命は、私の中で、少しだけ重い。
 顕微鏡の電源を落とす。レンズを外した瞬間、世界はまた、何もなかったふりをした。



『小さな命』

2/24/2026, 3:35:21 AM

 私たちは恋人じゃない。
 同じクラスで、席が前後で、放課後になるとくだらない話を送り合う。ただそれだけだ。テスト前には通話をして、文化祭では一緒に段ボールを運んだ。名前のない関係。でも、それでよかった。だって居心地が良い。向こうだってそうに違いないハズ。

 LINEの最後には、いつも軽く「luv u笑」とつく。これは冗談の合図。深くならないための約束みたいなもの。
 でも、私から最初に送ったときは緊張したな。この合図は、一生懸命考えたんだ。
 だって壊れたら困る。毎日同じ教室にいるのだから。それに、もう話も出来なくなる可能性があるなんて、考えたくもなかった。

 その夜、彼から珍しく弱いメッセージが届いた。
 「今日ちょっときついわ」
 私は何度も打っては消す。
 「大丈夫?」も「がんばれ」もしっくりこない。

 指が止まる。
 心臓が、時が来たのを教えてくれる。
 いつもの「luv u」を消す。
 代わりに、ゆっくり打つ。

 「Love you」

 送信した瞬間、既読がつく。
 心臓の音だけがうるさい。自分が熱いのか冷えていってるのか分かんない。
 しばらくして届いた返信は、短い一行だった。
 「俺も」

 翌朝、教室で目が合う。ほんの数秒間、緊張。でもそれがなんだかおかしくて二人で笑った。親密な空気が、ちょっと照れくさいけどめちゃくちゃ嬉しい。
 私たちは壊れなかった。むしろ、昨日より少しだけ近い。



『Love you』

2/22/2026, 11:27:01 PM

 人間は無いものねだりだというけれど、私は太陽のような存在感が欲しいと思っている。それは学生の頃からずっとだ。


 同じ部署の彼女は、いつも明るい。失敗しても笑い、誰かが落ち込んでいれば、何も言わず隣に立つ。窓から差す朝日みたいに、そこにいるだけで空気がやわらぐ。
 私はその光を、少し離れた席から浴びている。

 ある朝、始業前の給湯室で彼女が小さく息をつくのを聞いた。デスクに向かって歩いてくる顔は、ほんの少し雲がかかっているようで、いつもより光が薄い。
 太陽にも昇る前の暗さがあるものだと、大人になってやっと気が付いた。

 その日、私は初めて自分から挨拶をした。
 「おはようございます」
 私を見て、彼女はやわらかく笑った。

 太陽のようにはなれないかもしれない。それでも、誰かにほんの小さな光を足せる人にはなりたい。



『太陽のような』

2/21/2026, 11:21:46 PM

 アカウントを削除した瞬間、画面は真っ白になった。
 私の全てだったフォロワー数6,394の数字は、驚くほど軽く消えた。

 私は0になった。

 新しいアカウントを作る。フォロワーは0。投稿も0。プロフィールには名前だけを書く。余計な肩書きはつけない。
 最初の配信は、夜の台所だった。母がきっと壊してしまったのだろう、白い破片が床に散らばっていた。

 コンロの青い火と、湯の沸く音。私は黙ってスープを作る。誰もコメントしない。視聴者数は0のまま動かない。それでも、胸は不思議と静かだった。
 台本も、演出も、泣き声も、壊れた食器もいらない。新しい今だけの私がここにいる。


 画面の隅に、小さく数字が変わる。
 「1人が視聴中」
 コメントはない。ただ、誰かがそこにいる。

 0からの私は少し緊張して「はじめまして」と言った。



『0からの』

2/21/2026, 1:59:59 AM

 涙は、練習すれば出せる。
 まばたきを減らし、息を浅くして、可哀想なドラマの主人公の気持ちになりきる。
 カメラの向こうでは「こんなに大変なのに強いね」「泣かないで」と優しい文字が流れ、同情は数字になって積み上がる。

 私はその数字で出来ていた。

 今夜も、父が帰ってこない。メッセージには既読もつかない。別の部屋では母がなにか大きな音を立てている。
 台本はないのに、配信ボタンを押してしまう。画面に映る自分は、思ったより醜い顔で泣いていた。声が震えて、うまく喋れない。
 コメントはすぐに流れた。「今日リアルだね」「設定強化?」「ちょっと暗いよ」。視聴者数が、静かに減っていく。

 私が減っていく。

 私はようやく知る。みんなが優しかったのは、私のためじゃない。泣ける物語のためだったのだ。
 配信を切ると、部屋はただの夜に戻る。通知は鳴らない。布団の中で声を殺したとき、初めて本当の涙の味がした。

 私はみんなの中からいなくなった。



『同情』

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